問六の答え☆

 ファッション雑誌の編集の仕事をしている彼女は、ずっとパリ支部に行くことを希望していた。

 ココには戻らない……それは向こうで認められ成功したいと言う固い決意が込められているのだろう。


 それに比べて、僕はファッションに疎いし仕事で成功などと言う野心も持ち合わせていない。

 でも高校時代から付き合い始めた彼女と一緒に居たくて、故郷を離れて一緒の大学に進み、東京で就職もした。

 結局は子どもが好きだったから、小学校の教師になったんだけれどね。


 元々故郷から離れているし、一緒に来て欲しいと言われてどこへ行ったとしても、同じと言えば同じだ。

 でも、僕にも可愛い生徒達がいる。直ぐには無理だ。

 それに、流石にパリはハードルが高い。言葉の壁も文化の壁も高すぎる。


「僕には……無理だよ」

「そうよね……そう言うと思っていたわ。大丈夫よ。分かっているから」


 彼女は伸ばした手を慌てて降ろすと、無理やり笑顔を作ってそう言った。


 彼女の瞳が瞬きを増し、涙を我慢しているようにも見える。

 僕は自分の言葉を後悔した。

 彼女が東京に行くと言った時は、自分から『付いて行く』と言えたのに。

 今回はどうしても、その一言を言うことができなかった。


「ごめんね。一度だけわがままを言ってみたかったの」

「いや、僕のほうこそ、君の夢を知っているのに、全力で応援できなくてごめん」

「ううん。いいの。自分の夢なのにね。あなたに支えてもらおうなんて甘い考えじゃ、そもそもだめよね」


「でも、ここで待っているから」

 それだけはもう一度伝えたておきたいと思った。

 一緒には行かれないけれど、ここで僕が待っていると言う事だけは忘れて欲しく無くて。


 彼女は嬉しそうに笑って頷いた。


 そうして一か月後、彼女は慌ただしくパリへと旅立っていった。


 ☆


 最初のうちは毎晩のようにLine通話でやり取りをしていた。

 彼女が仕事から帰る二十二時は、僕にとっては朝の五時。

 そんな時差も気にしないくらい、画面ごしに二人で語り合った。

  

 でも予想通り、時と共に通話の回数は減ってくる。

 忙しいのは彼女が周りから認められているからだと、良い方に考えていたけれど、あきらかに減ってしまった会話は、更に二人を遠ざける。

 

 遂に彼女からの連絡は途絶えてしまった。

 彼女の言ったとおり、離れたことは僕のためにならなかった。


 そんな事実を突きつけられても、あの時行けないと思った気持ちに、今も後悔は無かった。同時に、彼女を恨めしく思う気持ちも無い。


 彼女がパリへ旅立ってから早三年の歳月が流れていた。



 

 三月は時の流れを否応なしに突き付けられる時期だ。

 大きくなったら先生のお嫁さんになってあげるなどど嬉しい事をいいながら卒業していく子達を見送りながら、僕は相変わらず一人で暮らしていた。


 別に結婚しないと決めたわけでは無い。

 帰ってこない彼女を待ち続けている痛い奴、でも無いはず。

 

 要は彼女以上の人にまだ出会っていないだけなのだ。

 ただ、それだけ。



 そんなある日、自宅マンションの扉の前に見覚えのある姿を発見した。


 いや、以前よりも更に細く、オシャレな佇まい。


「柚子……」

 

 振り返った柚子の顔が安堵したように儚く微笑んだ。


「久しぶりね」

 僕は直ぐには言葉が出なくて、立ち止まって見つめるばかり。

「元気そうで良かったわ」


 早く何か言わなければと思った。


「いつから……待っていたんだい?」

「ちょうど今来たばかりよ」


 そんなのは嘘だとバレバレだった。

 三月の風はまだまだ冷たい。

 彼女の体はすかっり冷え切っているようで、顔が寒さで白く透き通っている。


「とりあえず中に入ろう」


 柚子の顔が一瞬泣きそうになって、瞳の瞬きが増えた。

 

 ああ、あの時と変わらないな。

 僕は既視感を覚える。


 今回もまた、彼女は無理やり笑顔を作って言った。

「ううん。もう帰るから」

「パリへ?」

「え、ええ」

「じゃあ、空港まで送って行くよ。車で話しながら行こうよ」

「そんなに甘えるわけには」

「僕は大丈夫だよ」

 その言葉に、彼女の抑えていた感情が溢れ出た。


「もう……なんでそんなに優しいのよ」

「え?」

「優し過ぎて、甘えちゃいけないってわかっていても甘えたくなっちゃうじゃない」


「別に甘えてくれていいよ」

「だめよ。私は自分であなたの手を切ったのよ。それなのに今更あなたに甘えるわけにはいかないわ」

「どうして? 僕は付いて行かないと言ったけれど、待っているって言ったはずだよ。ずっとここで待っているって」


 彼女の瞳からはらはらと涙がこぼれ落ちた。

 そして小さな小さな声で言う。


「もう、パリには戻らないの。辞めたのよ。辞めて帰ってきたの」


 僕はかける言葉を失って、とりあえず部屋の鍵を開けて彼女を招き入れた。


 部屋を暖めて、温かい飲み物を用意する。

 彼女の好きだったアールグレイティー。

 これだけはいつも常備していたんだ。

 

 砂糖とミルクを入れて、甘めに仕上げた。


 彼女は懐かしそうに見つめてから、それをを抱えるように手の中に収める。

 ずっと出番が無くて寂しそうだった彼女専用のマグカップも嬉しそうだ。


「ファッションは今でも好きなの。でも他人を蹴落としてまで自分が前に出ることは、私にはやっぱり無理だったの。疲れ切って、何もかも嫌になって、あなたに会いたくてたまらなかった。勝手にあなたを残して出て行ったくせにね。都合よすぎるわよね」

 

 ぽつりぽつりと語り始めた。

 パリでの日々を。

 楽しかったことも、辛かったことも。


 カップがすっかり空になった頃、彼女は穏やかな表情になって僕に礼を言った。


「二尋のお陰でまた元気が出たわ。ありがとう。出会ってからずっとだね」

「何が?」

「ずっと、あなたは私を支えてくれているのよ。一緒にいる時も、離れている時も。そして、今だってこうやって話を聞いてくれて」


 ああ、そうか!

 

 なぜあの時、僕は一緒に行きたく無いと思ったのか。

 ようやくわかった気がした。

 僕は彼女のホームになりたかったんだ。

 彼女が出かけていって戦い疲れたら帰って来れる、故郷みたいな存在。

 ずっと変わらずここにいる存在。


 僕は、前へ前へと頑張って進む彼女を見ているのが好きだった。

 新しい事を貪欲に吸収する彼女のバイタリティが眩しかった。


 対する僕は、急激な変化が得意では無い。

 だから僕の持っていないものを持っている彼女を素敵だと思ったし、純粋に応援したいと思っていた。

 

 もしあの時、彼女と一緒にパリへ行ってしまったら。

 僕は新しい生活に慣れるのにいっぱいいっぱいで、きっと余裕が無くなってしまっただろう。

 もしかしたら、僕自身が大きく変わらざる負えなかったかもしれない。

 そんな状態で、果たして彼女を支えてあげられただろうか?

 

 それは僕の望む愛し方じゃなかったんだ。


 柚子もそれに気づいたから、こうやって訪ねてくれたんだろう。


 僕は初めて彼女にわがままを言いたくなった。


「ねえ、今度は僕のわがままを聞いてくれないかな」

 

 彼女は目をまん丸にして僕を見つめた。


「ほんの少しの間でも構わないから、僕と一緒にいて欲しいんだ。君がまた新しいチャレンジを始めるまでの間でいいから」


「少しの間なんて……そんなのもう無理だわ」

 彼女はきっぱりと否定した。


「……そうか」

 たった一度のわがままは、やっぱり聞いてもらえないようだな。

 僕は今度こそ、彼女をあきらめないといけないんだなと目を伏せた。


「二尋は優しすぎる。そうやっていつまでも私のわがままを許そうとしてくれて。でも……私が嫌なの。あなたを失うのは怖いの」


 僕は弾かれたように彼女を見つめ返した。

 彼女の瞳から再び涙が溢れ出す。


「ずっとがいいの」

 僕はみなまで聞かずに抱きしめた。


「もうあなたを手放したくない。許されるのなら、ずっと一緒に居させて欲しいの」 

「許すも何も……僕はずっとここで待っているっていっただろう」


 僕は彼女の涙をそっと指で拭うと、その瞳を見つめて笑いかけた。


「おかえり。柚子」

「ただいま……ふた……」


 僕はもう、最後まで言わせはしなかった。



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