Good News and Bad News

 僕はひとまず良い話から聞くことにした。

 この張り込みが終わった後にでも、去って行ったマリアの居場所を聞いてみようと考えていたところへ目黒さんからの伝言というのは、バッドタイミングをはらんだグッドタイミングだ。ここは、彼女の身に何か良くないことが振りかかったと考えるのが妥当だろう。しかし、ということから、ひとまずマリアに最悪の事態が起こっている状況は無いと思う。そう思えるような確信の材料が欲しかった。


「良い話から聞こうか」

「珍しいですね。美味しいものは最後に取っておく人なのに」

「時が経てば、人の考え方も変わるものだよ」

「ふーん。心配なんですね、マリアさんのこと」

「いいから、早く教えてくれよ。マリアはどこにいるんだい?」

「既に私たちが彼女を確保している前提なのですね。ふふふ、正解ですけど」


 甘いはずの栗鹿子くりかのこが甘く感じなかった。


「警視庁にいますよ」

「え? それは、どういう……」

「行き先はフィリピンでした。関川先輩と別れた後、搭乗ゲートを抜けたところで確保しました。持っていたパスポートも偽造されたもので……」

「ちょっ、ちょっと待ってくれ。どういうことだい? 僕が見送りに同行していたことも知っているのか?」

「もちろんですよ。前にも言ったじゃないですか、まだ参考人ですからって。それと、邪魔しないように見張りますよって」


 いや、言ってたけど……琥珀こはくの線が消えた時点で、その件は終わったものと思っていた。マリトッツオを平らげた都梨子とりこは、袋から別のマリトッツォを取り出して再び頬張り始めた。二つあったなら、一つ分けてくれてもいいのに。


「ずっと彼女をマークしてました。すいません、関川先輩をだますようなことはしたくなかったのですが、これも目黒さんの指示だったんです」

「なっ! じゃあ、琥珀こはくとの線が消えてもけていたのは……でも、マリアはって言ってたじゃないか」

琥珀こはくとの線で言えばっていうだけです。彼女の場合、琥珀こはくの名前が浮上するもっと前から容疑者でした。関川先輩も、そう思っていたでしょう?」


 てっきり、都梨子とりこの独断で動いてるのかと思っていたら違った。琥珀こはくとの関連性が消えた後もマリアを見張っていたのは、彼女自身の特別な感情がそうさせていたのかと密かに浮かれていたのだが、それも違った。僕はなんて自信過剰なんだ……穴があったら入りたいよ。


 良い話と悪い話が、どちらも明確になってきたような気がする。ついでに言えば、これから具体的となるであろう悪い話の全容も、頭の中では整理ができていた。僕は手にしていた栗鹿子くりかのこを脇に置いて、都梨子とりこから詳しい話を引き出した。


「少なくとも、マリアが生きて警視庁に保護されているというのは、良い話と言えるね。そして、容疑者っていうのは……まだリストから外れてなかったのか。それが悪い話ってところだね」

「はい。関川先輩だって苦しいと感じながらも、捜査開始から彼女を容疑者リストに入れてたじゃないですか。そんなことは無いはずって、私たちもリストから外せるよう頑張っていたんですけど、なかなか裏付けとなるものが出てこなくて……」

「いやぁ、あの時の電話でと決めつけてしまったよ。まぁ、これは僕の勘違いだし勝手な思い込みでもあったけどね。やっぱり、身内を調べていくのは主観が入ってしまってダメだね」


 ジェーンの部屋で作り上げた殺害事件の相関図から、僕はマリアの写真をがしたばかりだった。これは、都梨子とりこの「彼女は」という報告を受けて除外したわけだけど、僕が勝手に全ての容疑からであってくれと望んだだけだった。

 僕は、ジェーンが殺され独自で捜査を始めた時から、マリアが加害者である可能性を捨てきれずにいた。家族として、ゆくゆくは恋人として少しずつ距離を縮めながらも、どこかにジェーンと仲違いした何かがあるのではないかと思っていた。


「ありがとう。都梨子とりこと目黒さんが、僕と距離を置いて捜査し続けてくれたおかげだね。ともかく、マリアが無事で良かった。それで? ジェーンを殺した証拠でも見つかったのかい?」

「いえ、そこまではまだ……」

「じゃあ、目撃者とか遺留品からジェーンに繋がるものでも出てきたとか?」

「いえ、それもありません……ただ、国外へ出られたら追いかけることができなくなるので、参考人という理由で任意に応じてもらっただけなんです」


 気落ちしているような様子にも見える言い方だけど、都梨子とりこの食べるマリトッツオのペースは変わらなかった。まぁ、この程度で慌てたり落ち込んだりするような性格ではない。外事課のエースは、いつだって強気に自分のペースへと周りを抱き込んでいく。次の言葉がそれを裏付けていた。


「関川先輩、そろそろ一緒に捜査しませんか?」

「僕に外事課へ戻れと?」

「いえ、違います。関川先輩が積み重ねてきた調査資料を、私たちにも開示してください。きっと、これからの捜査に役立つはずです。もちろん、戻ってきてくれるなら大歓迎ですよ!」

「ということは、都梨子とりこと目黒さんだけでなく、外事課のメンバーも引っ張り出して再捜査するってことかい?」

「そうです! それは目黒さんも賛成してますし、昔の仲間も喜んで協力すると言ってくれてますよ」


 僕は腕を組みなおして、張り込み対象のアパートへ目を向けた。

 傾きかけた夕陽が建物全体をオレンジ色に染め上げ、見る者の視界を奪っていく。その先に映るジェーンの表情はうつろだった。


「だが、断る」

「関川先輩……」


 仮にジェーンが笑っていたら……みんなと共に再捜査するだろうか? 

 いや、これは僕自身の問題だ。探偵となった僕は、警察を頼りにしないでを考えてきたはずなんだ。今さら昔の仲間とワイワイ捜査してどうする? 都梨子とりこたちは「マリアが容疑者」と言うが、逆に無罪であることを前提にすれば、確かな証拠も無しに決めつけて彼女の行動を規制する方がどうかしている。


「マリアがっていう理由は何だい?」

「それは……」

「女の勘っていうのは無しだよ」

「関川先輩……」

「理由は無いのかな?」


 ちょっと脅すような感じになってしまったけど、僕もマリアがである理由が欲しかった。ここで都梨子とりこを言い負かすことができれば、彼女が容疑者から外れる可能性も高くなると思いたかった。

 マリトッツォを食べきり、袋を畳んで「ふぅ」と一息吐いた仕草は、僕の問いかけに観念したものなのか、それとも食べきった満足感によるものなのか、横顔だけでは判断できないものだったが、不意に彼女は「エレインです!」と言った。そして、ゆっくりと僕の方へ向いてもう一度「エレインです」と言った。その目に揺らぐものは無かった。さらに言えば、頬についたクリームは拭われずそのままだった。


「エレイン?」

「はい」

「彼女がどうして?」

「何か知ってるはずなんです。でも、私たちには話してくれなくて……心も開いてくれない感じなんです。関川先輩なら、エレインの知ってることも聞き出せると思うんです」

「でも、彼女はアメリカじゃなかったかい? 僕が行って話して来いっていうのも変な話じゃないかなぁ。逆に怪しまれそうだけど」

「私たちが行くよりは喜んでくれるはずです。それに、アメリカまで行かなくて大丈夫です。今、エレインは日本にいるんですよ」

「そうなの?」

「だから、こうして関川先輩にお願いしてるんじゃないですかぁ」


 パシっと軽く僕の肩を平手打ちする都梨子とりこ

 なんとなく「やられた」感が込み上げてくるけど、一つの手がかりとしてエレインの話が聞けるならをつける材料も増える。


「僕はエレインの連絡先を知らないよ」

「私が段取りしますか? それとも、関川先輩が自分で連絡します?」

「そうだな、連絡先は昔の職場から聞いたということにしよう。僕の方から連絡してみるよ。後で、彼女の滞在先とそこの電話番号を教えてくれ」

「わっかりましたー!」


 交渉成立とばかりにご機嫌な都梨子とりこ。これじゃあ、どっちが利用されてるんだかわからないや……そうだ、今日の本題の答えを聞いておかなくちゃならない。


「なぁ、都梨子とりこ

「はい?」

「ここで張り込みしても空振りに終わる理由は何だったのかな?」

「あぁ、それですか……」


 都梨子とりこ都梨子とりこで、一番の問題が片付いたもんだから、すっかり張り込みのことなど知ったことではないような素振りになっていた。でも、僕の「教えてくれよ。マリトッツォ追加でおごるぞ」という一言で目の色が変わった。


「あの社長、私の部下に確保させてますから。後で、引き取りに来て下さいね。煮るなり焼くなり、好きにしてもらって構いませんよ」

「おまっ! それって管轄外だろう! バレたらどうするんだ?」

「大丈夫ですよ。それに、関川先輩が本当にやらなきゃいけない事を邪魔するヤツは私が許しません。安心してジェーンの捜査に集中して下さいね」

「お前なぁ……」


 まぁ、これで依頼された仕事はクリアできそうだから助かったけど……警察が民事に介入して、その社長からクレームが出ないか不安でならない――。

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