第3話 謀 攻 篇 第 三 

(原文)一 孫子曰く、凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ。旅を全うするを上と為し、旅を破るは之に次ぐ、卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ、伍を全うするを上と為し、伍を破るは之に次ぐ。故に百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。


一 孫将軍は言う、戦争の原則としては、敵国を、無傷でそっくりそのまま手に入れることを最上と為し、戦争でこれを打ち破って屈服させるのは次善の策である。

 軍隊を無傷でそっくりそのまま手に入れることを最上と為し、戦闘でこれを打ち破って屈服させるのは次善の策である。

 旅団を無傷でそっくりそのまま手に入れることを最上と為し、旅団を打ち破って屈服させるのは次善の策である。

 大隊を無傷でそっくりそのまま手に入れることを最上と為し、大隊を打ち破って屈服させるのは次善の策である。

 小隊を無傷でそっくりそのまま手に入れることを最上と為し、小隊を打ち破って屈服させるのは次善の策である。(※1)(※2)


(※1)※軍は一万二千五百人の軍隊。天子は六軍(七万五千人)、諸侯は三軍(三万七千五百人)とされる。旅は五百人、卒は五百人から百人、伍は五人以下の部隊。


(※2)形篇第四 二 「故に善く戦う者の勝つや、(奇勝無く、)智名も無く、勇功も無し。」とある通り、真に優れた勝利とは、戦争に依らず、戦闘に依らず、将軍の高等な戦術に依って、開戦の前に、全く危険を犯さず、何らの損害も出さずに、水面下で手中にされた物を言う。故に、凡百の者には勝利の形が理想的であればある程、その価値が理解できないので、一見何事も無かったかの様に見えるのである。


(訳)以上の様な訳で、百戦して百勝するのは、敵味方共に莫大な人的・経済的損失を伴う戦闘を、百回してしまった時点で、既に最上の戦術とは言えないのである。

未だに戦わずして、敵国・敵軍を屈服させることをこそ、最上の戦術と呼べるのである。(※3)(※4)


(※3)作戦篇・一・二 で述べられている様に、戦争は必ず大きなコストを伴う。百戦する為には、必ず想像を絶する莫大な代償を支払らわなければならず、それは国家の経済と国民の生活を著しく圧迫する。そして戦闘する度に多数の戦死者を出す羽目になる。火攻篇・四 に「亡国は復た存す可らず、死者は復生きる可からず。」とある様に、一度、国家の存亡、国民の生命で支払った代償は、如何なる勝利を以てしても取り返すことはできない。


(※4)作戦篇・三 の「敵に勝ちて強を増す。」の理論に沿って考えれば、極力戦闘を回避し、敵国にも、自国にも、何ら損失を生じること無く、敵国全てを我が物として終結させるのが戦争の理想形である。 

 そして、その為には、「上兵は謀を伐つ。」と次段で述べられている通り、敵国が武力を発動する前の計謀の段階で、これを打ち破るのが最上の戦術である。



(原文)二 故に上兵は謀を伐つ。その次ぎは交を伐つ。その次ぎは兵を伐つ。その下は城を攻む。攻城の法は已むを得ざるが為めなり。櫓・轒轀を脩め、機械を具うること、三月にして後に成る。距闉又三月にして後に己わる。将、其の忿りに堪えずして、これに蟻附すれば、士卒の三分の一を殺して而も城の抜けざるは、此れ攻の災なり。故に善く兵を用いる者は、人の兵を屈するも而も戦うには非ざるなり。人の城を抜くも而も攻むるに非ざるなり。人の国を破るも而も久しきには非ざるなり。必ず全きを以て天下に争う、故に兵頓れずして利全くすべし。此れ謀攻の法なり。

(訳)二 前段で述べた訳で、最も優れた戦術とは、敵の軍事力を、その発動前の計謀の段階で阻止することである。その次に優れた戦術とは、敵国と同盟国との親密な外交関係を阻害することである。その次善の戦術は、敵軍を武力で攻撃することである。そして最も不味いのは、城攻めをすることである。


 城攻めというのは、止むを得ない時にだけするものである。大型の盾や城攻め用の戦車を配備し、必要な機材を備える為には最低でも三ヶ月の期間を要する。土塁を築き、敵城の周りに堀を巡らすなどの土木工事は更に三か月掛かってやっと終わる。(※1)


(※1)戦争の長期化と、それに伴う経済的損失を強く戒める孫氏は、必ず時間・物資・労力を大きく消費する城攻めを、最も拙劣な戦術と断定している。

 

 将軍がその間、敵への憎しみと焦りの感情を抑え切れず、兵士たちに一斉に城壁をよじ登って攻撃する様に命令を下したりすれば、兵士の三分の一を戦死させても、尚、一向に城が落ちないという様な有様になる。これこそが城攻めの災厄の最たるものである。

 であるから、巧みに軍を運用する将軍は、敵兵を屈服させるのも戦闘に依ってではなく、敵の城を攻め落とすのも城攻めに依ってではなく、敵国を敗北させるのも長期戦に依ってではない。

 必ず、極力戦闘を回避し、敵国にも自国にも何ら損害を出すこと無く、敵国を無傷の状態で屈服させて手に入れる、完全な形での勝利を求めて諸国と争うのである。


 故に軍隊を全く疲弊せせること無く、戦争から得られる利益を残らず手にすることができるのである。以上が計謀で敵を攻める戦略である。(※2)


(※2)戦争に於いて、国家の存続が絶対条件であるならば、軍隊は平時から、最悪の場合、百戦してしまったとしても、必ず百勝できる態勢を維持していなければならない。つまり、軍隊にとっては平時も常に、単なる武力による戦闘を伴わない形式の戦争状態でなのである。こうした軍事力の脅威が有ればこそ、計謀の段階で、敵国の軍事力の発動を牽制し、外交関係を操作することができる。



(原文)三 故に用兵の法は、十なれば則ち之を囲み、五なれば則ち之を攻め、倍すれば則ち之を分かち、敵すれば則ち能く之と戦い、少なければ則ち能く之を逃れ、若かざれば則ち能く之を避く。故に小敵の堅は大敵の擒なり。

(訳)三 そこで戦争の原則としては、自軍の戦力が敵軍と比べて、十倍であればこれを包囲し、五倍であればこれを攻撃し、二倍であればこれを分断し、同等であれば力の限り戦闘し、劣っていれば迅速且つ整然と退却し、それも叶わなければ上手く隠れてやり過ごす。

 だから、自軍の戦力が、明らかに敵軍に劣っているにも係わらず、あくまで強気な体制で戦闘に臨めば、捕虜にされてしまうのがオチである。



(原文)四 夫れ将は国の輔なり。輔周なれば則ち国必ず強く、輔隙あれば則ち国必ず弱し。故に君の軍に患うる所以の者には三あり。軍の進む可からずを知らずして、これに進めと謂い。軍の退く可からざるを知らずして、これに退けと謂う。是れを軍を糜すと謂う。三軍の事を知らずして三軍の政を同じうすれば、則ち軍士惑う。三軍の権を知らずして三軍の任を同じうすれば、則ち軍士疑う。三軍既に惑い且つ疑うときは、則ち諸侯の難至る。是を軍を乱して勝を引くと謂う。

(訳)四 そもそも、将軍とは国家の補佐役である。補佐役が君主と、親密であれば国家は必ず強大であり、疎遠であれば国家は必ず弱体となる。

 

そこで、君主が軍隊の悩みの種になる原因には三つのものがある。


 一つ目は、君主が、自軍が進撃してはならない局面にあるのを理解せず、これに進撃せよと命令し、軍が退却してはならない局面にあるのを理解できずに、これに退却せよと命令する。これを軍の自由な行動を束縛するというのである。


 二つ目は、君主が、全軍の取り組んでいる事業を理解せずに、その任務に口出しすれば、兵士たちは将軍の命令との間で板挟みとなり戸惑ってしまう。


 三つめは、君主が全軍の従っている、戦況に即した将軍の指揮に割って入れば、兵士たちはどちらの命令にも疑念を抱いてしまう。(※1)


(※1)権 天秤ばかりにかけること、状況を客観的且つ厳格に判断すること。又それに応じた将軍の軍隊指揮。


(訳)全軍の兵士たちが、従うべき命令に迷いを覚え、且つ疑念を持って混乱する事態に陥ってしまうと、近隣の諸国がその弱みに付け込んで侵攻してくる。これを、君主自らが軍の統率を失わさせて勝利を捨て去ると言う。(※2)


(※2)指揮系統が二重になれば、戦場にいる兵士が混乱するのは当然である。君主が将軍の軍隊指揮に介入すれば、計篇・一にある将の「信」を著しく損なうこととなる。計篇・二の「計、利として以て聴かるれば」と、一度、将軍の戦略を採用し、軍隊の指揮権を委任した以上は、例え君主といえども、出征後の将軍の戦況に応じた適宜の差配(権)を妨害する行為は、厳に慎まなければならない。



(原文)五 故に勝を知るに五あり。而て戦う可きと而て戦う可からざるとを知る者は勝つ。衆寡の用を知る者は勝つ。上下の欲を同じうする者は勝つ。虞を以て不虞を待つ者は勝つ。将の能にして君の御せざる者は勝つ。此の五者は勝を知るの道なり。故に曰く、彼を知り己を知らば、百戦して殆うからず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし。

(訳)五 そこで、勝機を察知する為には、以下の五つの条件が必要である。

① 戦うべき局面か、戦ってはならない局面かを、正確に判断できれば勝利できる。

② 大部隊と小部隊を、使い分ける戦術を熟知していれば勝利できる。

③ 将軍を始めとする、軍の幹部から一兵卒に至るまで、その志を一つにできれば                    勝利できる。

④ 周到に計謀を巡らして、不用意に攻めてくる敵を待ち受ければ勝利できる。

⑤ 将軍が有能で、君主がその軍隊指揮に余計な口出しをしなければ勝利できる。(※1)


(※1)本篇・四 「軍を糜す。」

    九地篇・二「君命に受けざる所あり。」君主の下命と雖も従えない局面があ         る。

    地形篇・三「戦道必ず勝たば、主は戦う勿れと言うとも、戦いて可なり。戦    道勝たずんば、主は必ず戦えと言うとも戦い無くして可なり。」前段でも述べられている様に、君主が将軍の戦況における適宜の軍隊指揮を妨害しないことは、戦争の勝利に欠かせない条件である。


(訳)以上の五つが勝利を予想する為の道である。だから、我々戦略家はこの様に言うのである、敵状を正確に把握し、自軍の実情も正確に認識していれば、百回戦闘しても危なげなく勝利できるが、敵状を正確に把握していても、自軍の実情に対する認識が甘ければ、勝ったり負けたりし、敵状にも自軍の実情にも疎いようでは、戦闘する度に決まって危機に陥ると。(※2)


(※2)地形篇・五 「彼を知り己を知らば、勝乃ち殆うからず、地を知り天を知らば、勝乃ち全うすべし。」と敵状と自軍の実情を把握する事の重要性が、重ねて述べられている。




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