エピローグ

 遠くで鳥が鳴いている。

 甲高い鳴き声は蒼穹の下を伸び伸びと響き渡り、やがては街の喧騒に呑まれて消えた。


 大空の下、銀髪の女性が空を見上げる。

 どこまでも青い空には雲一つなく、五年暮らしてなお慣れることのない強い日差しが阻まれることなく自身を照らしていた。

 目を細め、それから視線を落とす。

 正面には、剣――によく似せたオブジェ。重たい土台と一体となり、地面に深々と埋まっている様はだれしもにもわかる墓だ。

 しかし、それは真新しく、つい最近設置された代物。墓標なのに誰の墓かを示す名も文言もなく、無銘の有り様はあらぬ想像を掻き立てさせる。


 ましてや、それが二つも並んでいると。


 真新しい剣の墓標の隣には、ボロボロになった似たような剣の墓標が存在している。こちらも無銘であり、古く朽ちかけてはいるが状態は悪くなかった。

 幾度も手入れがされたような跡があり、それは紛れもなくローレッタの行いである。


 当然であろう、これは、彼女の――彼女たちの父の墓標なのだから。


 アレックス・アークロイド。

 十年も前に亡くなった一人の冒険者。死因はありふれた、依頼の最中での死であるが、それは決して名誉なことではない。

 貴族からの配達依頼を受け、その配達物を横領した上で蛮族との戦闘にて死亡。『欲深のマヌケ野郎』の忌み名と共に、彼の死は多くの人から唾を吐き捨てられて忘れ去られた。


 罪人ゆえにまともな墓などなく、その為、彼の娘二人はロヴェスの街から二時間も離れた森の中に粗末な剣のオブジェを置き、それを墓標とした。

 正確には、血のつながった娘と、路地裏で拾って家族に迎え入れたナイトメアの養女だ。

 温かな父がクズ同然の真似をしたなどとは、姉共々信じていなかった。だから、街の人間の憐れみと侮蔑の視線に耐え切れず、こうして森の中に本当の墓をこさえたのだ。


 そして、墓標の前で二人で誓った。

 強くなろう、と。父のように、或いは父よりも強くなって、ロヴェスの皆を見返してやろう、と。

 それが『氷炎姉妹』の始まりだった。


 思えば、そこから既にヒルダとの別離は始まっていたのかもしれない。

 ローレッタは薄くなった記憶を掘り起こして、思う。

 あの誓いの裏で、ヒルダは別のことも誓っていたような気がする。それはきっと、父の死の真相を明らかにすることだったのだろう。


 それが、廻り回って今回の大事件を引き起こしたのだ。


 その果てに、ヒルダ・アークロイドは『逆賊ヒルダ』となり、歴史の闇に葬られた。

 ロヴェスの街に新しく作られた慰霊碑に、当然彼女の名前はない。

 死体はハイレブナント化を恐れて念入りに焼かれた上で神官による浄化が行われ、灰の一握りさえローレッタの手に届かなかった。

 故に――その墓標のあるべき場所は、深き森の、誰も知らない父の隣だけが相応しい。

 この真新しい剣のオブジェは、ローレッタの拵えたものだった。


 その前で、ローレッタは何をするともなしに立っていた。

 散れ散れになる思考はヒルダへの形容しがたい思いそのものであり、墓を用意してから祈ることも、語り掛けることもできないでいた。

 なぜ、どうして、ばか――散逸する思考を現実に引き戻したのは、ガサリと藪をかき分ける音だった。


 ハーヴェスに数人といない実力者として素早く振り返り、そして侵入者の姿を認めて思考に明確な空白が生まれる。

 ぽかん、と開いた口は彼女の驚愕を如実に表しており、次いで漏れた言葉が彼の者の正体を示した。


「あ、なん――国王陛下……!?」


「いやあ、森歩きなんて何年ぶりだか。ちと迷っちまったが、まだ居てくれたな。重畳重畳」


 上等なマントに木の葉をくっつけながら、乱れた髪をかき上げて整える男――彼の人こそ、このハーヴェスの玉座におわすヴァイス・ハーヴェス国王である。

 それが、供回りも連れずに深い森の中に居た。


 ランダムエンカウントだとしたらクソイベ確定だな、とどこぞの高みを目指す冒険者一党は呟くことだろう。


 そんな電波はさておくとして、ヴァイス国王はその発言通り、ローレッタを目的にやってきていた。

 それを察した彼女は、動揺を飲み込めないままに問いかける。


「何をしていらっしゃるので……? というか護衛の方は」


「お前とサシで話がしたくてな。モーレク――ああ、うちの護衛のソーサラーに無理言って抜け出させてもらった。なあに、いざというときは氷剣使いがなんとかしてくれるだろう?」


 無茶苦茶なことをいいながら片目をつむって見せる男に、ローレッタは眩暈がしそうな心持ちだった。


 この二人は初対面というわけではない。当然、知己でもない。

 単に、ロヴェス崩壊事件の直後に重要参考人として何重という護衛越しに話を聞かれただけだ。


 ヒルダが式典中止の報を伝えなかった為、彼の王は事件勃発時にロヴェスの目の前に居た。

 そして、街が蛮族に襲撃されていることを確認するや否や、反転して水都に撤退――ではなく、陣頭に立ちて騎士を率い、砂都の制圧に乗り出したのである。

 それを暗愚の行いとするかはさておき、タイミングとして最上のもの。なにせ冒険者一党とローレッタがヒルダとダークトロールを打ち倒した瞬間のことであり、敵の指揮系統が潰れたところを突き崩した形になったのだから。

 おかげでロヴェスは雪崩れ込む騎士によって蛮族の一掃がなされ、結果的に国王の英断に救われた形となったのである。

 その後、事情聴取として話を聞かれた――それだけのつながりである。


 それがどうして、単身で話を聞きに来るのか。馬鹿じゃないのか。

 直截な感想をぐっとこらえ、ローレッタは忘れていた臣下の礼を慌ててとる。彼女の長年の冒険者の勘が、彼が変装や偽装の類ではない、正真正銘の国王だと言っていた。嘘だと言ってほしかった。

 それを手を振りながらヴァイス王は笑い飛ばした。


「そんなんじゃ話しづらいだろう、顔上げて立っていいぞ」


「そ、そういうわけには」


「ええい、噂通りの堅物だな。少しは姉を見習ったらどうだ」


 キングジョークだとしたらブラックすぎて絶句ものである。事実、ローレッタは言葉を失った。

 それから、あまりの物言いに怒りを覚えたのもあるが、言われた通りにローレッタは渋々立ち上がる。

 その様子に満足げな王を見て、氷剣使いと謳われた女は大きなため息と共に観念した。


「……もう、いいです。何の御用ですか、ヴァイス国王陛下」


「いくつか質問したくてな。まず一つ。――どうしてヒルダの手をとらなかった?」


 それは、ロ-レッタが今になってさえ抱く『迷い』を的確に撃ち抜く問いだった。

 息を呑む女に、真新しい墓標を眺める王は言葉を続ける。


「父の死の真相を姉から語られたお前の胸中には、まず間違いなく怒りが湧いたはずだ。たばかりを弄した貴族に殺意を抱いたはずだ。なのに、どうして肉親に近い姉を切ることができた?」


 叩きつけるように放たれる言葉の数々は、全て的を射ている。

 ヒルダに呼びだされ、話をしたのはまさにこの場。父の墓標の前。

 その死の真相を知り、怒り、殺意を覚え――されど、その誘いを蹴った。


 どう、答えるべきか。


 呼吸さえ忘れてローレッタは王の眼を見、そして全てを見透かすような透明な色に白旗をあげた。


「――……たいそうな理由は、ありません。ただ、その復讐のために、“ロヴェスの皆”を巻き込むことはしたくなかった。それだけです」

「ふむ。なるほど。街への愛をとったか」


 国王の言葉に、ローレッタは無意識に頭に手をやる。

 髪に隠れたそこには、人族の忌みたる象徴――ナイトメアの角がある。


「ロヴェスの皆は、私を認めて、受け入れて、頼ってくれた。母を殺して生まれた私にとって、それは何よりも代えがたい。だから……私はヒルダよりも街を選んだ。選んで、しまった」


 それが正しい選択であった、とは他人が下す結論であり、当人にとってその正誤はいまだ見えぬ迷路のような話だった。

 だから、言葉尻に後悔がにじむ。

 それはつまり国への背信を迷っていると言っているようなもので、我に返ったローレッタは思い切り肝を冷やす。

 そんな彼女よりもはやく、ヴァイス王は口を開いた。


「あくまで他人である俺が言えることは多くはない。だが、一つ言えるとするならば――くだした選択を翻すな。後悔しても仕方ない。結果を受け止め、前を見るがいい」


「……前、を」


「ま、そう簡単にできることではない。ならば前を見るしかない状況にあればいいだろう。そういうわけで、勅命だ」


「はっ?」


 一転、からからと笑って突飛なことを言い出す王に、ローレッタの声が裏返る。


「砂の都ロヴェスの代表にローレッタ・アークロイドを任ずる。その責務に従い、街の復興を担うがいい」


「え、あの、ちょっと」


「話は以上だ。そろそろモーレクの奴がうるさいんでな、また会おう!」


 一方的に捲し立て、ばさりとマントを翻して王はその場を後にする。

 雷光の如き俊敏な撤退に、ローレッタとしてはポカンとするしかない。

 どういうことなの、と呟きながら、彼女はなんとなくその意図を察していた。


 ヒルダの墓標を立てた後、ローレッタは自身の終わりを定めるつもりでいた。

 唯一の家族をこの手にかけた事実は重く、姉の誘いを断った瞬間からその覚悟を決めていた。

 だが、それは許さない、と。

 姉より街をとったのならば最後まで面倒を見ろ、責任の一切合切を彼の王は背負わせてきたのである。


 当然、そんなこと知ったことではないと無視できるが――ローレッタは笑みを浮かべた。


「ヒルダ。すまないけれど、そちらにはしばらくいけない」


 墓標に短く語り掛け、ローレッタは背を向ける。

 それは、姉との二度目の決別であり。

 そして、ロヴェスの長く続く真の栄光の始まりでもある。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る