第5話 何かのフリ
中学校生活、最後の冬。
周囲は高校受験にむけて最後の追い込みをかける大事な時期。
教室の雰囲気もガラリと変わり、休み時間にも勉強をしている奴も珍しくはない。
そんな中、教室の端でそれらをボーっと観察している二人組。
俺と、小学校からの友人である田中。
「はぁ、やだねー……なーんか殺伐とした感じ? 駄弁ってたら怒られそうじゃん」
「そうだな。みんな、余裕がないんだろ」
「ずいぶん他人事じゃんよ、柳川。お前は高校どこ行くんだっけ?」
「え? ……あぁ、そういや言ってなかったな。俺、高校行かねーんだわ」
「え、マジ? どーすんの?」
「ま、妹様のお手伝いになるんだよ」
「へぇー。そっか……イイじゃん」
意外にも、俺が高校に行かないということを打ち明けたのはこの時が初めてだった。
学校の進路調査票には行く気のない高校の名前を書き、他の友人たちにも何となく話を合わせてはぐらかしていた。
何故田中に打ち明けてしまったのか、自分でも分からなかった。
だが、田中の淡泊な反応を見て分かった。
俺は、誰かにこの決断を肯定して欲しかったんだ。
両親はもちろん、教師や他の友人ではこういう反応にはならないだろう。
いい意味で、こいつの個人主義的な距離感が今は心地いい。
「ははっ、あっさりした反応。お前は高校行くんだろ?」
「おー、もちろん。私立大学付属高校よ。ま、よゆーっしょ」
飄々とした態度ではあったが、それを裏付ける実力がこいつにはある。
小学校の頃は俺と対して差が無かったはずなのに、今では偏差値70越えの秀才となった。
田中だけじゃない。
昔から見知った奴らも全員、運動や外見、才能、性格までも個々の特徴がでてきて、これから各々の道へ進んでいくんだなと予感させた。
変わっていないのは、俺だけ。
たぶんそれは錯覚で、他の奴も自分だけが取り残されているという不安が多少なりともあるかもしれない。
だけど、それを確かめる術は俺にはない。
見えないものは、ないとの同じだ。
だからこそ、俺は羨んだ。
自分の望めないものを。
「いいなぁ。俺も高校、行きたかった」
「そぉかー? 俺は正直、ちょっと嫌だな」
「なんでだよ。高校生になったらバイトして夜まで遊んで、今より自由そうじゃん」
「だよなぁ……でもさ、自由ってちょっと怖くね?」
「怖い? なにが?」
「親のいう事聞いて、勉強して、部活して……で、合間にダチと遊んで。たぶん、これくらいが丁度いい。急に『好きなことをずっとやれ』って言われても、きっと俺はすぐ『何をすればいいですか』って他人に訊いちまう。案外、誰かに何かをしろって言われてるときの方が楽だね」
「…………まあ、何となく分かるけどさ」
「そういう意味じゃ、柳川の方が俺は羨ましいよ。やるべきことが明確で。それに、少なくとも妹ちゃんには必要とされてるってことだろ?」
「そう、かもな」
田中なりに、気を利かせたのだろう。
根拠のない大丈夫や頑張れといった励ましより、よっぽどいい。
何も心配無さそうな奴なのに、こんなことで不安を抱えているんだと思うと、俺の不安も大したことないのではないかと思える。
それに……
――妹に必要とされている、か。
妹に選択を迫られたあの夜、俺はあの時からずっと、妹のことが少し分からなくなっていた。
あんなことがあったというのに、妹は何事も無かったかのように日常に戻り、日々を送っている。
それはもちろん俺が望んでいたことであったし、妹も俺にその気がないのだと理解してくれたと信じている。
だが、ふと不安になるのだ。
……果たして妹は、本当に諦めてくれたのだろうかと。
しかし、確かに田中の言う通り、ただ必要としているだけなのかもしれない。
小さい頃から普通とは違う人生を歩んでいる妹だからこそ、色々な不安を抱えているだろう。
純粋に、信頼できる兄に傍で支えて欲しいだけかもしれない。
キーンコーンカーンコーン
「チャイムだな。……ま、卒業してもまた会って飯でも食おうぜ」
「おう。サンキューな、田中」
その日の晩。
妹も仕事がはやく終わり、久しぶりにゆっくりと家族全員揃って夕食を取ることになった。
テレビでは、妹の出演しているドラマがやっていた。
そのドラマでは、妹はヒロインの親友役を演じている。
しかし、今回の話で衝撃の事実が明かされた。
なんとヒロインと親友は、実は一人の人物だったという設定である。
「おぉ!! まさかこんな展開になるなんてなぁ!」
「確かに、今思い返せば二人が揃って映っているシーンなかったわねぇ!」
「へぇー、全然分かんなかった。意外なオチだな」
「……」
妹は自分の出演ドラマに興味がないのか、いつも通り黙々とご飯を食べている。
しかし、今回ばかりは両親だけでなく俺もテレビに釘付けだった。
何だかんだ俺も妹の出演しているものは一通りチェックしていたのだ。
そして、ドラマも終わりに近づき、エンドロールが流れ始める。
そこで俺はもっと驚いた。
そのドラマは、今までヒロイン役の女優の名前は明かされていなかった。
初めてヒロインを観た時も誰なのか分からず、無名の新人が大抜擢されたのだと思っていた。
それがなんと、今回のエピソードでヒロイン役の女優が明らかとなる。
――柳川 咲、と。
「「「えーーー!!」」」
ドラマの設定だけでなく、演じている役者まで同一人物だったということである。
ヒロインとその親友役は性格も見た目も全く異なっていたため、我が家が騒然となるのも仕方がないだろう。
「え、これ本当なの!? 咲ちゃん!!」
「う、うそだろ! 俺が、自分の娘だと分からなかったということか!?」
「……本当です」
何でもないことかのように、コクリと頷く妹。
「な、なんで今まで黙ってたんだー! お父さん、悲しいぞ!!」
「いや、言う訳ないだろ親父。でも、本当にすげーなぁ……」
昔はテレビに映る妹の仕草が不自然なものだと、嘘くさいものだと思っていた。
今でも、テレビで観る妹の笑顔に違和感を覚えることがある。
だけど、妹が本気で騙そうと演技すれば俺だって気付くことができないんだと今回で分かってしまった。
「ありがとうございます。……――そんなことよりも、兄さん」
「な、なに?」
妹の演技力に沸いていた食卓に、妹の少し大きな声が通った。
両親も何事かと会話を止め、妹の言葉を待つ。
「お父さんとお母さんに、そろそろ伝えなくていいんですか? 今後について」
「あ、あぁ……そうだな……」
「どうしたのよ、急に。今後についてってどういうこと?」
母親はキョトンとした表情で妹と俺を交互にみて訊ねる。
親父はただ黙って見守っている。
妹は、どこか嗤っているようにみえた。
「俺、高校には行かない。咲の手伝いをするよ」
「――――」
母親をみて、言葉を失うとはこういうことなのだろうと思った。
さっきのドラマの驚きとは比較にならないほど、母親は動揺している。
――……衝撃の告白から、何秒経っただろうか。
テレビのコマーシャルと秒針が時を刻む音が不気味に大きく感じる。
このまま永遠に続くのではないかと思うほどの静寂。
しかし、それも次の瞬間に終わりを告げる。
固まっていた母親が顔を真っ赤にして叫ぶ怒声によって。
「なにバカなこと言っているの!! そんなの許すわけないでしょ!!」
予想通りの反応をみせる母親は立ち上がり、俺と妹を叱るように睨んでいる。
俺は、母親と目を合わせることができなかった。
文字通り、親に怒られる子供の図だ。
しかし、妹にとってそれは大した問題ではなかったらしい。
毅然とした声色で、怒り狂う母に妹が反論した。
「兄さんの決めたことに、お母さんの許可が必要ですか?」
普段、家では物静かで物分かりの良い妹の、生まれて初めての反抗期。
「さき……ちゃん? ど、どうしたの? どうしちゃったのよ!?」
「私は、兄さんの味方です。兄さんの選択を尊重します」
「――――っ!」
母親と妹は口論になった。感情的に訴える母と淡々と反論する妹は、結局どちらも譲ることは無く平行線のまま。
最後は母親が涙を流しながら寝室へと逃げるように籠る事態となる。
その後、妹は表情になんの変化も無く、ただ母の代わりに夕食後の片づけを始めていた。
意外だったのは親父だ。
俺の進路について賛成も反対もせず、ただ事態が収まった後、俺に「すこし散歩に行かないか」と誘った。
俺は親父の誘いに乗り、家に母親と妹を残して近くの公園まで歩いた。
「人は、いつも何かのフリをしている」
公園に着くと突然、親父が語りだす。
いつものおちゃらけたトーンでなく、酷くまじめな声色で。
「何かの、フリ?」
「あぁ。俺で言えば、父親のフリであったり、夫のフリであったり、少しバカなフリだってする」
「……演技してるってこと?」
「ははっ。近いけど、少し違う。何かのフリってのは、嘘じゃあねぇんだ。実際、俺はお前たちの父親だし、母さんの夫なのは事実だろ」
「じゃあ、何なんだよ。そのフリって」
俺は、少し戸惑った。
目の前にいる親父は、いつもの親父には思えなかったからだ。
具体的に言えば、よく知らない大人が俺に語り掛けているような感覚。
「自分の中にある『そうであるべき』という概念を自分自身を使って具現化すること……と、俺は思っている」
「いや、よくわかんねーよ」
「だよな、ははっ。ま、簡単に言うと、目的の為に都合よく自分を変えちまうのが人ってもんなんだよ」
「目的?」
「あぁ。もし、本当に咲の傍で支えたいっていうなら、お前は今までのように兄のフリだけで十分だったはずだ」
「……」
「お前が妹に養ってもらおうなんて考えるような奴じゃ無いってのは俺がよく知っている。だからこそ、不自然に現状を変えようとする選択に俺は納得がいかねぇのよ。……――浩介、咲と何かあったのか?」
何かあったのか。
間違いなく、あったさ。
でも、そんなこと親には言えない。
だって、そんなことを言えば家族がバラバラになる気がして、言えないんだ。
だから、俺が何とかする。
そのために、俺は選んだのだから。
「――――いや、何もない。大丈夫だよ」
「……そっか。大丈夫、か」
親父は、それ以上は何も言わなかった。
ただ、帰り道にみた親父の背中はとても大人に見えた。
家に着くと、親父は「母さんのことは任せろ」と言って寝室へと向かった。
俺は1階の洗面所で顔を洗い、自分の部屋に向かって階段を上った。
そして廊下を進み、自分の部屋の扉を開ける。
電気が点いていないため部屋は真っ暗だったが、そのまま寝るつもりだったので電気は点けないままにした。
そして、俺は暗闇の中ベッドの布団に入ると違和感に気付いた。
――布団の中が、温かい。
その理由はすぐに分かった。
布団の中から聴こえてくる、声によって。
「おかえりなさい。兄さん」
「うわっ! びっくりしたぁ……」
「驚かせてごめんなさい」
「なんで俺の部屋にいるんだよ!」
俺は起き上がり、照明を点ける。
「別に、いいじゃないですか。兄妹なんだし」
「……」
兄妹。確かに、そうだ。
少なくとも、俺はそう思っている。
妹は……――いや、妹を疑いたくはない。
だから、俺は確かめなくちゃいけない。
「なぁ、咲。お前、今でも俺の妹だよな?」
「――――フフ、ヘンな兄さん」
妹はただ笑ってみせた。テレビに映る時のように。
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