第18話

「……そろそろ寝るかな」


 自室で勉強をしていた司はシャーペンを置いて時計に目をやる。そろそろ日付が変わりそうな時間。歯磨きは済ませていたので、スマホのアラームの設定を見直してベッドに向かった。

 ふと、閉じていたカーテンの隙間から外を見る。窓ガラスを揺らすほどの強い風が吹いていた。雲が流れているせいか、月は見えない。

 今日の夜道を思い出して首の傷が痛む。

 不気味な声と、力強い巨躯。詳しくは聞いていないがおそらく美也孤が助けてくれたのだろうと考えて、首をさする。

 正直、助かるとは思わなかった。いや、気絶したことが助かったといえるかはわからないが、命はある。美也孤は人が襲われることなどめったにないと昨日は言っていたが、連日襲われると否が応でも悪夢がフラッシュバックする。

 気のせいか、少し寒くなってきた。


 ――コンコン


「んぁ? 姉さん?」

「いえ、美也孤です。入って良いですか?」

「あ、いいよ。どうぞ」


 もう寝ようと振り返ったとき、自室のドアが鳴った。唐突だったため、少し心臓が跳ねる。とりあえず返事をして、自室のドアを開けるとパジャマ姿の美也孤が立っていた。今日アウトレットモールで買ったばかりのパリッとしたピンクのパジャマに身を包み、栗色の髪はドライヤーをかけたばかりなのかわずかに湿っている。日頃からつけている髪飾りも外しており、まさにこれから寝るところだろう。

 美也孤には客間を寝室として使ってもらっており、昨日はそちらで寝たはずだ。不審に思いながらもとりあえず部屋へ招き入れる。


「ありがとうございます」

「まぁ、入って。とりあえず座ってよ」


 司は美也孤に勉強イスを進め、自身はベッドの縁に腰を掛ける。

 すると、彼女は後ろ手に枕を隠していたことに気が付いた。美也孤は座ると、隠していた枕を体の前で抱きしめる。

 すこし、嫌な予感がした。

 言い出しづらいのか、うつむきがちに落ち着かない美也孤に、妙な不安感が司の胸にたまっていく。


「司さん。私、今日だけは一緒に寝たい……です……」


 やっと絞り出した言葉は消え入りそうなほど小さかった。

 美也孤は大きく息を吐き何とか落ち着こうとするが、喉の奥が詰まったような息苦しさは消えない。たまらず、ぎゅっと両腕に抱える枕を一層強く抱きしめる。

 目を合わせられない。

 何とか顔を上げようとしても、視線は斜め下に向かってしまう。

 そして司はというと、どう返答しようか迷っていた。

 美也孤のそわそわ定まらない目線、元気なく垂れた耳を見れば、彼女の気持ちを少しは感じ取れるというもの。

 だからこそ、どう断るかに悩んでいた。

 当然だ。恋仲でもない年頃の男女が同衾なんてありえない。たとえ、美也孤が司を好きだと公言していても、司がそれを少なからず悪く思っていなかったとしても。司の価値観では悩む余地なく『ノー』しか選択肢はないのだ。


「だめだよ。天河さん、どう意味か分かっている?」

「もも、もちろんです! あ、いや、でも! でも絶対! そんなこと、、、、、はしません!」

「……俺が襲うかもしれませんよ?」

「か、構いません‼」


 半ば脅しのように聞いてみたが、美也孤はそれすらはねのけた。ただ、声を張り上げ、初めて向き合った美也孤の顔は今にも泣きそうだった。

 思いもよらぬ表情と気迫に司は気圧される。同衾を申し出る女の子はこんなカオをするものなのか。


「……ちなみに、どうしてですか?」


 慎重に慎重に言葉を選ぶ。

 司自身でもわからないうちに「やめてください」と言われていた敬語口調になっていた。

 ぴくっと美也孤のミミが動く。

 少し悲しげな顔は枕の陰に隠れてしまう。


「あの……不安なんです」

「不安?」

「司さんが夜中にツキモノに襲われないか。寝ている司さんが狙われたらと思うと――怖くて」


 震えた声を聴くと「大丈夫」なんて気軽に言えなかった。

 司自身でさえ、美也孤が部屋にやってくる直前は今日の事件を憂いていたからなおさらだ。

 ただ、さすがに家の中にまで入ってくることはないだろうと司は楽観視していた。家中の戸締りはしっかり行ったり、わざわざガラスを蹴破ってまで入ってくるとも思えない。


「心配してくれるのはありがたいけど、さすがに同衾は許可できないな」


 今一度断りをいれると、美也孤がバッと顔を上げる。やはりその顔は不安が混じっていて、まるでホラー映画を見た後の子供のようだった。


「わ、わた、私は気にしません!」

「そういうわけにはいかないでしょう。それに流石に家の中までは襲ってこないよ」

「そんなのッ――わからないじゃないですか!」


 夜中ということもあり、美也孤は声を抑えながらも必死になる。しかし、彼女の感情はあふれ出して止まらない。


「二日連続でツキモノに襲われるなんて異常なんです! こんな住宅地のど真ん中で!」

「たまたまだよ」

「そんなことないです! 絶対に変です!」

「心配のし過ぎです」


 なかなかわかってくれない司に美也孤の声に少しのいら立ちが混じってくる。

 ツキモノについてまったく知識がない司に理解を求めようにも無理が出てくることはわかっている。頭ではそう思っても、美也孤の感情は抑えが効かない。


「あんな大きいツキモノに! もしかしたら死んじゃうかもしれないってくらいに襲われたんですよ! しかもツキモノは普段は人里には現れないのに! こんな異常が起きた後なんです。もしかしたら窓から入ってくるかもしれないじゃないですか! 私なら司さんを守れます。少なくともそばにいたら大丈夫です! 私は司さんには傷付いてほしくないんです!」


 一気にまくし立てた。

 言い終わってようやく自分が泣いていることに気が付いた。

 両目から胸の中でぐちゃぐちゃに混ざった感情が涙となって次々とあふれ出てくる。

 罪悪感から始まり、不安にさいなまれ、同衾を申し出るために緊張を強いられ、心配と焦燥感と哀願が入り混じって自分自身ですらわけがわからなくなってしまった。


「だから……」


 倒れるようにして、司の胸に顔をうずめる。

 司の服をぎゅっと握って、締め付けられたように苦しい喉を鳴らす。


「今日だけでいいです。……お願いします」


 美也孤の弱弱しく必死な懇願。司にはこれを断ることなどできなかった。


◇◆◇◆◇◆


 豆電球すらつけていない部屋では、目を開けても閉じても同じようなもの。

 二人は一つのベッドに並んで寝ていた。

 司は美也孤とは反対側を向いており、美也孤は司の背中に顔をうずめている。すると、ちょうど美也孤のケモミミが司のうなじに触れてしまっていた。美也孤の呼吸のたびにわずかに上下して、くすぐったくて眠れない。

 美也孤はゆっくり寝息を立てている。先ほどと比べるとだいぶ落ち着いたようだ。

 あそこまでストレートに感情をぶつけられ、目の前で泣かれてしまってはどうにも断ることができなった。

 「今夜だけ」という条件で許したが、司は今でもバツが悪い。

 正直、司としてはこれほど心配されているとは思っていなかった。知識不足故、仕方がないことだとしても、少し楽観視しすぎているようだ。

 自分が原因ではないが、彼女を泣かせてしまったこともあり、司の胸には申し訳なさがくすぶっていた。


「司さん、起きてますか……?」


 すでに寝たと思った美也孤の声が聞こえた。

 司は声を出す代わりに首を少し動かして答える。

 チクタクと時計の音が良く聞こえる静寂の中、意識をすると息遣いまで耳に届く。

 すぅっと美也孤の息を吸う音が聞こえた。


「明後日、司さんも……一緒に来てください。私のお母さんとお父さんに会ってほしいです」

「……は、え?」


 司は半分意識が夢の世界に足を踏み入れていたので、彼女の言葉を聞き間違ったのかと疑った。

 だが、美也孤に続く言葉はない。

 耳を澄ましても、帰ってくるのは規則正しい寝息のみ。

 それに合わせて動くケモミミがやっぱりくすぐったい。けれど、わずかに感じるふわふわを意識すると、なぜだか少し安心する。

 寝ていても美也孤は司の服をつまんで離さない。か弱い力だが決して離れない気がした。

 それが、どこにも行ってほしくないと言われているようで、司は寝返りどころか下手に身じろぎすらできなかった。

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