さみしいかみさま

小夜 鳴子

相川みお 1

「神様って呼ばれたこと、ある?」


 瑞樹くんは、そんなことを呟いた。

 普段から真っ黒な彼の瞳は、今も死にそうなほど真っ暗で。その瞳が偽物だということを、私だけが知っているのだ。


「うーん。ひとまず、人間である以上、そんな『神様』なんてものにはなれないと思うな」

「そっかあ、そうだよねえ、それが当たり前だよねえ」


 うんうん、と頷きながら、瑞樹くんはメロンパンを頬張った。中庭の芝生に置いた彼のビニール袋からは、カラフルなパッケージに包まれたクリームパンが飛び出している。私はふいに、彼の食生活を少し不安に思った。


「そんなに甘いものばかり食べてて大丈夫なの? 私、瑞樹くんが野菜とか肉とか食べてるところ、見たことないんだけど」

「僕は神様だから、何を食べても太らないの」


 ごくりとメロンパンを飲み込み、彼は口の端を上げてみせる。こちとら、今日もカロリーメイトだけでなんとか空腹を凌いでいるというのに、この男は……と、睨みつける。


「自分のこと、神様なんて言っちゃって、馬鹿みたい」


 そう吐き捨てると、彼は曖昧に笑い、またメロンパンを頬張った。形のいい唇に、パンくずがついている。

 自分のことを『神様』、と呼んだ少年、星野 瑞樹くんは、まあ、そういう目で見れば神様かもしれないな、と思う。だって、彼はとびっきりの美少年だから。





 瑞樹くんは、中学生のときに、この辺に引っ越してきた。その頃は全然私と関わりは無くて、私はたまに見かける彼のことを「綺麗な男の子だな」と思っていたくらいだった。

 美しいものは人を惹き付ける。無口でどこか近寄り難いオーラを持っていた彼は、いつも1人でいたけれど、みんなちらちらと彼のことを気にかけていた。私もその1人だ。

 3年生のときに初めて同じクラスになり、彼のことを近くで見る機会が多くなった。私は授業中、黒髪と真っ白な肌が対照的な美少年の横顔をじっと見つめていた。

 彼は授業をあまり聞いていないようで、ずっと窓の外を見ていた。真っ黒な瞳が、まるで硝子玉のようだった。

 それが今、彼は私の隣で昼食を食べているのだ。天変地異が起こったとしか思えない。それくらい、中学の頃の彼は、無機質で何の反応も示さない、人形のような人だったのだ。

 変化が訪れたのは、高校に進学した後。うちの学校は中高一貫校ではない。だから、彼が私が進学した高校の入学式に出ていたときは驚いた。同じ中学からこの高校に入学した人は、あまり多くない。だからこそ彼はここを選んだのかもしれなかった。

 その後、私は彼と同じクラスだと知って、またあの綺麗な横顔を眺めることができるな、と1人はしゃいだ。

 高校に入っても彼は相変わらずで、愛想も無く、積極的に話しかけたりもしなかったので、いつも一人だった。あからさまに彼に声をかける女子もいることにはいたけど、あまりにも無反応なので、次第に減っていった。中学の頃も、そうやって1人になっていったのかもしれない。正直、美少年が1人で空を見上げている姿は孤高、という言葉がよく似合っていた。ぼっち、とはとても呼べないな、と1人苦笑した。

 そんなある日のことだった。定期考査も終わり、夏の文化祭の準備に入ってしばらくしたその日、彼はまたしても1人、看板にペンキで色を塗っていた。大方、黙り込んで何もしない彼に閉口したクラスメイトがその仕事を押し付けたのだろう。しかし彼は今までに無いほど真剣に、貼り合わされたダンボールを見つめながら作業をしていた。

 そのため、いつの間にかクラスメイトたちがいなくなってしまったことに気がつかなかったのだろう。彼は日が暮れるまで、作業に没頭していたようだった。

 私は文化祭実行委員で、遅くまで学校に残っていた。会議も終わったのでそろそろ帰ろう、と下駄箱に向かっていたときに、うろうろと中庭をさ迷う彼を見つけたのだ。

 よく言えばいつもマイペースな彼が、所在なく辺りを見渡していた。走ってはしゃがみこみ、何かを探すように草を、花をかき分けている。まるで猫みたいだった。


「どうしたの?」

 

 気づけば話しかけていた。要するに、放っておけなかったのだ。

 彼は元から大きな瞳をさらに大きくして、私の方を見る。少し、弟に似ている、と思った。そこであれ、と感じたが、その疑問が形になる前に、彼がふっ、と目を逸らした。もう暗いので、勘違いかもしれない。彼の瞳に違和感を覚えたのだ。


「……コンタクトレンズを落としてしまったんだ」


 低くもなく、高くもない心地よい声が響く。今まで彼の声は、うんとかすんなんて言う返事だけで、まともに聞いたことがなかったので、どきり、とした。


「そっか。じゃあ私も探すよ」

「……いいの?」

「うん。もう暗いし、2人で探した方がきっと早いよ」

「そうじゃなくって」


 目線を下の方でうろうろとさ迷わせながら、彼は呟く。


「僕と君は、友だちでもないのに」


 ぷはっ、と笑いそうになった。

 確かに。私たちは友達じゃない。話したことすらない。もしかしたら、私は彼に認識されてもいなかったのかもしれない。けど、私は不思議と彼の孤独で美しい姿が好きだったし、今の、こうやって気弱そうに私と話す姿も、とても好ましく感じられた。

 それに、少しあの子に似ている。


「人を助けるのに理由なんていらない、でしょ?」


 小学校のときに教えてもらわなかった? と笑い、しゃがみ込んで、コンタクトレンズを探し始める。彼が花時計の辺りで作業をしていたところはお昼に見ていたので、きっとこの辺りで落としたに違いない。美少年と花は麗しいな、としみじみとしていたから。

 彼はしばらく棒立ちになっていたが、「そっか、そうなのか」と小さく呟くと、やがて、私と同じようにまた捜索活動に移り始めた。


「いつ落としたの?」

「……しばらく作業に集中していて、目が乾いていて、周りに誰もいないってことに気づいて目を擦ったら、ぽろっと落ちた。だから、この辺にあると思う」

「おっけー。じゃあ、私がライトで照らすから、瑞樹くんはここを探し回って」

「うん」


 ポケットからスマホを取り出してライトで足下を照らし始めた私は、彼の綺麗なつむじを見ながら、やってしまった! と心の中で叫んだ。瑞樹、星野 瑞樹、ほしの みずき。なんて綺麗な名前だろう。中学の頃から名前はもちろん知っていたけど、美しい人は、名前まで美しいのか、と常々感じていた。いきなり下の名前で呼んでしまったことを後悔したが、そのあまりの響きの良さに、私は感服した。きっと、彼のお母さんも美しく、豊かな感性を持っていたのだろう。


「……あった!」


 小さく歓声の声が響く。慌てて彼に目線を向けると、丸い膜のようなものが、彼の手のひらに乗っていた。


「良かった」


 くす、と笑うと、彼は私の方を見る。どきり、とした。先ほどの違和感はやはり勘違いではなかったのだ、と確信する。

 彼の硝子玉のように真っ黒な右目は、ライトの光の下で、今は青色に輝いていたのだ。

 私が彼の瞳をじっと見つめていることに気づき、彼が口許に人差し指を当てる。


「秘密だよ」


 にっこり、と三日月を象ったその唇は、私の目を捉えて離さなかった。


 


 その日から、彼と私は中庭で昼食を食べるようになった。元々、私もクラスに親友、と呼べるほど仲の良い子がいなかったので、昼食もいつも1人で食べていた。だけど、誤解しないでほしい。私はぼっちじゃない。瑞樹くんと違って、普通に話せる子はいるから。

 黒髪黒眼の美少年は、実は金髪碧眼の美少年であったことも知った。金髪は黒髪に染め、碧眼はカラーコンタクトレンズで黒眼にしているらしい。純日本人だよ、と少し淋しげな顔で言っていたので、アルビノか何かだろうか。何にせよ、遺伝子の突然変異には違いなかった。

 何故、孤独を好む彼が、私と行動しようと決意したのか、実は未だによく分かっていない。授業中や休み時間はこれまでのように話さないし、私は彼の横顔をひっそりと見つめているだけだった。

 私、相川 みおは、今日も彼と、お昼ご飯を食べる。彼はメロンパンを、あ、今はクリームパンを。私はカロリーメイトを。

 そして、時々、自分のことを神様だと笑う彼は、美少年で、孤独で、気高い人だった。

 



 

 

 瑞樹くんと昼食を共にするようになってから2週間ほど経った頃、ついに文化祭が始まった。

 一日目、なんと彼は学校に来なかった。まあ、1年生は展示だけで、学校に来たってやることは2年生の劇を観たり、3年生の模擬店の食べ物を食べたりすることぐらい。おまけに、私たちのいつもの居場所である中庭は、軽音のライブや生徒会主催のイベントに使われていて、とても騒がしかった。

 文化祭は2日間。その後土日を挟んで体育祭があるので、彼は明日も来ないのだろうか、と残念に思った。クラスのまあまあ仲の良い子と、それぞれのクラスの展示を回ったり、吹奏楽部の演奏を見たりしながら、私はどこか物足りない気持ちだった。

 朝、家を出る前に、母が私に「彼氏と回ればいいじゃない」と笑顔で言ったことを、私は覚えている。もちろん私に彼氏はいない。ここ数年で、まともに話した異性は瑞樹くんだけだ。それに、彼は、なんと言うか異性、という感じがしなかった。

 彼は、骨格的には間違いなく男性ではあるのだけど、どこか女性的というか、中性的な雰囲気がある。だからこそ、私は彼に話しかけることができたし、ああやって楽しくお昼を食べることも出来たのかもしれない。

 それに、少し、似ているのだ。懐かしい、あの子に。もう会えない、天使に。

 そんなことを考えながら、文化祭一日目は淡々と過ぎていった。

 

 

 二日目、彼は学校に来た。朝礼の後、中庭の方を覗いて、ぐっ、と眉を顰めたあと、私の方を見た。昨日、一緒に行動していた子は、部活の仕事があるとかで、すぐに出ていってしまった。私を静かに見つめるその瞳はやはり黒くって、うるうると、淋しげな輝きを放っている。


「……一緒に回る?」

「うん」


 こくり、と頷く姿はやっぱり猫みたいで、私はふふっ、と笑ってしまった。

 回る、と言っても、昨日のうちに展示は大体全部見てしまった私はもう1度校舎を彷徨くのが億劫で、彼も興味なさげに空を見ていたので、どこか静かなところに行こう、と思った。

 といっても、この文化祭中に静かなところなんて存在しなくて、結局教室に戻ってきてしまった。

 洋風に飾り付けられた私たちの教室の展示は、もう誰も見に来ない。私のように、一日目に全部回ってしまった人がほとんどなのだろう。案外、ここが一番静かなのではないか、と一通り彼を連れ回した後に気づいたのだった。

 彼は教室に戻るなり、展示の後ろの黒いカーテンを押しよけ、無造作に置いてある椅子に座り、また空を見上げた。今どきの学生のように、暇つぶしにスマホを操作することもなく、彼はただ静かに時を過ごしている。そもそもスマホを持っていないのでは、と感じた。彼が電子機器を使っているイメージが、どうしても思い浮かばないから。

 彼と廊下を歩いているとき、周りからの視線を感じた。正確には、彼の隣を歩く私を訝しげに、また嫉妬混じりに見つめる視線だ。美しいものにはそういった汚い感情を向けられないのだろう。自分が惨めに思えてくるから。悪意は私にだけ込められていた。

 私が彼と昼食を食べていることを知っている人は恐らくいない。中庭で食べている人はたまにしか見かけないし、私たちはその片隅で食べているので、よっぽどのことがない限り、見つからないと思う。だから、私が彼の隣を歩いているのが心底不思議だったのだろう。私もそう思う。

 一度、それとなく聞いてみたことがあったけど、彼はまた、唇を綺麗な三日月にして、「秘密」としか言わなかった。私がその表情に弱いことを知っていてやっているのだ瑞樹くんは。うーん、あざとい。

 何にせよ、彼と過ごす静かな時間は嫌いではなかったし、むしろ綺麗な顔をじっくりと見ることができて楽しい。美人は三日で見飽きるなどと言う言葉は誰が言ったのだろう。美人も美少年も、いつまで経っても見飽きません。

 ずっと見ているのも何だか恥ずかしいので、私は鞄の中から本を取り出し、文字を追いながら、時々彼へと目線を向けていた。


「何の本、読んでるの」


 突然ぽつり、と彼が呟いた。前触れもなく質問を投げかけてくるのはもう慣れてしまったので、私は動揺を見せることなく、それに答える。


「太宰治さんの『人間失格』。ほら、この前の現代文のテスト、太宰治さんだったじゃない? それで興味が出てきて、買ってきたの」

「へぇ、見せて」


 窓の外から目を離し、彼は私に目線を寄越す。私が彼に本を見せると、彼はしばらくその文字の羅列をじっ、と見つめたあと、ふぅ、とため息をついて私の方に戻した。


「駄目だ。読める気がしない」

「本を読むの、苦手なの?」

「うーん、そうだね。僕は神様だから」

「まーたそんなことを言う」


 くすくす、と笑うと、彼も笑みを浮かべて、また窓に視線を戻した。


「楽しい文化祭だね」

「そうね」


 窓の外から見える中庭は、沢山の人で賑わっている。また来週になれば、あの場所は私たちの場所になるのだ、と言い聞かせて。

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