剣と鞘のつくりかた 《誓血の章》

橘都

第1話(1)




 その街は、絶対王政国家内にありながら、自治を許されていた。

 温泉療養地でもある、自治区フォルツ。

 王政国家でさえも一目置いている理由は、その地に傭兵組合の本部が置かれているからだった。

 “傭兵”と呼ばれる職業に就くには、組合の認可が必要となる。各国を渡り、争いごとがあればそのどちらかと契約を交わし、己の持つ能力すべてをもって与えられた任務を遂行する。

 彼らは個々の活動から、情報を共有したり支え合ったりしながら、いつしか仲間内で一定の地を拠点とし、組合として活動を始めた。根無草のままであれば、ここまで長く組織として活躍できなかっただろう。

 自治区フォルツは、傭兵組合が根を下ろしたからこそ、発展を遂げてきた。

 人が多く出入りするようになれば、それに伴って様々な商売も増えていく。宿屋、酒場、斡旋所、武器防具店、鍛錬施設、娯楽場、その他、人が生きていく上で必要なあらゆるものが売買されている。当然、商売をする者らの居住区域も自然と増えていった。

 土地の面積は広くはないが、大国の首都並みに発展をし、人口も観光客も多いフォルツの頂点にいる現在の区長は、能力高く人望の厚い人物と知られている。元は戦士の斡旋所を営んでおり、現在は信頼する者に経営を任せてはいるが、いまでもその業界には影響力を強く残している。区長自身は戦士ではないが、傭兵組合の理事を務め、戦士を見極める特殊な目を持っていた。傭兵組合にとっても重要な人物だ。

 その区長はいま、自治区フォルツを内包する大国アスリロザの要請に頭を悩ませていた。

 場所は、フォルツでも人気のある、区長行きつけの酒場だ。区長だからと立場をひけらかし偉ぶることはない。酒場は高級店ではなく、どちらかといえば下町風の騒がしい雰囲気の店だ。広い店内には大勢で騒げる大きな卓も、個人で飲める個席もあるが、一番の特徴は複数人で過ごせる小部屋がいくつか設けられていることだ。店の喧騒を感じつつ、親しい者たちだけでゆっくりと過ごすことができる。

 区長のいる小部屋に店主が顔を見せ、卓上に新しい酒杯を置いた。区長は笑顔を店主に送る。

「まだお見えになってません。お料理は、本当にあとからでよろしいのですか?」

 この大きな酒場の店主は、区長が気にかけている者の一人だ。小柄な女性の身を志しもって動かし、店を切り盛りしている。

「彼が来たら頼むよ。相変わらず食べるだろうから、私はそのおこぼれで十分だ」

 区長の冗談に、店主は細い体を震わせて笑った。ふくよかな中年である区長との和やかな雰囲気は、心の通った親子とも見える。

「お見えになったらすぐにお通しいたします。いま、小鉢をお持ちします。なにかおなかに入れませんと」

 店主は区長に頭を下げ、部屋から退いた。区長は笑顔を収め、酒杯に手を伸ばした。

 アスリロザの要請は、例年ならすぐさま返事をしていた。

 毎年アスリロザでは、戦士たちの闘技会が催されていた。現アスリロザ国王が闘技好きであることは有名だ。自国の兵士も参加させるが、もっと多くの戦士を鑑賞するため、各国へ向けて出場者を公募している。傭兵もその対象だった。

 毎年のことであるからフォルツでも告知を出し、希望者を募っていた。このお祭り騒ぎに参加をする者は、若い傭兵や駆け出しの戦士が多い。名を売る好機だからだ。闘技会を観覧するのはアスリロザ王族たちと貴族たちだが、闘技会の上位に名を残せば、以後の仕事がやりやすくなる。

 しかし経験を積んできた戦士にとっては、この闘技会への参加は不必要なものだった。経験を積むほどに生き残ってきただけで信用に繋がるからだ。それに熟練の戦士たちは、必要以上に己の腕を誇示することをむしろ望まない。

 区長は小さく息をついた。アスリロザからのもう一つの要請が達せられることに確信が持てなかった。

 彼は、引き受けてくれるだろうか。

 区長がいま最も気にかけている人物に、名指しで闘技会出場要請が来ていた。

 区長が知るなかでも、最高の傭兵に。

 このような茶番劇などに出場してくれる理由は見当たらない。だが、区長の頼みとあらば、人情に篤い彼のことだ、引き受けてくれるだろう。それは区長の本意ではない。意に沿わぬなら無理強いはしたくはなかった。

 しかしながら、アスリロザ国王直々の、命令に近い要請を、初めから拒絶することは得策ではない。断るにしても、本人の心内を聞いて、理由をつけて断らねばならない。アスリロザが傭兵組合の本拠地へ武力をもって攻め入ってくることはないが、他に報復の手段がないわけではない。大国の機嫌を損ねないほうがよいのはわかりきっていた。

 店主が持ってきてくれた小鉢の料理を肴に酒をゆっくりと飲み干したころ、区長は卓上に落としていた視線を小部屋の出入り口に移した。

 大きな体躯を屈めるように小部屋に入ってきた男に、区長は笑みを浮かべた。

「遅れて申し訳ありません」

 尊大ではなく、けれど悪びれるでもなく声を放った男は、区長の向かいに腰を下ろすと、いつも通りの力強い視線を区長に据えた。

「こちらこそ、申し訳ない。至急話したいことがあったのでな。まあ、久しぶりに語り合いたかったのもあるがね」

 男のすぐあとから入ってきた店主が男の前に酒杯と小鉢を置き、料理はなんにするのか尋ねた。

「お任せする」

 男は響く低い声で簡素に答えた。答えを予測していた店主は親しみのこもった瞳の奥に、憧憬と敬意を匂わせた笑顔で男を見返し、礼をとり退出した。

 男は誰が見ても戦士とわかる外見を持っている。極限まで鍛え上げた肉体は、どんな戦士も理想と思うもの。

 区長が知る傭兵のなかでも随一と言える男は、だが非武装だった。フォルツ内ではどの店も武器携帯が許されているし、大抵の戦士は自分の武器を離したがらない。

 男の非武装は、武器がなくとも身を守れる、その自信の表れだ。

 久方ぶりに男と会した区長は、あらためて男の存在感に打たれた。

 いつ会おうとも、いつも感じさせられる圧倒的な威圧感。

 だがそれは不快なものではなく、身も心も引き締まるような緊張感と共に、爽快感を覚える、独特なものだ。

「どうだった? かの戦場は」

 区長の問いに男は目を細め、より一層放たれる雰囲気が鋭さを増した。

 瞳には、優しさ、穏やかさ、そういった和やかなものは微塵もない。

「ひどいものです。期間を短くしておいて正解だった。さっさと切り上げてきました」

 男は区長の所有する斡旋屋を通して、アスリロザから少し離れた国の内乱制圧に参加し、つい先日この地に帰ってきたばかりだ。その報告は事務的に傭兵組合からも受けていたが、本人から話を聞きたかった。

「あなたがいて、あっという間に終結したからではないか?」

 区長の言葉に、男は目を細めたまま口元を引き上げる。

 男のこの威圧めいた表情を正面から受けて耐えうる者は多くはない。

 鋭く相手を見据える眼は、いまは闘志を見せてはいないのに、近寄りがたく正視できぬ迫力を持つ。加えて口元に笑みを浮かべられては、いかなる手段をもってしても対峙できぬような、不可侵な輝きが満ちる。

 長身で頑強な肉体、少し長めの自然な量感の鮮やかな金色の髪、男らしい相貌、意志が覗ける天空の青の瞳。

 精巧な彫像が意思を持てばこうなるのだろうと思わせる人物が放つ気配と表情は、ただの人間を威圧する迫力があった。理屈ではない、本能が感じ取ってしまう類のものだ。

 フォルツ区長と若き傭兵。

 二人が対峙する光景は、少々異質なものだった。

 まだ若い傭兵は、すでに経験と名声を手にしていた。同年配の傭兵はまだ駆け出しの者がほとんどで、比較にもならない。自信に満ち、曖昧さや躊躇とは無縁だった。相手を侮らず、己に驕らず、人と相対するときは互いを尊重する、ただそれだけでよい。

 区長の男への態度は、実に気を配ったものだ。親しみを込めた口調ながら、上位にある人物に対するような気持ちが込められている。年齢など関係がない。若輩であろうと、敬える人間は存在する。

「しばらく戦地に立っていなかったようだから話を持っていったが、結果はよくなかったかね?」

「いえ、やはり定期的に戦場に下りることは必要です。内容はどうあれ、体と精神を使わないと、すべてが鈍る」

 男は酒杯に口をつけた。いい飲みっぷりだ。酒を体内に入れても酔えない傭兵は多い。戦場では血に酔えず、地上では酒に溺れえぬ。傭兵の精神力には頭が下がると、このときも区長は思った。

 最初の料理が運ばれてきた。大皿に盛られた料理は湯気が立ち、食欲をそそる匂いを漂わせている。野菜中心の肉入り炒め物だ。

「いただいても?」

 男が一応区長にうかがいをたてた。男はここにきて初めて普通の笑みを浮かべている。若い傭兵の年相応の表情に、区長は愉快な気分で許可を与えた。

 瞬く間に料理は男の口元に消えていく。なにせこの立派な体格だ。それを維持するためには相応の補給が必要だ。

 区長は、戦場での男を見たことがある。いまの姿からは想像できぬほどに、その戦いぶりは凄まじい。それに比べると、淡々とだが、どこか楽しげに料理を食すいまの男の様子がほほえましく感じられる。

 次々と料理が運ばれ、もちろん区長も手をつけるが、店主に言ったように男のおこぼれ程度の分量にしかならない。食事の間は仕事絡みの話題は避け、二人は和やかな食事に専念した。

 食事が落ち着いたころ、食後の茶の香りを楽しみつつ、区長は男に話しかけた。

「そろそろアスリロザでいつものお祭り騒ぎが行われる。知っているな?」

 男は眉を片方引き上げ、区長を見つめてくる。食後の満足感のなか、表情は緩ませたままだったが、

「もう、そんな時節か。いい気なものだ」

 少し嘲りの色を含ませ答えた。

 アスリロザの国情は、どの傭兵も把握している。アスリロザは専制国家であり貴族制でもある。国内で栄えているのは、その階級の者たちだけだ。一般庶民の暮らしは、華やかな階級の者たちと比べれば、その格差は年々ひどくなっている。

「あなたには縁のないものだろうが、今年はそうもいかなくなった」

 男は訝しげな顔を見せた。いやな予感がしたのだろう。

「いつもの参加の要請とは別に、もう一つの要請が来ていてな。しかも、アスリロザ国王直々の」

 男の眼光が鋭くなった。冷ややかに、真っ直ぐに見つめてくる男の視線を受け止めながら、区長は苦笑した。内心、冷や汗をかきながら。

「まさか、俺に参加せよ、というのじゃないでしょうね」

「正解だ。しかし、いやなら断れる」

 男は目を閉じた。開いていれば、区長を視線で射抜いていただろう。

 しばし男は沈黙していた。アスリロザの思惑、区長の苦悩、己の心根、いろいろと思考を巡らせているのだろうとわかる。

 男が目を開いたとき、その口元は笑みを刻んでいた。冷淡な表情を予測していた区長は、意識せず体の力を抜いた。

 男の瞳は冷ややかなものではなく、違う輝きを放っていた。

「しばらく戦場から離れるつもりでいたから、暇つぶしにはなる。内部調査にも都合がよいでしょう。そろそろ、動きが出てきてもおかしくはない」

 傭兵は依頼があってから動くだけではない。各国を巡り、火種がありそうな気配を察すれば、身を投じるところを見極めるべく探りを入れる。

「行くかね」

「はい。見知らぬ土地に赴くことは嫌いではない。さまざまな国を巡るのも、己がなにかを求めているのだと、思うことがある」

 男の告白に、区長は己の動きを差し控えた。彼が自分のことを語るのは珍しいことだった。

「それは、気持ちを高揚させる刺激か、人との出逢いか、それとも、全力を賭して抗うことのできる敵か、自分でもわからない。だが、これだけははっきりしている」

 男は交戦的な笑みを浮かべた。

 この男をよく知らぬ者は、冷淡、かつ苛烈な感情の人間だと感じることが多い。それは、男の常に落ち着いた態度、冷ややかな眼光、敵を屠るときの容赦のなさ、そういった印象を強く受けるからだ。

 男の本質は、熱いものに支配されている。それを感じ取れる者は皆、男の抗いがたい魅力に惹きつけられる。

「退屈だけは我慢ならない。俺は、心動かされることを欲していると」

 鮮やかな笑顔を見せた男の覇気に区長は目を奪われる。

 そして予感した。

 今度の闘技会には、なにかが起こる。

 それはきっと、この男が引き起こすものだろう。

 若くして当代を代表する傭兵、最強のカドル。

“迅風”のレイグラント。

 彼の理解者であり、彼の存在感に誰よりも強く惹きつけられているフォルツ区長は、深い笑みでうなずいてみせた。











***


序章的に先に投稿してしまいたかったもので、次回更新は未定です。

新章をよろしくお願いいたします。




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