第7話

「何なのこれ! 周りの人たちは何も反応しないし動いていない! なんで、みんな目元だけが暗いの!」


 私の胸にも何とも言えない恐怖が、ざわざわと膨れ上がってくるのを感じた。けれど、勇気を持って辺りを見回す。目の辺りが暗い人々は何も反応をせず、それどころか身動き一つしていなかった。


「大丈夫。恵……」 


 スラリとした女性の方は、青い顔で恵と呼んだ小柄の女性を気遣う。彼女も声が震えていた。


「何だよこれ!」


 私はこの異変で、すっかり混乱し立ち上がろうとした。私の心を恐怖が襲う。


「待って、動かないで!」


 スラリとした方の女性が、急にしっかりした声で叫んだ。


 私の頭は恐怖で一杯になりそうだったが、その一言で何とか意志の力で抑え込むことに成功し、元通りに座席に座った。


「これって、何なんだ!」


「解らないわ! けれど、今は動かない方がいいわ!」


「どうして!?」


 私は震える体を極力抑え、自然に力がこもった目でスラリとした方を睨んだ。


「睨まないで! 落ち着いて! 私には感じるの。今、動いたら駄目だと……」


  落ち着いた声色で、スラリとした女性が青い顔ながら言った。


  今度は訝しい気持ちが胸に膨らむ。


「私は、呉林 真理。あなたは」


「赤羽 晶」


 私は訝しい気持ちを声にだした。


「私、まじないをやっているの。大学生よ。何か話していましょう。怖さが薄くなるわ」


「俺はエコールって会社で、アルバイトをしているフリーターだ」


 私は努めて平静な声にして話した。けれど、体は正直で震えが止まらなかった。


「この子は、安浦 恵。同じ大学の友達なの」 


 呉林の声は少し震えてはいるが、それでも私よりはだいぶましな方だった。安浦といわれた子を宥めながら代わりに紹介してくれた。


「どうしてこうなったんだ?」


 私は少し詰問気味に言ってしまう。


「解らないわ。でも、動くと良くないっていうのは解るの。いや、感じるの。とても。」


 呉林は泣きじゃくる友人の頭を撫でながら、正面の手摺りにつかまっている人々を見つめる。それは、どこか遠い別のところを見ている風だ。


 私は訝しんでいるのだが、どうしても怖くて呉林の言いつけを守っていた。どちらにしても、この状況で動いてみてもしょうがなかった。微動だにしない人々をどかしどかし進んでみても、次の車両の様子を見る勇気は私には無い。


「お願い止まって。止まって、止まって、止まって」


 安浦は俯いたまま呪文のように呟きだした。


 電車は本来停車するはずの駅を、まるで気付かないかのように通り過ぎて行く。ホームにいる人々も時が止まったかのように微動だにしない。電車のスピードが上がる……。


 意志でなんとか抑えていた恐怖が、破壊的で強力な衝撃となって胸を激しく叩きだした。


「お……落ち着きましょう。きっともう少しで何もかも終るわ」


 まるで、ジェットコースターと化した電車の中で、ついに呉林もどうしようもない恐怖を覚えた。震える声で言いだす呉林の声を聞いていると、突然、アナウンスが、


「まもなく終電の……」


 と放送するのが聞こえる。そして、電車が急ブレーキをかけた。


「きゃーーーー!」


 急ブレーキによる衝撃から、呉林と安浦がついに悲鳴を上げる。私は恐怖と衝撃で体が固定できなくなっていた。座席から投げ出されそうで、必死に体を固定するが、意識が朦朧とする。目の前が暗くなる寸前。


「ピー、ピー、ピー」


 携帯の音だと解った。

 何故か目覚まし機能は今日の午前の8時00分に作動するようになっていた。24時間後の6時00分ではなく……。慌てていたので今朝に作動するようにしてしまい。8と6を間違えたのだろう。そして、私は不安定な姿勢から、恐怖で麻痺した頭で、何かにしがみつくかのように携帯の目覚まし機能を消していた。


…………


 気を失ったのか。暗闇から目を開けると、ほんのり明るい光の電車の中だった。隣に顔を向ける。目を固くつむった安浦と呉林がいた。


「おい、起きるんだ! 助かったぞ!」


 回りの人々が私に注目したが、気にする余裕がないので、放っておくことにする。みんな目の辺りは暗くなっていない。普通の目元だ。

安浦と呉林は目をゆっくりと開ける。



 安浦は嬉しいのか未だに怖いのか、泣き顔をしていて、


「助かったの。あたしたち」


「終わってくれた! 助かったんだわ! ああ、よかったわ!」


 そう言った呉林は涙目だが何らかの自信のある顔だった。


 私たちは周囲の目を気にせずに、肩を叩いたり手を打ったり喜び合った。

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