新章6
フジカゲが教えてくれたのは、アギンの居場所だけではない。アギンがしようとしていることも、フジカゲにはわかるらしかった。でも、なぜアギンがそんなことをしようとするのかはわからないらしい。いや、わからないのではなく、言葉にできないだけなのかもしれない。
フジカゲによると、アギンはきっと女か子供かその両方を殺すだろうということだった。この話を聞いたのは、アギンを探す前だ。
もしわたしが妊娠できていたら、アギンは子供を殺したのだろうか。
わたしは自分の部屋でメロンをなでた。メロンはどこか心配そうにわたしを見ている。メロンがフジカゲになつかなかったのは、きっと彼をこわがっていたからだ。わたしのことはこわがらない。
なぜかフジカゲに会いたくなった。無性に、あのなにを考えているのかわからない深淵の目をのぞき込みたい。そう。なぜかいつでもわたしは、彼がわたしを助けてくれると無意識のうちに思っていたのだ。そのことにやっと気づいた。
でも、ただ会いたいとか、助けてほしいとか、そんなことばかり思っていてはだめだろう。そんなことはずっと前からわかっているけれど、今まで、ずっと行動してこなかった。正しいことをしないと、望みを叶えてほしいなんて、思う権利もないんじゃないか。
すでに日付は変わっていたが、わたしは部屋を抜け出してセオの車へ向かった。車の中にはぼんやりとした明かりがついている。そして近づくとわかったのは、車の窓の外にドローンがホバリングしていることだった。
わたしは軒下に身をかがめ、ドローンについている画面が見える位置へ移動した。画面に映っているのは、見覚えのない女性の顔だった。なにかを真剣に話しているように見えるが、ここでは音が聞こえない。
セオは窓を開けてドローンを見つめているようだ。わたしはじりじりと距離を詰める。
「――わたくしどもの主張はおわかりいただけるでしょう? どうしても賛同していただけないのであれば、ご自身のことを率直に話していただくだけでも結構ですが」
女性の声は言った。
「俺たちは精神的治療を受けてるんですよ? 賛同できるわけないでしょう」
セオの声は苛ついている。
「その治療に科学的根拠があるのか、おおいに疑問があることはご存知ですか?」
「知っています。しかし、俺たちは国に従うしかありません」
「わたしたちはあなたがた元調整者のようには諦めません。治療の必要性に科学的根拠がないことを証明して、国民すべてに調整の権利を与えることを目指します」
「そんなことをしてなにになるんですか?」
「潜在意識を駆逐して、人々を悪夢から解放します」
その時わたしは、悪夢も必要だ、という言葉を思い出した。これを言ったのは誰だったろう。フジカゲだ。
「そんなことをしても、生きることがつらいのは変わりませんよ」
あれはどういう意味だったのだろう。そもそも悪夢とは、なにかの例えのはずだ。不安とか、恐怖ということだろうか。それがなくなっても生きることがつらいというなら、もっと深いものなのかもしれない。わからない。
「でも、みんながみんなそうなれば、世界は変わると思いませんか?」
セオは言葉を詰まらせた。
ドローン女性はまた連絡すると言い残し、夜空の向こうへ飛び去った。
わたしは車に近づき、開いた窓の反対の窓を叩いた。
うつむいていたセオは顔を上げる。パネルをタップし、無言でドアをスライドさせたので、わたしは中へ入って助手席に座った。
「さっきのは誰ですか?」
ある政治団体の代表者だと、セオは諦めたように話してくれた。
「前から連絡してきてたんです。『全国民に調整の権利を与える会』の代表です。国民全員を調整者にしようとしてるんですよ」
「え? どういうことですか?」
「調整を受けるのは国民の権利だって言うんです。めちゃくちゃですよ。俺たちは国を守るために調整者になったのに、これからは誰もが調整者になれるようにするなんて」
「そうしたほうがいいっていう考えがあるんですか?」
「はい。それが素晴らしいことだと信じてるんですよ」
「それは違うんですね?」
「さあ。正直よくわかりません」
「そんな人たちがいたんですか……知りませんでした」
「ある政党の代表もその会に入っているという噂です。まあそんなことはいいんですが……どうしたんですか? こんな時間に」
「すみません。あの」
わたしはどこか夢を見ているような気持ちでセオと目を合わせた。
「死体を掘りに行きましょう」
死体を掘って通報しようというわたしの提案をセオは却下した。そんなことをしたら、すべてが台無しになってしまうというのだ。まずは、フジカゲが潜在意識データのことについて話してくれるように説得してからではなくてはいけない。アギンが捕まったとしても、フジカゲについての真実は明かされないから。
でも、とわたしは食い下がった。
「アギンをそのままにしておいていいんですか?」
「よくないですけど。でも、死体を掘って通報したら、サヤさんも捕まってしまいますよ」
「いいんです。そんなことは。わたしも、やっといいことをしようという気になったんです」
「落ち着いてください。なにを焦ってるんですか?」
「焦りますよ。アギンがその辺にいるんですから」
それほど遠くない場所に住んでいるのだ。
「大丈夫です。俺がここにいますから」
「そういうことじゃなくて。ほかの誰かに危害を加えるかもしれないじゃないですか。一緒にいた女性とか」
「まずはフジカゲを説得するのが先です」
「説得って言ったって。フジカゲさんは、あのデータを見たことは話さないって、もう決めてるんじゃないですか?」
「今からでもまだ遅くありません。とにかく明日、またフジカゲに会いに行きましょう」
わたしは渋々車から降りた。アギンと会ってぞっとしたと言っていたのに、セオはわたしほどには、アギンを恐れてはいないらしい。
フジカゲは、アギンのことをどう思っているのだろう。
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