第12話 妹だった女
とある学校の教室。
都内にある高校の校舎を借りてドラマの撮影をしていた。
休みの日なので、この高校の生徒たちはいない。
教室には、主演で教師役の俳優と助演で生徒役の若い俳優や女優、その他特に台詞のない生徒役のエキストラたちがいる。
無論、ドラマは役者だけでは撮れない。
監督を始めとした脚本演出家や、カメラ、照明、音声といった技術スタッフ等、数多くの人たちが撮影機材を持って演者と共に教室内にいるのだ。
ドラマは、たった一話を撮るのにこれだけの人間と機械を使わなければいけない。
この他にもスポンサーや密着取材、そして俺のような演者のマネージャーが撮影の邪魔にならないよう、少し離れた場所で見守っている形だ。
「すごい数だ……」
「そうね。でも、現場にいないだけでドラマ制作に関わっている人たちはこの何倍もいるわ。それに一体いくらかかるのか……。この仕事は、それだけお金が動くのよ」
俺は撮影現場に圧倒されていた。
妹はこれまでにいくつもの映画やドラマに出演しているが、俺がマネージャーになってからはこれが初めてだった。
実際にはスポットで時々映画等に出演したりしたのだが、撮ってすぐに撤収していたので印象に残ってない。
俺の呟きに応え、妹を心配そうに見守るのは同じく妹のマネージャーである佐々木さんだ。
最近では妹に付きっきりになることが少なくなったのだが、今回は撮影現場までの送り迎えで来ている。
「随分と、咲のことが心配そうですね」
「当然でしょ。今回、咲さんは主演でこそないけれど広告宣伝では彼女の名前が派手に使われているのよ。もし、このドラマがコケればイメージダウンになるの」
佐々木さんの言う通り、今回のドラマは妹が主役でないにも関わらず、テレビのコマーシャルなどでは主役以上に映っているのだ。
それは妹の代表作となった前回のドラマ、その時の怪演ともいえる演技力が世間に大きく周知されたことが大きな要因といえる。
「おまけに、今どき学園ものなんて……。ヒットできる題材ではないわ。咲さんや主演の頑張りのおかげでまだ何とか数字は獲れているけど、正直このままでは難しい」
「……そう、ですか」
すでに、このドラマは三話まで放送されている。
十二話で最終話となっているので、四分の一が終わったということだ。
一話目は宣伝効果のおかげもあって視聴率17%と大満足できるものだったが、二話、三話で徐々に落ちていき、ギリギリ二桁といったところ。
悪い数字ではないが、数字の落ち方が酷い。
皆、『原因が分からない』、あるいは『やはり学園ものはダメか』と言っているが、俺はその原因が何なのか、知っている。
それは、妹の不調だ。
誰もそんな風には思っていないみたいだが、俺の目にはよく分かる。
明らかにドラマに集中できていない。心ここにあらずといったところだ。
そして妹がなぜ不調なのか、それも凡その推測はできている。
それは――
「はい、おっけー。一旦休憩入ろうか。スタッフは残ってー」
監督の呼びかけにより、撮影は小休憩に入った。
スタッフたちは映像の確認やら次の段取りを行い、演者たちは軽い談笑をして気を和ませている。
そんな中、妹は一目散にこちらの方てテクテクと小走りしてきた。
「浩介さん、見てましたか? 私、頑張りました」
「……そうですね」
「もっと、もっと頑張ります。だから、見ててください」
「……」
妹はまるで子犬が飼い主の気を引くかのように、何でもないことを繰り返し俺に話しかけてくる。
もっといえば、それは必死に何かを訴えるかのよう。
そう、妹の不調の原因は――俺だ。
引っ越しの一件以来、俺は少しずつ妹から距離を取るようになった。
とはいっても、妹を無視するとか、怒鳴って追い払うなどといった事ではなく、隣を一緒に歩いていたらいつもより半歩離れていたり、会話する時に妹と目をあまり合わせなかったりといった些細な事だ。
それは俺が怒っているとか、拗ねているから意図的にしているわけではなく、無意識の内にそうなった。
その無意識に気付けたのは、妹の様子が少しおかしくなったから。
普段何事にも余裕を持っている妹が、小さなミスをよく犯すようになっていた。
例えば、食器の洗い物の最中に割ってしまうなど些細なことなのだが、珍しいことだったので俺は『大丈夫か』と声を掛けたところ、妹は過剰に喜んだのだ。
なぜそんなに喜ぶのか尋ねても、妹は『気のせいです』とはぐらかす。
それ以降も俺から妹に話しかけると異様に喜ぶため、妙に思った俺は意識的に自らの行動を振り返ってみたところ、自分の無意識の行動に気付くことができた。
無意識ではあるが、理由は何となく分かっている。
それは、妹への不信感だ。
それまで俺は妹がとても大切な存在だと信じていた。
いや、それは今でも変わってはいない。
だが今は、そう思う感情よりも不信感が勝っている。
何を考えているのか分からない。それだけで実の妹を拒絶してしまう。
このままではいけないと思い、何度も意識的に妹との距離を戻そうとした。
だけど、いつの間にか身体が離れてしまうのだ。
「浩介さん、あのね、私、このドラマの制服が気に入っていて――」
「咲さん、浩介君と談笑するのもいいですが、少し休まないと……」
「ね、聞いてますか? 浩介さん、浩介さん!」
「……咲、さん?」
佐々木さんの呼びかけにも応えず、妹は俺に話しかけ続ける。
その様子が異様だったのか、佐々木さんは妹の肩に手を乗せた。
「――……あぁ、佐々木さん。何か用ですか?」
「いえ、あの……少しは休んでいただかないと、体力が持ちませんので」
「……そう、ですか。はい、わかりました」
そういって妹は糸の切れた人形のように、俺の隣で座り込んだ。
そして、生気のない顔でボーっとあらぬ方向を眺め始める。
その目には何も映っていない。
「……浩介君、これは? さっきまで普通に演技していたのに、急にどうして」
「……わかりません」
俺は嘘をついた。
妹が精神的に不安定だと分かれば、妹自身の芸能生活にも支障が出る。
それに原因が俺である以上、解決できるのは俺しかいないのだ。
だから、ここで正直に答えても意味がない。
「疲れているのかしら。監督にいって、今日は少し早めに帰らせましょう。念のために病院でも診てもらって」
「……いえ、俺がよく見ておきますんで、このままやらせてあげてください。咲もこのドラマの重要性は分かっているはずです」
「……そう。兄である貴方が言うのなら、信じるわ」
妹にとってこの仕事は天職だ。
こんな状態でも、妹の身体は演技を難なく熟せる。
きっと、とてつもない才能があるんだ。
兄として、妹の才能と将来を守ってやりたい。
だから俺は今晩、妹に話そうと思う。
――これ以上、俺は咲の傍にいないほうがいい、と。
ドラマの撮影が終わり、佐々木さんの運転で最近自宅となった高級マンションに送ってもらった。
そしてエレベーターへ向かい、自室までの廊下を歩く。
妹はクタクタに疲れているはずなのに、いつもより半歩離れて歩く俺に向かって話しかけ続けていた。
「兄さん! 私たち、ペットでも飼いませんか? 白い犬なんかどうでしょう。きっと、楽しくなると思うんです」
「咲、犬の面倒をみる時間なんて、ないだろ」
「あっ、そうでした。えへへ、無責任に動物を飼ってはいけませんよね」
無理に笑ってみせる妹の笑顔が、痛々しい。
それでも妹は健気に俺に他愛も無い話を続ける。
俺は、曖昧な相打ちを打つだけだった。
そして部屋に着くと、妹はすぐさま晩御飯の準備を始めた。
今日は遅くなったから出前でも取ろうと思っていたので、俺はその旨を伝える。
「咲」
「はい! 今すぐ作りますから、待っててください。今日は兄さんの好きなカレーにします」
「今日は出前にしよう」
「……なんで?」
「もう遅いじゃないか。それに疲れてるだろ?」
「私のことは気にしないでください」
「咲、話があるんだ。だから、料理はしなくていい」
「……」
俺はテーブルの席に座った。
妹に対面に座るよう促そうとしたが、その前に隣に座ってきたので仕方なくそのまま話を始めた。
「最近、元気がないな」
「気のせいです」
「原因は俺なんだろ?」
「気のせいです」
「俺だって、そこまで鈍感じゃない。何より妹のことが分からないほど、バカじゃないんだ」
「……」
妹は何かを観念したかのように、
膝に置いた手を強く握りすぎたのか、膝から血が出ている。
「俺にも責任があることは分かってる。だけど、今すぐにどうにかすることもできないんだ」
「……兄さんに責任はありません。こうなることは、予想してました」
「予想?」
「はい。引っ越しの件、強引だったことは自覚してます。だから兄さんが私を多少拒絶してしまうことは予想できたんです」
「……」
「……ただ、想像した以上に辛い。兄さんから少しでも拒絶されることが、こんなにも辛くて苦しいなんて……思わなかった」
俯く妹の身体が小刻みに震えている。
声も震えていて、押し殺していた感情が溢れ出ているかのようだ。
「兄さん、私、本当に苦しいの」
俯いていた妹が、顔を上げた。
その目には涙が零れ、鼻や頬は赤く染まっている。
俺はそんな妹を直視できず、目を逸らした。
しかし妹は俺の肩を掴み、身体をこちらに向かせてから涙ながらに訴えてくる。
「ねぇ! 私を見て!! もう、やめて……謝るから、謝るから許してよォ!!」
「咲……ごめん」
「嫌ぁ! そんな言葉いらない!! 子供の頃みたいに抱きしめて、仕方ないなって頭を撫でて! 許すって言ってよ!!」
「……ごめんな、咲。もう、できないんだ」
もう子供の頃のように、純粋な心で妹を撫でてやることはできない。
親愛、恋慕、疑心、懐疑
いろいろな感情が混ざって、黒く染まって汚れてしまった。
こんなもので妹を汚したくないんだ。
俺は、意を決して別れを告げることにした。
「もう苦しんでる咲を見てるのは、辛い。だから、もう俺は咲の傍には――」
別れを言い切る前に、俺は口を塞がれる。
俺の口を塞いだのは、妹の唇だった。
「――――――――――」
時間が止まったような、それとも永遠の時間が流れているのような、そんな感覚を妹と共有してしまった。
そして、そんな永い口づけが不意に終わりを迎え、妹が言葉を紡ぐ。
「――――……言わせないから。そんなの、認めない」
「咲、おまえ……」
「キス、しちゃった。……これでもう、兄さんと私の関係は終わりですね。もう、私たちは兄妹じゃない」
「なに、いってんだ……? 咲、俺たちは兄妹だろ!?」
「兄さん……いえ、浩介さんがどう思おうと、もうどうでもいいんです。私が、そう決めたんですから」
そういいながら妹は再びキスをしようと唇を近づける。
俺は、そんな妹を突き放すように押しのけた。
「やめろ! 何考えてんだ!!」
「……浩介さんがそうさせたんですよ。私から、離れようとするから」
「お前のためを思ったんだ!」
「約束したじゃないですか、一緒にいると。誓ったじゃないですか、離れないと」
「あの頃とはもう状況が違う!」
「どんな状況でも左右されないのが約束!! 守られるのが誓いです!!」
妹の叫びは今までのどの言葉よりも強く、そして悲しく響いた。
もう後戻りはできない。
そんな覚悟を決めたかのような、必死な叫び。
「もう、遅いんです。もう、諦めて。
そして妹だった女はゆっくりと俺に覆いかぶさり、口づけをした。
俺の顔に一滴の涙が零れ堕ちる。
その涙に、どんな思いが込められているのか。
俺はそんなことを考えながら、女の頭を撫でた。
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