第4話

 不審な狐の女の子が訪問した翌日の朝、司は話に出ていた神社に行ってみた。

 ちょうど午前中は予定がなかったことに加え、家から神社まではさほど距離がなかったため、わざわざ自転車を走らせてみた。

 司は中学生の時は学校まで自転車で通学していた。神社は通学路の途中にあるのだが、歩いていくには少々遠い。五分少々走らせようやくついた神社は相変わらず人の気配がなかった。


(あいつは……いないか?)


 昨日、我が家に訪れたケモミミ不審者はいないようだ。この神社で寝泊まりしているといっていたので、もしかしたらとは思ったが、その心配は杞憂に終わった。


「懐かしいな。一年ぶりか」


 脇道の林道に入りしばらくすると、木々に囲まれた小さな神社がひっそりと建っている。人気のないが陰鬱というわけではない。風や鳥の自然の音が心地よく、中学生の時はよく学校帰りにここで読書をしていたものだ。


 境内に入ると、木々のさざめきと鳥のさえずりが小さく聞こえる。司は神社の縁側に腰を掛けてみるが、誰かがやってくる気もしなかった。


「あいつもいないし、帰るか」


 いないのであればそれでよい。昨日の不審者は何かの間違いか、夢だったか。司は自転車にまたがった。


「……ん?」


 神社を出た瞬間、背筋に悪寒が走った。顔を上げると、西の空から重い雲が近づいてきている。風もだんだん強くなってきており、不穏な空気が漂う。


「やば、降りそう」


 スタンドを上げ、気持ち急ぎでペダルをこぎだした。


◇◆◇◆◇◆


 自転車をこいだ司がたどり着いた先は、自宅の近所にある一軒のアパート。

 到着した時に空を見上げると、すでに空は雲に覆われている。心なしか、自転車をこいでいる途中に雨粒が顔に当たった気がした。


「あぶね。間に合った」


 少し古びたアパートの屋根に入ると、一気に降り出した。砂をばらまいたかのような激しい雨になった。雨に濡れないように屋根のもとに自転車を置いて、階段を上る。

 その一室の前に立ちインターホンを鳴らす。


「はい。あ、先輩、お疲れ様です。雨は大丈夫でしたか?」

「おっす二尾(ふたお)。ぎりぎりでたどり着いた。危なかったよ」


 静かな声とともに出てきたのは学生服を着た黒髪の女の子だった。人差し指を顎に当て、「んー……」と司の様子を確認する。肩も濡れていない司を見ると、あからさまにがっかりした声で中に招き入れた。


「そうですか。それは残念です。インドア派の先輩が濡れネズミになる姿はめったに見られないものと期待してましたのに」

「俺はいったい何を期待されているんだ」


 冗談交じりにくすくすと笑うのは、二尾ひなたという司の中学時代の後輩だ。司と同じ将棋部だったことから時々勉強を教えることがあり、彼女が中学三年生だった今年は一年間家庭教師をしていた。


「しかしまぁ、受験勉強も終わったのによくやるよな。家庭教師も二尾の頭なら必要なかっただろうに」 

「そんなことないです。ハイレベルな問題を解説してくれる人がいると効率が全く違います。……まぁ先輩は頭は良いですけど教えるのは下手ですよね」

「すまんな。かといって、受験が終わってからも勉強か」

「高校の先取りも大事です」

「真面目だなぁ」


 司の想定では受験勉強が終わったら家庭教師も終わると思っていた。しかし、ひなたは受験後も司を呼び、合格発表後もこうして続けている。彼女は中学卒業まで契約を続けるらしい。


「それに、先輩は友達いなさそうですし」

「いないわけじゃないぞ」

「寂しそうな先輩に付き合ってあげているのですよ。感謝してください」

「そうだな。そういう二尾も寂しそうだしな」

「いえ、私は友達はいます。先輩と一緒にしないでください」


 落ち着いた返しと少しの毒がひなたとの会話の常だった。出会ったばかりは関わりにくいと思っていたが、慣れてしまえばなんてことない。ひなたにとって、少しのトゲはただの挨拶なのだ。

 司はひなたの私室に通された。本棚と勉強机とローテーブル、部屋の隅には将棋盤。ひなたらしい簡素な部屋にはもう何度も通った。

 司はローテーブルの前に座って荷物を広げた。中身はもちろん勉強道具。尻ポケットからスマホを取り出して、わきに置く。


「先輩が中学の時は部活で将棋を指せたんですけどね。さて、勉強からします。将棋からします?」

「勉強だろ」

「ではそのあと将棋にも付き合ってあげます」

「俺が付き合ってやる立場じゃないのか」


◇◆◇◆◇◆


「ありがとうございました」

「ありがとうございました。惜しかったですね先輩」


 司は頭を下げて負けを認める。ひなたも対局中にのみ見せる真剣な表情を解き、いつもの不愛想な顔に戻った。ただ、一局指した後だからか、少し顔に疲れが見える。

 司が中学生だった時の名残か、将棋部の二人は勉強が終わると一局将棋を指すことがいつのまにやら習慣になっていた。


「大事なところで守りに手が伸びるのは先輩の悪い癖ですね」

「んー、慎重になりすぎたのかな」

「普段の性格が良く出ています」

「耳が痛い」


 司は普段から慎重を心がけているだけに、ひなたの言葉に何も言い返せない。

 ひなたは司よりも将棋が強い。中学から何となく始めた司と比べると、ひなたは一枚も二枚も上手だった。

 司はその後も将棋の内容のダメ出しを受け続けた。

 将棋のことを話すひなたは真剣そのものだが、声は弾んでいたため楽しそうにしていることがわかる。


「なに人の顔を見て笑っているんですか」

「いや、何でもない」

「気持ち悪いですよ。じろじろ見ないでください」


 過去に一度、司がまったくやる気のない将棋を指したことがある。このときは、終わったあと無言で睨みつけられて、部屋から蹴り飛ばされた。

 その時の表情を知っているゆえに、難しい顔をしていても不機嫌ではないとわかる。積極的に笑うことはないが、少しの機微ならだんだんわかるようになってきた。


「さて、外は大雨ですが、先輩はどうしますか?」

「そうだなもう一局……と言いたいところだけどさすがに帰るよ」

「そうですか。雨に打たれたいだなんて失恋でもしましたか。先輩もセンチメンタルになることもあるんですね」

「いやいやそんな気分じゃないし。まぁ走って帰れば大して濡れないよ。家すごく近いしな」


 実は司とひなたの家は一分と離れていない。今日は神社に寄ったため自転車できたが、普段は徒歩で通っている。

 雨も少し前と比べると若干弱くなっているため、走れば大して濡れないだろう。

 荷物をカバンにしまい、立ち上がった司を見てひなたは大きくため息をついた。


「いくら近くても濡れるでしょう。仕方ないですね。玄関にある傘を持って行っていいですよ」

「そうか。それはありがたい。正直言うと濡れたくないからな」

「別に濡れるだけならいいです。これで先輩が風邪でも引いたら寝覚めが悪いからです。自転車も一日くらいだったら置いていってもいいですよ」

「ありがとう。明日返しに来るよ」

「……もう一局付き合ってあげてもいいですよ?」

「さすがにね、やることあるし。たぶん、洗濯物が濡れてるから洗いなおさないと」

「手遅れじゃないですか」


 「じゃあまた今度な」と手を上げて司は部屋を後にする。

 座ったまま見送るひなたは、すごくつまらなさそうな顔をしていた。

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