第7話
「あぁー……うぅー……おぉー……」
それから二日間、アレクは店のテーブルに突っ伏して、唸り声を上げ続けていた。営業妨害だと父親に怒鳴られても懲りることはなくて、ついに父親の方が折れたほどだ。
昼間からずっと居据わる常連客が、憐みの目を向けている。
「なんだいあの前足が腐り落ちたライオンみたいなのは」
「なんでも、息子の息子が活躍する機会が腐り落ちたらしい」
「あーうーおー……そりゃ災難だったね」
「うっせぇよ酔っ払いども……!」
アレクはテーブルをがんと叩いて立ち上がった。
時計を見る。――いつもの時間にあの場所へ行くには、そろそろ家を出なければならなかった。だが――
「……うがぁぁぁぁあああぁっ!」
髪の毛を掻きむしって、アレクは家を飛び出した。
走りながら考える。待って、駄目、と言った。嫌、ではなかった。言葉通り受け取るなら、彼女は俺のことを嫌がったわけじゃないのだ。何か事情があって、待って、と言ったのだ。それに、彼女はごめんなさいと言って泣いた。あの謝罪の意味を、涙のわけを、俺はまだ聞いていない! せめてそれを聞かないと、このまま黙ってお別れなんて納得できるもんか!
ストリートを突っ切って、角を曲がる。このスピードならいつもの時間に辿り着けそうだ。肩で息をして彼女の前に立つなんてダサいと思ったが、この際そんなこと言っていられない。ダサくてもいい。とにかく、彼女の元へ――
――アレクはぴたりと足を止めた。
この路地を抜けたらすぐそこがあの広場なのに。その前に立ち塞がる連中がいる。
「よお、色男」
「……ブライアン」
名の知れた悪ガキ集団の頭領。アレクも何度か対立したことがあって、その度に殴り合っては和解(のような何か)をしてきた相手だ。広いスキンヘッドには凶悪な傷痕が走っていて、人相を数倍悪く見せているが、あれがどうして付いたのか知っているアレクにとっては大して怖くもない(小さい頃犬に追われて転んだせいだ)。
「どいてくれ、ブライアン。俺、急いでるんだ」
「ヤダね。俺たちはお前をここでぶっ潰さなきゃいけねぇんだ」
「はぁ?」
「そーら、よっ!」
右ストレートがアレクの顔面をぶち抜いた。咄嗟のことにガードも出来なかったアレクは呆気なく吹っ飛んで、壁に叩き付けられる。
「おいおい、女と遊んでる間になまったんじゃねぇのか? ああ?」
「うる……さい……っ!」
滴り落ちてきた鼻血を手の甲で拭い、よろよろと立ち上がる。
「そこを、どけぇっ!」
思い切り殴り返した。そこからは大乱闘だ。路地の前後から囲むように湧き出てきた悪ガキの集団が、アレク一人に容赦なく拳や蹴りを浴びせた。だがアレクだってやられっぱなしになりはしなかった。殴られた数だけ殴り返したし、蹴られた数だけ蹴り返した。
といっても、ダメージを十人で分担できる連中に敵うわけがなかった。
「バレねぇとでも思ったのか、クソが。思い上がってんじゃねーぞ」
血の混ざった唾を吐きかけられたが、顔をしかめることすら出来ない。
「は、ぁ……クソッ……」
石畳が冷たい。冷たいのが腫れた頬に気持ちよい。だが寝転がっているわけにはいかない。彼女が――いるかもわからないが――待っているかもしれないのだから。
最後に残った気力を振り絞って、アレクは無理やり体を起こした。全身が悲鳴を上げた。こりゃ明日は動けねぇな、親父に怒られる、と思いながら、壁伝いに立ち上がって――
――目線を上げた、その先に。
ちょうど広場を出てきた、彼女の後ろ姿を見た。見間違うはずがない。どんなに目が腫れてても、頭が朦朧としていても、間違えるわけがないのだ。あの美しくて艶やかな、紅茶のような色の髪を。足首まで隠す上品なスカートを。自分の胸の辺りまでしかない小さな体を。遠慮がちで静かな歩き方を。
「……ヴァイオ、レット……」
彼女の傍には、綺麗な身なりの男が親しげに寄り添っていた――
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