問九の答え☆
「蝉の声……やっぱり懐かしいな。聞くと悲しい事思い出すのに。もう二度と帰らないって思っていたのに」
年月を重ねた大木にぐるりと囲まれた公園は、世界から隔絶されたような錯覚を起こさせる。シャンシャンと騒がしいクマゼミ、みーんみーんと上品に鳴くミンミンゼミ、そこに物悲しく控えめに、カナカナカナとヒグラシの声も混ざる。
二人で静かに耳を傾けていると、突然彼女の頬をポロリと涙が伝い落ちた。
「二度と帰らないって、実家のこと?」
「ええ。近所に小さな神社があって境内には大きな木がいっぱいあったんだ。あの日もこんなふうに蝉が鳴いてた……」
僕は彼女を真っ直ぐに見て言った。
「話して欲しいかも。何がそんなに君を苦しめているのか」
彼女はしばらく逡巡していたが、覚悟を決めたように話し始めた。
「あの日……私と弟は一緒に蝉取りに行ったの。でもなかなか捕まえられなくて、弟がごね始めて、喧嘩して私は先に帰って来ちゃったんだ。そうしたら弟が迷子になって、警察にもお願いする大事になっちゃって。お母さんにめちゃくちゃ怒られて……それから避けられた」
「そんな……だって柚子ちゃんだって小さい子供だったんだよね」
「そうだね。私が小学校二年生。弟が幼稚園の年長さん」
「そんな子供に責任取らせるようなこと、普通はしないよ」
僕は猛烈に腹が立ったので、思わず声が大きくなる。
「うん、そうだね。でも私、弟が死んじゃうかもって思ったら本当に怖くて、見つかった時物凄く安心したんだ。だからそれからは、弟を大切にしようって、本当に一生懸命だったんだけど……でも弟とも遊べなくなっちゃった。お母さんは私が嫌いだったの。お父さんの連れ子だったから」
僕は弾かれたように立ち上がると彼女を抱き寄せた。
一人ぼっちで膝を抱えて泣いている少女が脳裏に思い浮かぶ。
僕の胸で肩を震わせながら泣きじゃくる柚子は、消え入りそうに儚くて僕は必死に力を込めた。
僕がたてた音に驚いたのか、蝉が一斉に鳴き止んだ。
一瞬の静寂が辺りを包み、太陽が最後の光を僕たちに届けてくれている。
オレンジ色に変わる木々。
明日も晴れる……僕は心の片隅で、祈る様にその言葉をつぶやいた。
「悲しくて、寂しくて……私はその鬱屈した気持ちを友達に向けたちゃったの。仲の良かった子に依存して甘えた。嫌だってことを散々やっておきながら、それでも嫌いにならないでって泣いて謝って縋って……私最低だったの。だから、自分が嫌で嫌でここに逃げてきた」
「柚子ちゃん、もういいよ。そんなに自分を責めるなよ」
「ありがとう。でも最後まで話させて。もうあなたに偽っていたくないから」
柚子はそう言って顔を上げると、弱々しく笑った。
「ここへきて、誰も知り合いがいなくて、正直ほっとしたわ。新しい自分になれると思った。生まれ変われると思ったの。自分の好きな自分。本当になりたかった自分に生まれ変わろうって……」
「そうだよ。君は生まれ変わったんだ。柚子ちゃんは明るくて優しくて、僕にはいつも眩しいくらいの頑張り屋さんだよ」
僕は心の底からそう言った。だって、今の彼女は本当に明るくて優しいんだから。
「そんな風に言ってもらえて嬉しい。でもそんなに簡単じゃなかった。直ぐにダメな私が顔を出すのよ。あなたを疑って試そうとするわがままな私が。あなたも感じたでしょう。私がいつもいつも無茶な二択を迫って。いい加減にしろよ、うんざりだって」
「別に僕は気にしていなかったよ。だって、それだけ僕の事を想ってくれているんだって思ったら、むしろ嬉しかったよ」
柚子の目からまた新たな涙が溢れる。
「そうやって二尋君は、優しいから、私はきっともっともっと甘えてしまうわ。でもこれ以上あなたに迷惑はかけられない。だから」
「別れないよ!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
そう、僕はいつも誰かの顔色を伺って生きてきた。
みんなに嫌われないように。みんなのためになるように。
そうしていれば、みんなから必要とされるから。
でも、一度くらいわがまま言ってもいいだろう。
僕は君と別れたくないんだ。傍に居て欲しいんだ。
君にとってそれが辛い過去と向き合うことになったとしても、僕は君に傍に居て欲しい。
だから僕も僕のことを伝えるよ。
驚いたように見開いた君の瞳を覗き込みながら、僕は呼吸を整えた。
そしてできる限り穏やかな声で話し始める。
「依存されてもかまわないんだ。いや、むしろ依存して欲しいよ。だって僕は今まで誰にも必要とされてこなかったんだから」
「え? そんなはずないわ。職場で二尋君がどんなにみんなに頼りにされているか知っているんだから。あなたがいてくれるから、失敗しても大丈夫だって。思い切ったチャレンジができるって、課長ですらべた褒めだったわよ」
「それは僕が理想の自分を演じていたからさ。誰かの役に立たないといけない。役立たずは好かれないからみんなの役に立とうとしてきたんだ。でも疲れたよ。役立たずでも何でも丸ごと必要としてくれる人が欲しいんだよ」
「そんな、二尋君のこと愛さない人なんていないわ。職場のみんな、本当に二尋君の事好きよ。それに、私は……好きすぎてあなたを独り占めしたくなってしまうくらいなのよ」
「ありがとう、柚子ちゃん。そんな柚子ちゃんだから、僕は君を手放したくないんだよ。今までそんな風に無条件にがむしゃらに僕を愛してくれた人なんていなかったから」
「どういう事なの?」
「僕も同じってことさ」
「二尋君も同じ?」
「ああ、僕の親は僕を捨てて出て行ったんだ。何か月もたってようやく発見されて、養護施設に預けられて……今親はどこにいるかもわからない」
「そんな……二尋君はみんなから愛されて育った人だって思っていた。だからあんなに明るくてみんなに優しいんだって」
「愛されなかったから、愛されるのに必死になっていただけさ」
僕の自嘲気味の笑みに、柚子ちゃんが真剣な眼差しを返してきた。
その顔が赤紫に染まり、瞳の力だけが異様に強い。
僕たちの愛は自分勝手な愛かもしれない。
お互いを束縛する愛かもしれない。
でも、そんな愛にも明日があったっていいよね。
そんな愛に支えられる関係があったっていいはず。
「頼ってしまってもいいの?」
「ああ、柚子ちゃんに必要とされている……それが今の僕の生きる原動力だから。君がいなくなったら僕は生きていけないよ」
「私も、本当は二尋君がいなくなったら生きていかれないの」
「だったら……これからも僕に無茶な二択を投げかけてくれよ」
「ありがとう。うん、これからも思いっきりあなたに甘えて困らせるような二択を投げかけるわ」
それが私達の『アイラブユー』の伝え方だから……
おしまい!
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