灯 不器用父さんの反省記
雨実 和兎
寝相と答え
愛してるなんて言うような人柄ではない、例え其れが最後の言葉でも。
せめて今までありがとう位は伝えたいが、いざ其の状況になると難しい事の方が多いかもしれない。
実際に自分の時はそうだった。
動かない自分の姿を見た時はさすがにショックだった。
何やら物々しい治療台の上で横たえる自分を処置していた医師は、誰かに死亡時刻を告げカルテを書 き込むと手術室から去って行く。
自分は死んだという事実は疑いようもなかった。
この幽体だか霊体だか何だかよく解らない透けた体と、全く気付いてくれない周りの反応が其れを証明している。
思い出せるのは休日の買い物中に胸が苦しくなり倒れたところ迄で、気が付いたらこんな状態だった。
医師の診断結果は読み取りきれなかったが、急性何とか要するに病気という事だろう。
幽体離脱とやらなのかと思い体に戻れるかも一応試したが、やはり無理だった。
どうやら奇跡とやらは無神論者の俺には起きないらしい。
とはいえ祈る気にはなれない。
其れで助かるなら、もう助かっていそうなもんだし。
今更どの神に祈れば良いのか解らない。
其れに迎えとやらが来ないのもよく解らない。
別に天国行きを望んで言える程ではないが、俺は悪人ではないだろう。
体が燃やされるとこのまま消えてしまうのだろうか。
成仏って何だ?。
もう何もかも無くなるのか?。
だったら今も存在している俺は地縛霊って奴になるのか?。
参った、本当に参った。
解らない事だらけなせいか完全に気が動転している。
残す家族の事を考える余裕すら無い位に。
だが誰も教えてはくれないし、待ってもくれない。
早々に周りの医療者達は片付けを始め、俺の体も運び出されていく。
選択肢は無いに等しい。
体はどうにもならないかもしれないが其れも解らないのだから、とりあえずついて行くしかなかった。
着いた場所は遺体安置所だった。
まるでロッカールームのように棚が並ぶ狭く殺風景な一室で、一人待つ時間は長く恐ろしい。
其れでも現実に時間は過ぎていくのだから、まるで自分だけ世界に取り残されたようだ。
きっと、もう君に連絡は行っているだろう。
今の自分に出来る事と言えば、ただ待つしかないので、どうしても考えてしまうのは遺した家族の生活や将来の事だった。
自分が居なくなって収入が減れば君は仕事を増やさなければいけなくなるだろう。
そうなれば家事も今までより大変になるだろうし、子供も君の帰りを待つような生活になりグレるかもしれない。
愛情が有ればそんな心配は不必要なのかも知れないが、環境が変われば其れを保つのも難しくなるだろう。
例えば再婚しようとした時に子供が邪魔になり、疎ましくなるかも知れないし。
再婚相手から煙たがれるかも知れない。
子供達が再婚相手を受け入れない可能性も有るだろう。
考えれば切りがないし、たとえ答えが出ても正解なんて無い。
其れでも今の自分には考える事しか出来ない。
其れが只の杞憂になったとしても。
そんな事をずっと考えていた。
君が遺体安置所に来たのは其の時だった。
あれから二時間位は経っただろうか、業務的に本人確認を求める担当者に「・・・間違いありません」と返事をする君はか細い声を震わしている。
確認を終えると業者との手続きのやりとりで、とても泣く時間なんて無さそうだった。
きっと悲しいだろうし先々の不安や心配は有っただろうが、それどころではないのは云うまでもなく。
遺体の受け渡しや葬儀の段取りに職場や知人への連絡。
何れも君には経験なんて無く、直ぐには片付かない事ばかりだった。
若い頃の俺はおまえ百まで儂九十九までが良いななんて言っていた。
だが実際先に死んで残した君を目の当たりにすると、とてもじゃないがそんな風には思えない。
第一若すぎるだろう。
日本人の平均寿命が伸びて高齢化なんて騒がれてる時代に、俺はまだ三十六だ。
二人居る子供だって長男が小学二年生、次女が保育園。
自分がどれくらい出来ていたかは別にしても、まだまだ父親は必要なはずだ。
だがどれだけ君に申し訳ないと思っても、もう幾ら考えても何もしてあげる事は出来ない。
此れが現実で受け入れられないとウダウダ悩む自分よりも苦しいはずの君は、其れでもテキパキと用件を全て書き出し着実にこなしていく。
先ず遺体はそのまま葬儀会場に送られたので俺の体は家には帰らなかった。
子供達は君の親が迎えに来て、理由も解らないまま預けられていた。
どうやら子供達には知らさないつもりらしい。
其れが正解かどうかなんて解らない。
いつの日か子供が尋ねた時に君が何を答えても、俺は君の意思を尊重するつもりだ。
通夜の為に貸し出された一室は意外に広く、眠る為の和室まで隣接している。
押し入れの中には布団も常備されているが、其れを使えるような時間は君には無さそうだった。
葬儀場所に着いて空き時間が出来ても連絡と確認のやりとりに追われ、気付けば外も暗くなり夕方に変わっていた。
俺の家族や会社や友人もう何年も連絡していない相手も何人か居たが、君は丁寧に応対していく。
忙しいとは言え、別に来てくれる人が多い訳ではない。
密葬というらしいが、連絡した相手もある程度は限られている。
友達が少ないという訳でもないが、だからといって寂しいとは思わない。
子供が出来ると全てにおいて子供が優先される。
其れでも連絡を取り続けられるような仲間は、やはり限られていく。
俺なら二人来てくれれば十分だ。
さすがに其の二人が来ないとなったら寂しいが、互いに忙しい身なので来れなくても其の時は仕方ない。
其の親友の内一人目が来たのは一時間後だった。
取り乱す様子も無く冷静に別れを済まし、君と短い雑談をして帰って行った。
彼とは若い頃からの友人で住む所が離れてからは、中々会えなくなっていた。
もしも逆の立場なら俺も同じように長居せず、できるだけ静かに帰るだろう。
二人目の友人が来たのは其れから二時間後、町も静まり返る夜だった。
焼香を済ました友人は棺の前に立ち止まり、中に納められた俺の顔を見つめる。
立ち尽くし震える程に握りしめた両拳と、睨み付ける其の表情は怒っているようだった。
「・・・何してんねん」
突然怒声を発し、棺が倒れそうな位力強く棺を殴る。
君は驚き声も掛けられずにいたが、俺は驚きはしなかった。
常に冷静で思考的な俺とは対照的に、友は熱く感覚的な男だった。
強烈な一撃の後、呆然と天井を見上げる友の頬には溢れるように涙が流れていく。
其れを恥じたり隠すような男じゃなかった。
友は其れ以上何も言わなかったが「まだ子供も小さいんやぞ」そう言ってるように思えて何だか心苦しくなった。
「取り乱してしまって申し訳ない・・・」
ひとしきり激昂の後、友は落ち着きを取り戻すと振り返り君に謝罪する。
「何か困った事が有ったら言ってくれれば飛んで来るんで・・・」
帰る前に付け足すように言った言葉が、本心からなのは疑いようもなく君は小さく頷き返した。
其の後は互いの両親が来てる間だけ君は少しの仮眠を取り、慌ただしいまま通夜や骨揚げ全ての用件を終え。君と家に帰れたのは翌日の昼過ぎだった。
まだ子供が帰ってないからか主人を亡くしたからかは解らないが、何だか我が家は暗く静まり返っているように思えた。
だが家がこんな状態でも君が忙しいのは変わらず、悲しむ暇も無く溜まった洗い物や洗濯物を地道にこなしていく。
其れでも時折物思いに耽るのを避けるように吐く切ない溜め息が、君の胸中を物語っていた。
そんな君を不憫に思い何か手助けをしたいと思っても、今の自分に何を出来る訳もなく。
ただ眺める事しか出来ない。
なら何故、自分は存在するのか。
身体も無くなってしまったのに。
勿論消えてしまいたいという訳ではないが、其れでも存在する自分を受け入れるしかない。
いつまで存在出来るかすら解らない事を恐れ、どれだけ疑問に思っても自分は確かに存在するのだから。
それにしても参った、自分がこんなに早く死ぬとは。
確かに体調管理とか健康法なんて馬鹿にしていたし。
もちろんタバコも止める気なんてなかった。
自分の事とはいえ悲しい事は悲しいはずだが、自分が死んでも泣けないものだ。
そもそもこの状態で泣けるのかは解らないが、一滴の涙も出そうにない。
結局俺が死んで泣いてくれた奴なんて、通夜に来てくれた友だけだ。
だが其れすらも別に悲しい事では無い。
互いに子供が出来ても連絡を続けられるような友人は、やはり限られていく。
思えば十代の頃は、家族・恋人・友人・夢・仕事に順位を付けるならどうなる?みたいな話しをしていたが今考えれば世代で変わるものだと思える。
そもそも項目の中に子供が無い時点で、まだ自分達が子供だと言ってるようなものだが。
実際あの頃は俺も君も若かった。
今思い出すような事ではないかもしれないが、今だから思い出してしまうのかも知れない。
子供達が帰って来たのは、そんな事を考えていた時だった。
「ただいま~」
玄関に明るい声が響く。
送迎してくれた君の両親は気遣うように早々と退散したが、何も知らされていない子供達は、嬉しそうな笑顔で君に駆け寄る。
「お母さんどこに行ってたの?」
息子は少し不満気に尋ねるが「別にどこにも行ってないよ」と用意していたように笑顔で答える君は、やはり事実を伝えるつもりはないらしい。
子供は帰って来ない父親の事を聞かないが、工場勤務で夜勤の有る仕事だったので気にならないのだろう。
とはいえもう帰って来る事は出来ないのだから、何日か経てば疑問に思うだろう。
その時に君がどうする気なのか解らないが、いつかは伝えなければいけなくなるだろう。
だが何も知らされないままだからこそ、いつもどうりに無邪気にはしゃぎ回る子供達。
ただ自分が其所に居ない以外は何も変わらない日常。
いつものように子供達は宿題をさせられ、いつものように君と風呂に入っていく。
そんな子供達の姿を視ていると、その方が良かったのかなとも思えた。
子供達は風呂から出ると歯磨きを済まし、君に急かされ布団に潜り込む。
同じように布団に入った君は、子供達と少しの雑談と絵本の読み聞かせ。
そうしているうちに子供達が眠ると、慌ただしい家事と育児から解放されたように布団を被る。
君の頭が見えなくなるまで布団を被る、その息苦しそうな寝かたは昔から不思議だった。
だが今日は不思議じゃなかった。
理由は明白だった。
子供達に気付かれないようにどれだけ抑えても静寂な夜。
押し殺しても聞こえてくるすすり泣く声。
其れが何故今なのかは解らなかった。
我が家に帰った安心感からか。
聞こえる筈の夫の寝息が聞こえないからか。
だがそんな事はもうどうでもよかった。
自分では悲しくないなんて、そんな訳なかった。
ただ謝りたかった。
ただ感謝を伝えたかった。
其れすら叶わない自分が許せなかった。
もっと身体の事を考えれば長生き出来たのか。
タバコも止めて休日に運動するような。
全て今更なのは解っている。
其れでも抱きしめて一緒に泣いてやりたかった。
誰の目も気にせず子供のように大きな声で。
泣き疲れた君が眠りについたのは朝方だった。
そんな出来事なんて、まるで何も無かったかのように今日も夜は明ける。
新聞配達のバイク音。
花壇の朝露。
小鳥のさえずり。
全てが何も変わらず、いつもと同じように朝を告げる。
答えは探していたような言葉ではなかったのかもしれない。
伝えられなかった事を嘆くような。
まだ閉じたままのカーテンには泣き顔に優しくない朝日が射し込む。
もう支えあう事も出来なくなった自分の代わりに君の背中を押すように。
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