第81話 湖の正体

 どうにか水辺まで馬車を進める事は出来たもののディロンの目に映るのは、やはり湖。ただの淡水湖だ。

 馬車から解放した二頭の馬を水辺に連れていくと、二頭は美味しそうに湖水を飲み始めた。


「……この湖の全てが偽物だと?」


「ええ。幻惑の魔法の一種ではないかと。ディロン様には、二頭の馬は水を飲んでいるように見えるでしょう?」


 ディロンの目に映る水を飲む二頭の馬。しかし実際は。


「馬達は草を食べているだけですよ」


「そうなのか?とてもそうは思えんな……集団で幻惑を見ているのか?馬は人間よりも幻覚に惑わされにくいと聞くが……馬まで騙されていると?」


「はい。僕の瞳には魔水晶が埋め込まれていますので……幻覚や幻惑の類いの魔法は効かないのですよ」


「ふむ。幻の湖、か」


 ディロンとラズラットの会話を聞いていたアルシーア達は不思議そうな顔で湖を見つめる。


 遠くの山々が逆さに映る絶景の湖。これが全て偽物などとは、にわかには信じられない。


「これが偽物?どう見ても本物だよなあ」


 アルシーアの独り言にラズラットが応える。


「実際に触れてみるといい。本物のように感じる筈だよ」


「へー、そうなの?じゃあ触ってみるよ。……リカが」


「へっ!?アタシっ!?まあいーけど。なになに?シアシア、ビビってるう?」


「ビビってねーし。慎重なだけだし」


 ルーフェリカが先に立ち、湖の水にちゃぱちゃぱと触れてみる。

 

「わはっ!冷たいっ!みんなも触ってみなようっ!冷たくて気持ちいいよー!」


 ルーフェリカに続きアルシーア達も水辺にしゃがみこみ、その水に触れてみる。

 

「これがニセモノ?ちゃんと冷たいけどなー?」

「夏の湖と言えば水遊び!いくよー!それえっ」


 ぱしゃあっ!と両手で掬った水をアルシーアに浴びせかけるルーフェリカ。

 水飛沫が太陽の光を受けてキラキラと輝き、アルシーアの美しい金髪を濡らす。


「うわっ!ナニすんだよリカっ!やられたらやり返す!うりゃあっ!」


 ずばしゃっ!と大量の水を両手で掬いあげてルーフェリカに浴びせるアルシーア。それは周囲に拡散し、近くにいたルーフェルメとシルスにも降りかかる。


「きゃあっ!シアシアったらもうっ!はしゃぎすぎだようっ」


「あははっ!楽しいですねっ!これっ!水着でもあれば泳げますねっ」


 つい先ほどまで、この湖は幻ではないのかと言っていたシルスまで一緒にはしゃぎ出してしまう始末。


「シルス君……幻って言ってたじゃん……」


 シルスの未熟な部分が如実に現れ、ラズラットがポツリと呟く。

 騎士としてではなく、一人の若者としての言葉が洩れてしまうほどに呆然としながら。

 ラズラットの目に映るのは水辺ではしゃぐ四人の少女、では無く。

 何も無い原っぱで水遊びに興じる演技をしている少女四人の姿である。


 演技と言ってもアルシーア達には本物の湖があるのだから、迫真の演技と言った方が適切なのかも知れない。とラズラットは思う。


 ディロンも水辺に近づきその水に触れてみる。

 鍛え上げられた手のひらに伝わるのは、ひんやりと冷たい夏山の湖水である。


「私には彼女達が水遊びをしているようにしか見えないが……ラズラット」


「なんでしょうか?」

「この幻を打ち破る事は可能か?」


「そうですね……彼女達を正気に戻せばあるいは」

「ふむ。具体的には?」


「大声で一喝すれば良いかと」

「気合いを入れるという事か。よし」


 ディロンが水遊びに興じる四人に向き直り。

 肺一杯大きく息を吸い、それを一気に吐き出し大声で一喝する。


「目を覚ませ!アルシーア!!」

「うえあっ!?」


「ルーフェリカ!!ルーフェルメ!!」

「「はいっ!?」」


「シルス!!」

「ほえっ!?」


 ディロンの特大の声にびくうっ!と身体を竦めるアルシーア達。

 四人の少女達は時が止まったかの様にその場で固まってしまった。


 だがしかし。

 幻覚は解けない。

 アルシーア達にしてみればただ大きな声で怒鳴られただけ、である。

 

「何?何なのさ今のはっ。若い女の子を怒鳴り散らすおっさんはヤダねー!あーヤダヤダっ」


「目を覚ませって言われてもねー」

「ルメちゃん達は起きてるのにねえ?」


「そういう意味では無いのだよ、ルーフェルメ君……申し訳ありませんでした、ディロン様。思惑が外れてしまいました」


「うむ……幻であると言うなら、髪や服は濡れないのではないか?触れた感じでは水そのものだが」


「濡れたような気がするだけなのですよ。それにしても……これ程までに広範囲に有効な魔法など初めて見ますよ」

 

 ラズラットの言葉にシルスは、はたと思い出す。

 シルスは知っている。

 限定した範囲内での幻覚に似た魔法を。

 その範囲外に出ると見えなくなってしまう魔法を。

 アールズの魔法の大花火を。


 ――アールズの魔法の大花火……確か、街の外壁の内側じゃないと見えないんだよね……その原理と同じなのかなー?


 ディロンは湖の先を見つめ思案する。

 先へ進むか撤退か。

 竜の巣があると言われる現場まで来てはみたものの何もありませんでした、では笑い話にもならない。騎士団の誇りに懸けてと大見得を切った以上、何らかの成果を挙げたい所ではある。

 気がかりなのは四人の少女達の存在だ。

 今の所ネコエルフに遭遇した事以外、大きな危険に曝されてはいないが、この先は未知の領域である。


 ――彼女達を守りつつ先へ進むか、恥も外聞も捨てて撤退するか……

 

「なー、デロンデロンさんよー。湖眺めてウダウダ考えてても先に進めないじゃん?」


 アルシーアの言葉に、ふと我に返るディロン。


「……そうだな、アルシーア。ここで湖が本物か偽物かを詮索していても進めない。先に進む方法があるならそれを試してみようか。ただし。少しでも危険だと判断したら即刻撤退するものとする。ラズラット、異論はあるか?」


「いえ、ございません。ディロン様」


「君達はどうだい?」


 ディロンが四人の少女に問う。もちろん、誰一人として帰りたい、とは言わない。


「せっかくここまで来たんだから大穴探検してみたいよねっ」

 と、ルーフェリカ。


「そうだねえ、土産話くらいは欲しいかなあ」

 と、ルーフェルメ。


「そうですねっ!行ってみたいです!」

 と、シルス。


「前に進む、で皆の意見は一致しましたね。では、如何いたしますか?」


「湖の中に馬車を進める」

 と、ディロンは即答する。


「えっ?湖の中にっ?」

「水没しちゃうんじゃないのっ?」


 ディロンの迷いの無い返答にアルシーア達は驚き、ラズラットは、流石ですディロン様と内心呟く。


「この先に目指す大穴、竜の巣への入り口が見えますから、そこまで馬車を進めてみましょう」


 全員一致の『前に進む』意見にディロンは安堵する。たった六人のパーティーとは言え、チームワークを乱す者が一人でもいるとそのチームは大きなを発揮出来なくなると知っているが故に。


 再び意気揚々と馬車に乗り込む。


 湖の中に入る事に躊躇いを見せた二頭の馬達だったが、ラズラットの手綱捌きでどうにか湖に進み入る事に成功した。

 始め馬の足首程度だった水深は、前に進むにつれてその深度を増していく。


「二頭の馬はもう大丈夫ですね。この湖は偽物だと気付いた様です」


「……そうか」


 ディロンの表情と声音は固い。

 既にディロンの胸の高さまで湖に沈み、尚その深度は増すばかり。

 馬車ごと水没するのは時間の問題である。

 いくら偽物だと言われても、現実には水没しつつある様にしか見えないのだからディロンの心中は穏やかでは無かった。


 ただ、ラズラットから見れば。

 緩やかな丘陵地帯をゆっくりと下って行っているだけなのだが。

 水没しつつある馬車内の少女四人は大騒ぎである。

 ごぽごぽと大量の水が流れ込み馬車内を埋め尽くして行く。

 浸水の恐怖が四人に容赦無く襲いかかる。


「わあっ!沈むっ!沈むよズラさんっ!」

「おっ!溺れるっ!ヤバイっ!ヤバくないっ!?死ぬっ!?死んじゃわないっ!?」


「シルスちゃあんっ!ルメちゃんっ、泳げないのおっ!」

「るっ!ルーフェルメさんっ!抱きつかないでえっ!苦しいですよおっ」


「もう少しの辛抱ですよ、お嬢様方。湖面の下に入り切ればこの幻覚は解けますよ。……たぶん」


 馬車は進行を止めない。ラズラットが大騒ぎする四人に小窓から声をかけ励ますが、四人は気が気ではなかった。


「たぶんってなんだよっ!」

「息っ!息止めようっ!死んじゃうよっ!?」


「るっ!ルメちゃんっ、泳げないのおっ!」

「るっ!ルーフェルメしゃんっ!!ぐっ!ぐるぢいでづううっ」


 四人が大騒ぎする中。

 ごぽん!という音と共に馬車は完全に水没した。


 様に見えたのも束の間だった。


「あ、あれっ!?」

「苦しっ……くない?」


 アルシーアとルーフェリカが馬車の窓から外を見ると。

 そこはただの草原。何処にでもある風景だ。


「……なんだコレ。どうなってんだ?」

「幻ってこういうコトかあ……スゴいねえ。ルメも見てみなよっ」


「うわー……あっ!?シルスちゃんがぐったりしてるう!?誰がこんなヒドイ事をっ!」


「お前だろっ。ったく騒ぎ過ぎだっつーのっ」

「シアシアだって『沈むうっ』て言ってたじゃないのお」


「ん……んんっ?」

 と、シルスが我を取り戻した。


「あ、起きた」

「良かった良かった♪ほら見てシルスちゃん!ここ、湖の中なんだよー!スゴくない!?」


 シルスには。いや、四人には確かに馬車は沈んだ様に思えた。

 音と匂いも本物の様にしか思えなかった。


 こととん、こととんと馬車の車輪音。

 車窓の外、シルスの眼前に拡がるのは。


「うわー、ただの草原ですねー。確かに湖に入ったのに……」

「ねー!これだけでもイイ土産話だよねっ!」



 何事も無かったかの様に草原を馬車が行く。ややもして馬車が止まったのは、湖のど真ん中辺りだ。


「ここが『竜の巣』の入り口か……」


 ディロンに緊張が走り、その緊張感はラズラットにも伝わる。


 大穴の直径は手を繋いだ大人30人分は優にありそうだ。深さはどれ程かは見当も付かない。

 地の底まで続くような、竜が口を開けたような赤黒い大穴。

 ゴオオ、と聞こえてくるのは風の唸る音と言うより、獣の鳴き声の様だ。


 馬車から降りた四人の少女達も想像を絶する絶景に心を奪われ、畏怖の念を抱いていた。


「コレ、降りるのも一苦労じゃないか?」

「想像してたよりスゴいかも……」


「うわー……深そうですねー。わたし、高いトコロ苦手なんですよー」

「えっ、シルスちゃん高い所ダメなのっ?実はルメちゃんもなの……」


 大穴を目の前にして、これまで何処かお気楽ムードだった四人の緊張感が高まっていく。


「怖じ気づいたかい?」


「んなワケねーし!ここでビシッとしないとなっ!竜でもなんでも出て来やがれってな!なっ!」


 ラズラットの挑発めいた言葉をアルシーアが跳ね返し三人を鼓舞するが。

 いつもなら『おー!』と沸き上がる三人だが、流石におちゃらけていられる余裕は無いようだ。


「皆、心して聞いて欲しい。これは入り口にしか過ぎない。前に進むと決めた以上、出来得る事はしよう。だが、少しでも危険だと判断した場合は即時撤退とする。いいね?」


 腹の底に響く様なディロンの深い声は、皆を安心させる効果がある。

 この人の言う事に間違いはないと思えるほどに。

 ディロンの一声で気持ちが締まり、四人はいつになく真剣な面持ちになったのだった。


 いよいよここから武器防具の装備となる。

 出立前に一式揃えた新品だ。

 それぞれの胸の部分に特殊塗料で『熾炫弐式しげんにしき』と描き入れた胸当て、肘当て、ナックルガード、膝当て、脛当ての5点セットを装備する。


 艶消し加工された防具、真新しい装備品を見る限りでは誰がどう見ても『駆け出し』の四人組である。


「アタシ達に比べたらシルスちゃんは先輩なんだよねえ。宜しくお願いしますね!センパイ♪」


「えっ?えへへっ!みなさんっ!頑張りましょうねっ!」 


「防具が真新しいからコ汚いリュックがさらにコ汚く見えるよな、シルスセンパイはな」

 と、アルシーア。


「あっ、愛着があるからいいんですっ!わたしの相棒みたいなものですからねっ」


 四人各々の装備品に大差は無い。

 が、シルスのリュックだけは明らかにやつれている。


 ――ずっと一緒だったしね!のててちゃんとれててちゃんもいるし!


「よし、準備はいいな?では行こうか『竜の乙女隊』の諸君」


「「「「おー!」」」」


 手練れの騎士二人と、踊り娘三人、いや、四人の竜退治という名の調査が、今ここに始まる。

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