第37話 白い彗星 2
月曜日が来なければいいのに、とこんなに強く願ったことはない。
だが時の流れは絶え間なく、俺は濁流に呑み込まれるようにして、気がつけばあっという間にいつもの登校路を歩いていた。
住宅街を抜けると、二車線の道路に面した歩道に出る。冬の冷たい空気をもろともせず、雀の群れが街路樹から街路樹へ渡っていった。
前後には同じ高校へ通う制服姿の生徒が増えてきた。俺は天敵に怯える小動物のように肩を竦め、視線だけでちらちらと道行く生徒の背格好を確認していく。
今のところ、見当たらない……かな。ほっと安堵の息をついてから、自分の身勝手さに気づき、自己嫌悪が胸を刺した。
「——よ。おはよ」
「うわあッ」
背後からぽんと肩を叩かれ、その慣れた声を聞いた瞬間、俺は文字通り飛び上がった。
足を止めて振り返ると、目を丸くした御子柴がいた。突然大声を上げた俺を、周囲にいた生徒達が横目で見てくる。いたたまれなくなって俺はそそくさと歩き出した。御子柴も当然のように隣に並ぶ。
「なんでそんな驚いた?」
「い、いや……ぼーっとしてて」
「ふーん。ところで兼藤ティーチャーの小論文やった?」
兼藤先生は英語を担当している、中年の男性教師だ。日本語と英語が半分ずつほど混じる独特な喋り方とその個性からか、生徒の間ではもっぱら『兼藤ティーチャー』の愛称で呼ばれている。
俺は足元にうろうろと視線を彷徨わせながら、返した。
「えっと、それ、今日だっけ?」
「いや、今日だよ。思いっきり今日だよ。みんなひーひー言ってたじゃん」
「マジか。してない……」
「一個も?」
「うん……」
「お前なー、もうちょっと焦ったら?」
「あ、焦ってるよ」
だが今の俺を追い立てるのは、決して英語の小論文ではなかった。
呆れ顔でこちらを見つめてくる御子柴に、俺は意を決して言った。
「この前の……」
「ん?」
「いや、その、土曜日のこと。——ごめん」
すると御子柴がふっと苦笑した。
「なんだそれか。何、思い詰めてんのかと思った。別に気にしてねーよ」
俺は今朝、初めて御子柴を見上げた。
「ほんとに?」
「まぁ、急に言い出した俺も悪かったし」
「怒ってない?」
「ない」
「そっか。ごめん、俺、傷つけたかと思って……」
「そんなにヤワじゃありません。ピアニストのメンタル舐めんなよ」
そう、なのかな。なら、どうして御子柴はあんな別れる間際になるまで、言い出さなかったのだろう。一抹の不安と共に御子柴の表情を伺うも、そこにはいつもと変わらない綺麗な微笑みがあるだけだ。
俺は御子柴の真意を測りかねたまま、慌てて付け足した。
「あの、土日、行くから……」
ふと御子柴の口元から笑みが消えた。
校門をくぐって昇降口に入る。御子柴はスニーカーを脱いで、上履きに履き替えながら、淡々と言った。
「別にそんな急がなくてもいいんじゃね」
「え?」
「返事。まだ一週間あるんだし、その間に何か予定が入るかもだろ」
「いや、でも……」
「それにこれが最初で最後ってわけでもなし。んな焦る必要ねーよ」
御子柴は戸惑う俺を置いて、さっさと昇降口を抜けていってしまう。そして肩越しに振り返った。
「職員室に用事あるから。また、後でな」
軽く手を挙げて、御子柴は廊下を曲がっていく。俺は突然親鳥に見放された雛のように、呆然とその背中を見送った。
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