第10話


 窓から中に入るが早いか、ヴァイオレットが胸に飛び込んできた。

 アレクは泣きそうになったのをこらえて、彼女を抱き締めた。

 彼女の髪からはやっぱり花の香りがして、アレクはそれを思いきり吸い込んだ。溺れるような幸福感と、包まれるような安心感。このまま時が止まってしまえばいいのに、とすら思うくらいだった。

 けれど。このままではいられないのだ。

 アレクは唾を飲み込んで、彼女の耳元に囁いた。


「教えて、ヴァイオレット。君に、何があったのか」


 ヴァイオレットはアレクの腕の中で、一度深くうつむいてから、ゆっくりと彼を見上げた。

 それから彼女はすべてを話した。

 アレクと会っていたことがばれたこと。

 それで父が激怒したこと。

 婚約者を勝手に決められたこと。

 その彼が持ちかけてきた賭けのこと。

 今週末挙げられる結婚式のこと――


「だから……だから、ごめんなさい。私、もう、あなたと一緒にはいられないの……」


 そう言った彼女の瞳から、またいつかと同じように、真珠の粒が零れ落ちる。

 アレクは今度こそ、それを指先で掬い取った。


「ヴァイオレット。もう一つ、教えてほしい」

「……なに?」

「君は今、俺とは一緒にいられない、って言ったよね」

「……ええ」

「それは“いたくない”なの?」

「まさか!」


 ヴァイオレットは小さな頭をふるふると振った。


「私はあなたと一緒にいたいわ。あなたと一緒にいるのが、私は本当に幸せで……あの時間が、本当に大好きだったの」


 アレクはうっかり雄たけびを上げそうになったのを、咳払いして誤魔化した。そして改めて、彼女の目を見つめる。


「嬉しい。俺も、あの時間が大好きだった。……これからもずっと、君と一緒にいたい――出来ることなら」


 その言葉に、ヴァイオレットはうつむいた。額を彼の胸に押し付ける。ガラスとはまったく違う。そこからは彼の胸の中の、温かな鼓動が伝わってきて、頭がどんどん熱を帯びていく。


「君はシェイクスピアのジュリエットじゃない。俺も、シェイクスピアのロミオじゃない。だから――」


 この恋を、悲劇で終わらせるつもりはない。

 思いの外強く響いた言葉に揺すぶられて、ヴァイオレットは顔を上げた。

 そして、彼の瞳が暗闇の中で、きらりと輝くのを見た。



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