親不孝とライオン1

 何故自分は此所に住んでいて、自分には両親が居ないのだろう。


 まだ小学生にすらならない自分が小さい頃の記憶。

 一緒に暮らしていた同世代の子供が遊び飽きた三輪車に乗り、大人に怒られた時に感じた疑問だった。


 其の子が親から買ってもらった三輪車だから、共有の玩具ではない。

 其の大人の言い分は何となく解ったが、同時に湧いた疑問達の答えは何一つ得られない。


 自分が存在するのだから親は居るはずだろう、だったら自分の両親はいったい何処に居るのか。

 解らないまま其の養護施設で日々を過ごしていき、小学一年生の二学期になる頃に母親は迎えに来てくれた。


 もういないものだと思っていたから手を繋ぎ施設を出て行く時は、なんだか照れくさくてこそばゆい。


 其れでも繋いだ手を自ら離そうとはしない。

 知らない場所に行く不安と、母親と一緒に居る嬉しさで心が一杯だったから。


「手の掛からない子供だったわよ」


 子供の時の話しになると母さんは決まってそう言う。


 それもそのはずだろう。

 母親の為に出来る事が他に思いつかなかったのだから。


 自分にとっては母親がいるという事だけで充分で、其れ以上は何も望んでいなかった。

 思い返せば、どことなく子供らしくない子供だったと思う。


 素直にワガママすら言えず、今なら気にもならない様な事で考え込むような。


 とはいえ自分の生い立ちに対する理解は浅く、

 周りの家庭よりも少しばかり貧乏だと思う位で不幸だなんて思ってもいない。


 そんな不器用で親不孝な子供だった。


 その頃の小学生らしい楽しみと言えばサッカー。

 少しずつ小遣いを貯めてやっと手に入れたサッカーボールは安物でカッチカッチだったが、

 其れでも自分にとっては宝物で。


 何も考えず、夢中になってボールを追いかける事が出来ていたこの頃は幸せだった。


 そんな平和な生活が変わり始めたのは小学三年生の頃。


 唯一仲の良かった友人が転校していき一人になる時間が増えた事で、望まない相手に絡まれるようになっていく。

 何れにしても相手は自分より明らかに大きい上級生で、とても敵う相手ではなかった。


「おまえの母ちゃん・・・やろ~!ニュースでやってたから知ってるんやぞ」


「おまえも・・・なんやろ~!恐~!」


 相手の言っている意味は理解出来ない部分が多々有ったが、母親が侮辱された事だけは解った。


 凡そ子供が使うような単語ではないし普通の子供なら言われても真に受けない言葉だが、

 養護施設に住んでいた自分には思いあたる節が有る。


 否定しきれない自分をからかうように、取り囲む上級生五人の嘲笑う声が路地に響く。

 自分の事を言われるのはどうでも良かったが、母親の事を悪く言われるのだけは許せなかった。


 消え入りそうな小声で「謝れ」と繰り返し、再びからかわれた迄は覚えている。

 其の後は家から包丁を持ち出した自分が相手を刺そうとしたが倒され、泣かされて惨敗だった。


 自分の意志のまま本気で戦ったのは生涯この一度だけで、其れ以外の争いは自分が望んだ訳ではなかった。

 同じように取り囲まれ、上級生と一対一でケンカさせられたりもした。


 まるで祭りのように観る側は騒いでいたが、

 勝っても相手の一人が泣くだけで面白くないし負けても自分が泣くだけで面白くない。


 互いに面白くないからか次第に無くなっていったが、そのようなやり取りが何回も続いていた。

 そんな生活が長いと負けたくない自分の意地は同級生にも向けられ、小学生の頃は無駄にケンカばかりしていた。


 当然気の会う仲間が出来る訳もなく、つまらない孤独な毎日を過ごし。


 其れでも自分に関わってくれるだけ彼等は優しい方なのかもしれないと思えたのは、

 争い事が無ければ彼等も普通の小学生で悪気はなく。


 いつの間にか遊びも子供らしいものに戻っていた。


 いずれも母親を傷付けたくなかったから話してはいないが、

 少しずつ蓄積していった毒のようなものは確実に自分を蝕んでいて。


 其の結果一番大切にしていたはずの母さんを傷付けてしまう。

 事の発端は今思えば些細なイザコザだった。


 上級生が貸してくれた水鉄砲を使って、一対六の撃ち合い中に壊してしまい。


「弁償しろ!」「家から金を取ってこい!」と責め立てられ取り囲まれる。


 其の水鉄砲が少しばかり高価な物だったのも、自分が壊してしまったのも事実で反論の余地も無い。

 自分の欲しい玩具すらねだった事もないのに、どうする事も出来ないまま時間は過ぎていく。


 わが家の玄関先迄押しやられた頃に、事情を知らない母親が仕事場から帰って来る。

 説明を聞いた母さんは財布から千円札を一枚出し。


 彼等は母親がお金を渡すと、まるで何事も無かったかのようにすんなり帰って行く。


 人というのは弱き者で何か耐えられない事が有ると、直ぐに誰かや何かのせいにしてしまう。

 幾ら子供とはいえ其れは自分も例外ではなかった。


 水浸しになった自分に風呂を奨め準備を始める母さんに向かって

「・・何で自分なんか産んだんや」そう言い放った。


 今まで我慢していた全てを吐き出すように。

 甘え方を知らないと言えば、そうなのだろう。

 

 自分達の為に母さんが頑張っているのは解りきっていたのに。

 生まれて初めて口にした甘えは一生消えない後悔となり、

 其の時に母さんが見せた悲しげな表情は今でも忘れられない。


 だがそんな事は言われた側の母親を思えばどうでもいい事で、

 そんな事を言うつもりじゃなかったと後で幾ら思ってみても消せはしない。


 自分は環境に負けてしまったのだ。

 貧乏でも笑って暮らす事が出来れば、金持ちより幸せになれるなんて言っていたのが。


 少しばかり身体が大きくなった位で、素直にありがとうとすら言えなくなった自分が情けない。

 この時の後悔は大きくなればなるほど影響して、遠慮は更に過度になり親不孝なまま自分は成長していく。


 想えば大した親孝行は、いつまで経っても出来ていない。

 中学生の頃にはろくに家にも帰らず食いぶちを減らす位が自分の親孝行で、

 母さんの気持ちなんて何一つ考えていなかった。


〈人は忘れていく生き物で在る、其れは良い意味でも悪い意味でも〉


 若い頃に何かの本で読んだ気がするが、詳しく思い出せないのは其の一文が正解だからだろう。


「まだ小さかった頃にオシメを替えてあげた事があるのよ」


 そう母親の知り合いに言われたのは覚えているが、オシメを替えてくれた相手の事は覚えていない。

 母さんは忘れる事が出来たのだろうか、自分が傷付けた時の言葉を。


 それならば少しは救われる気もするが、都合の良い事ばかりじゃないだろう。

 自分も忘れられてしまうのだろうか何を残すでもなく同じように。


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