天使に喰われたオーディナリー

猫飯 みけ

プロローグ

Prologue1 Ordinary

『昔々、戦争が始まるよりも遥か昔のことです。ある晴れた日、空から7つの天使が舞い降りました。天使はそれぞれがとても綺麗な羽を持っていて、人々に不思議な力を授けました。そして、私たちにお告げになったのです。


「この力を正しく使いなさい。きっと貴方たちを導く光になるでしょう」


 人々は賢く、その不思議な力を悪用されないために、その力を森の奥深くに隠しました。天使はその様子を見ると、安心して1つを除き天に帰っていきました。


 ——残った1つは私たちを導く主様になりました』


『聖派正教会 子どものための聖典』より抜粋。


    ***


 戦後とは思えないほどの近代化が進んだ都会。摩天楼まてんろうとなっているビル群を見上げると首が痛くなる。


 この風景はまさしく「戦争が生んだ技術革命」、「犠牲の上でできた産物」……言い方なんてどうでもいいが、戦争がこの近代文明の要因になったことに間違いはない。実に皮肉なことだ。


 そんな駅前の通りはやけに人通りが少なかった。いつもならサラリーマンが忙しなく歩いているはず。デモ団体が大衆に向けて声を挙げていたり、身寄りのない人間が道端で座り込んでいたり、新興宗教の演説があったり……そんな日常の風景は見られない。閑古鳥かんこどりが鳴くとは、まさにこの事だろう。


 そんな中、雨宮あめみや 直人なおとは周囲をキョロキョロしながら歩いていた。探し物を見落とさないように常に気を張っている。


 黒髪短髪のスーツ姿という、いかにもサラリーマン風の格好とはいえ、この視線の動きは明らかに不審だ。


 そんな直人の探し物は“人”である。今日は人通りが少ない分、多少は見つけやすそうではあるが……そもそも人間自体をあまり見かけないのだが。


「おかしいな……この辺だと思ったんだが。情報が間違ってたのか……先生に限ってそんな訳もないか」


 途方に暮れていたそんな時、ふと声が聞こえた。若い男性、いや中高生といったところ。


「や、辞めろって! んだよ、離せよ! おい、お前らはッ……なんなんだ! ――」


 悲鳴は古い低層ビルに反響し、次第にコンクリートに吸い込まれていく。そしてそのまま途絶えてしまった。


 人影がないこの状況で異変に気付いているのは直人だけ。この奇妙なまでの人気のなさは、恐らく仕組まれたものだったのだろう。人攫ひとさらいにここまで尽力しているとは、実に結構なことだ。


 直人は声がした方向、100M先の低層ビルに挟まれた路地裏まで一目散に走る。バレないように走行音を消しても、たった10秒弱でたどり着く。


 特に息切れを感じることもなく、曲がり角から路地裏を覗いた。


 そこには声の主であろう少年が、屈強な男に担がれている異様な光景が広がっていた。加えて武装した男が2人。


「スリーマンセルか。それにしても……」


 奥の通りには浮遊している黒い車体——自動艇じどうていが停まっている。乗せられたら救い出すことは難しい。


(はぁ……路地裏にこのフォーメーション。いつものパターンだ。どうせ無駄に分厚いマニュアルにでも書いてあるんだろうな)


 やつらの出方をうかがっていると、男たちが話し出す。


「よし、これで適性体の確保は完了だ。すぐに持ってくぞ。あんまり遅くなると俺らがモルモットにされかねん」

「それも悪くないですね。飯に困ることもなければ、先の見えない将来に悩むことも無い」

「そりゃあ、その将来が実験台の上だって決まってるからだろ。馬鹿な事いってないでさっさと運べ」

「はいはい。で、こいつは……どこまででしたっけ?」

「アドナイ1区、コンフェッサーの第4研究棟だ」


 ——研究棟。連れ去られてしまえば最後、少年は人体実験に使われ一言も発する事の出来ない廃人になる。想像したくは無いがこれは事実だ。

 


 それに少年を運びだしている奴らは、反社では無い。国営の研究所に輸送するのだ。……服装からも分かるが、要するにコイツらも公的機関の人間――国民を守るはずのによる国民の誘拐。


「……腐ってるな、この世界は」


 そう、今日の探し物はあの少年。あらかじめ言っておくと、これは正義感では断じてない。自分の利益、仕事のためだ。そんな褒められた感性はもう既に持ち合わせていない。

 

 直人は即座に右耳に手を当て、独自回線のインカムを起動させる。


 軽い起動音と共に、ザッという雑音が混じった。そして気付かれないように、出来るだけ小さい声で話しかける。


「先生、ターゲットを見つけました。数は3人、情報の通りです」

『あぁ、分かった。それなら細かい指示は要らないね? いつも通り……後は頼んだよ、直人君』

「了解です」


 女性の声を届けていたインカムがプツッと切れる。やたらと気怠そうだったから、寝起きなのだろう。


 いつもの事だが、張り詰めた緊張が消えてしまうからやめて欲しい。


 雑念を払うように「ふぅ」と細い息を吐きだす。

 直人はスーツの襟元を正し、脚に力をこめる。身体は自然と息をするように臨戦態勢になる。


 ――心臓から全身に血液が巡る。脳からの電気信号が加速していくのが分かる。


 直人はおもむろに口を開き、ある言葉を発した。

 

「——“内界解放リベラシオン”」

 

 雨宮直人が口を開いたこの瞬間、彼は人間あたりまえという枠組みから逸脱した。左目に幾何学模様きかがくもようはしり、瞳は紫色に発色する。


 『魔法』と、そう表せる異能力は、現代においてmagicaマギカと……そう呼ばれている。



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