〈4〉

「うぇーい! 鼻くそー」

「うわっ、やーめーろーよー」


あれから何十日も経っているが、自己嫌悪が治まることはなかった。

それどころか日増しに酷くなっていく。もう記憶に残っている彼女の存在すら苦痛だ。ほんの些細なことでさえ最悪なものに思える。


彼女のことを考えたくない僕は、なんとなく公園に来ていた。

視界に入るすべての子供たちが、バカみたいに鬼ごっこをしている。

そのおかげでブランコはがら空きだった。僕はすかさずそこに陣取る。


社会的にタブー視されている立ちこぎは彼女のことを少しだけ忘れさせてくれた。

それにしてもこの鬼ごっこ率の高さは異常。古典的な子供たちが集っているのだろうか。


ただ通常の鬼ごっこと違うのは、鬼と思われる少年が鼻くそを指に付着させている所だった。

あんなのを付けられたら軽く泣ける。なんだかんだで9歳ぐらいが一番残酷だよな。

善悪の区別が曖昧で、自由で。無自覚に他人を傷つける。


そんなことを考えながら僕はブランコを加速させた。

文明の利器が発達したおかげで、見上げなくても空を確認できる。

スピードが上がるにつれ、ブランコと一体化したような錯覚を覚えた。

春の心地良い風にどこか心が救われるようだった。

このまま誰にも咎められずに、気化して生存していたことすら無かったことにしたい……。




「おまえほんとに汚いっ!!」


 ふとそんな言葉が耳に入り我に返った。追い回されていた子がとうとう鬼に鼻くそを付けられたらしく、「汚い」と連呼しながら泣きそうになっている。


別にどうでもいいことのはずなのに思い出してしまった。シャワーヘッドとホースの内側が錆びて汚れていたことを。


「よっわ! 鼻くそなんてどうってことねーじゃん」

「ひろしのばーかっ」



“どうってことない„


そうだ。別にシャワーの向きが定まらなくとも、シャワーとして使えなくても、それは個性だって認めていれば、彼女ともっと一緒にいられたんだ。


利便性を優先し、身勝手に彼女をこの手で葬った。

結局僕は、彼女を恋人ではなく、シャワーヘッドとしてしか見ていなかったのだ。

気づけば僕は両手で鼻くそ少年の肩を掴み、ぐわんぐわんと前後に少年を揺すっていた。


「ひろしくん、君は間違ってる。どうだって良くないだろ。

確かに鼻くそなんてこれからたくさん生成されていくし、困ることなんてない。

けど、この鼻くそはもう君の鼻の穴には戻らないよね? そうだ、戻らないんだ。

たとえこの先、君がその鼻くそに会いたいと思ったとしても、もう会えないんだよ。捨てるって、手放すってそういう覚悟ができてないと後悔するものなんだ。

しかも君の鼻くそはまだゴミにならずに済んだかもしれない。君が無駄に鼻をほじらなければね! 君は鼻くそを殺したんだよ。そしてその亡骸を見世物にした。

残忍な行為だ。そんな犯罪者の君に生きる資格なんてあるのかな? 君は生きるゴミも同然だ。

次の燃えるゴミの日は金曜日だよ。ゴミと一緒に焼却されてしまえばいい」


 本当はすべて自分へ向けた言葉だった。ひろし君と自分とが重なって、堰を切ったように何もかもぶちまけていた。


別に鼻くそなんてどうでもいい物質だし、ましてや初対面であるひろし君なんてもっとどうでも良かった。幼い子供を感情の捌け口にするなんて、卑怯でしかない。


「ひろし、大丈夫?」

「……うわーん」


 友達の同情も空しく、ひろし君が大声で泣き喚いている。面倒になる前に帰ろう、捕まりたくはない。



公園の出口に向かう途中、僕の足は震えていた。罪悪感ごときでこの様だから嫌になる。そんな自分にまた失望した。

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