第26話 絶望(笑)

 ◆◆◆



 や組織に関する今後の方針について二人で議論していたら、とっくに午後の七時である。

 そろそろ戻らないと。これ以上一人で待たせては、また師匠が拗ねてしまう頃だろう。


「じゃあ、俺はそろそろ部屋に戻るよ。……明日以降の連絡事項はあるか?」


 そして、なにより。

 弟妹ていまいたちが俺に料理を作ってくれるというのだ、これはもう是が非でも早く帰りたいね!!


「いや、ないぜ。……あ、でも――」



 これ見ろよ、と言うと、ケアンはカレンダーに指先を当てた。

 その先には……『総合力テスト』の文字が。


「……ん?」

「見たとおりだぜ。明日だ」



 え……?

 ちょっと待って。

 待て待て待て。血の気よ、頼むから下がらないでくれ。


「おいおい、冗談は顔だけにしてくれよケアンさん」

「おいおい、当てつけはカナだけにしてくれよヴィルヘルムさん」


「う、嘘なんだろ? タチの悪い冗談なんだろ? なあケアン、頼むからそう言ってくれよ後生だから!」


 ケアンはただ一言でもって俺を絶望のどん底に突き落とした。





「ガチだぞ。お前の運も尽きたな」





「……………………はあああ!?」


 嘘だと言ってよ、バ〇ニィ!


「そんな……」

「忘れてたって顔に書いてあるぜ! ハハッ! ……うぐぇっ」

 

 ひとまず腹を抱えて笑ってる貴族野郎に一発蹴りを入れてやった。


 ……完全に忘れてた。

 明日テストだった…………。どうしよ、今回ばかりはなんの準備もしてないぞ。


「しかも総合力テストって筆記じゃなくて、戦闘のほうだろ?」

「そそ、全クラスの連中と合同でやるやつな」


 ――終わった。

 やばい。まぢやばい。


「お前は受けなくてもいいと思うけどな」


 ケアンはそう言ってくれたが、残念ながらフォローの効果は薄い。


「いやぁ、本当は首席の権限でそうしたいとこなんだけどさ、これ以上チェスター教授に借り作りたくない」

「確かにな。お前がまだこの大学にいるのはあの人のおかげだろうよ」


 改めて明日に迫ったテストに、大げさに肩を落とす。

 いや、ほんと、すっかり失念していた。


「ほら、そんなわけだから早めに寝たほうがいいぜ。……多分お前んとこの従者、明日のうちにSクラスに入ってくるぞ」


 いやまあ、師匠をSクラスの生徒にするために今日この国へ来たのだが。というかSクラスでないとA以下のクラス分の学費はとてもじゃないが払えないので、校内のパワーバランスとか言ってる場合じゃない。S特待を受けてもらう必要がある。


「いいんだよ。師匠は強い。それこそ、俺よりも数段上の魔族だ。……だから俺たちも頑張らないと、ポッと出の侍女に負けたなんていうレッテルを貼られかねない。A以下の連中に散々言われる羽目になる」


 師匠がSクラスに入るのは前提として、その上で俺よりも上位の成績を取られたりしたら本当に恥ずかしすぎて誰にも顔向けできない。


「お前、けっこうその従者のこと買ってるんだな、『師匠』呼びだし。……お前が他人を褒めるところなんて、それこそ弟くんや妹ちゃんくらいなのに」


 確かにまったく褒めたりはしていないかもな。


「こればっかりは魔族としての本能なんだろうな。生半可な心持ちじゃ到底かなわないって思ってる」


 そう感じているのは本当だ。

 だが同時に「どうあっても」と思う自分もいる。

 そちらは本能以上に納得のいく根拠がある。それでも、彼女とはなるべく戦いたくない。いや、殺し合いたくない、と言うべきか。


「マゾとしての本能……?!」

「言ってねえよ。お前を調教してやろうか」


 ぶっとばすぞ。

 ケアンはおちゃらけて見せると、グッと親指を立てて言った。

 

「ま、お前も気をつけろよ、ヴィルヘルム。……今は任務中だし《ヒットマン》だったか」

「仕事がらみの話のときは一応それで頼む。じゃあまた明日!」


 そんな会話を交わし、俺は全速力で部屋に戻った。



「やっぱあいつ、妹たちのこと大好きだよなー」

 みたいなことを、部屋に一人残されたケアンが呟いている気がした。



 ◆◆◆



 自分の寮部屋に戻ると、部屋の外からもわかるほど少し騒がしかった。

 騒音といっても気になるほどではないが……。


 一応、鍵を大きな音がガチャリと鳴るように開けた。


「ただいま〜」

「あ、いぶ……ヴィル、おかえり〜」


 いま伊吹って言いかけなかった?

 まあいいが。


 部屋にはカナがいた。

 あとさっきまでの騒音は、途端に静かになった。


「もういっそ、お互いにこっちの世界の名前で呼び合えばよくないか?」


 ちなみにカナのこちらでの名前はリィン。

 リィン・セルレッタだ。


「ボクはそれでもいいけど。……だってヴィル、自分の真名も知らないじゃん」

「わざわざ真名にこだわらなくていいんじゃないか? とりあえずヴィルヘルムで頼む」


 いっそ《ヒットマン》を真名として名乗ろうかな。



 真名の用途はいくつかある。


 例えばカナの場合はセルレッタの家系だ。

 それぞれの家がもつ、真名解放魔法の式句しきくを唱えると、セルレッタ家の系譜にいる今は亡き先祖たちに一時的に力を借りることができる。


 それぞれの家といったが、この式句は親に教えてもらうようなものではない。部下に聞いてみたところ、いつのまにか、どこで聞いたわけでもなく知っているものらしい。


 また俺たちは魔族なので、魔法や魔術への高い素養を持っている。疑似神経として肉体を巡る魔術回路は、先祖からその性質や強度などの基盤を受け継ぐものなのだ。

 それ以外にも、魔族は身体能力が高く、人間種よりも寿命が長いなど、肉体のスペックが高い。これらも先祖から遺伝されるものとされている。


 ……なので、魔術回路を酷使するような術式や、肉体の許容量を大きく超過する魔力をるとき、ごく稀に、祖先たちの力を借りられることがあるのだという。その条件の一つに真名を知っておくということがあるそうだ。



「なあリィン。ノエルとアンジェロ見たか?」


 ノエルが妹で、アンジェロが弟の名前だ。

 名前を出す機会がなかったから初解禁みたいなもんか。


「あー…………」


 なぜかは分からないが、カナことリィンはリビングにほんの一瞬チラッと視線を送ると……。


「私の部屋のほうで見たんだけど、こっちにはいなかったよ」

「そっか。外はもう暗いから、そろそろ帰ってくれるといいんだが……」



 12月ももう終わり。19時にはすっかり日が暮れてしまう。

 ……今日は27日。明後日が大学も冬季休業に入るというのに、総合力テストを明日までとっておいたことには些か疑問を感じる。


 まあいいが。


「ねえヴィル、ちょっとだけボクの部屋に来てくれない? 来るの待ってたんだ」


 視線が一瞬だけ廊下の奥、居間に向けられてから、彼女はそそくさと立ち去るように寮室の外へ先導した。


「テストに使う装備が結構消耗してきちゃったから、新しいパーツと交換するのを手伝ってほしくて」


 それなら、俺もはやく移動しないとな。


「構わないよ。……道具はリィンのところにあるよな?」


「うん。じゃあ行こうか」



 一応鍵をかけてから、俺たちは彼女の部屋に向かった。



 ◆◆◆



「ねえヴィル、なんでそんなに気分良さげなの?」

「ん? なんのことだい♪」


 事情を察してからというもの、俺の心はもうルンルンである!


「だって……寮の廊下を義肢でスキップする人、初めて見たよ……」


 リィンが俺に、怪しい人を見るような視線を向けている。さすがに変人認定されてもキツいものがある。


「だって、今ごろノエルとアンジェロが俺に料理を作ってくれてるんだろ? これ以上の幸福はないぞ……!」


「なんでもう知ってるのさ……」


 情報の提供、ありがとうケアン。

 お前のおかげで俺は、かわいい弟妹たちのサプライズを突然の帰宅などというしょうもない理由でぶち壊すことは阻止したぞ!


 本当に……ありがとう……。


 とはいえ、ここで彼女に「ケアンにリークされて知った」などと言えば、明日の総合力テストでケアンがリィンにぶちのめされて意識不明の重体患者になることは目に見えている。



「なんたって、お兄ちゃんだからな!」



 ……とりあえずそう言って、お茶を濁した。



 ◆◆◆



「でも、装備に関しては本当なんだろう?」


「うん。自分で出来ないわけじゃないけど、やっぱりヴィルに見てもらったほうが安心かなって。……まあ、本当にやってほしいことは別にあるんだけどさ……」


「ん? ……まあいい。俺にできることなら」


 リィンの寮部屋はさほど遠くない。同じクラスだし、お互い貴族ではないからだ。


 ちなみに彼女の部屋も同じ間取りだ。もちろん寮の一室にしては豪華だしそこそこ広いが、極端に広いのは貴族だけである。

 ……そういうところだけは、大学も彼らを持ち上げているからなぁ。



「お邪魔します」


 履いていた革靴を脱ごうと下に視線を向けると、俺とリィンのほかにもう一人、この部屋にいることがわかった。


「ああ、《シルビア》もいるよ」


 そういうリィンの表情は……別になんともないみたいだ。

 呼び捨てで呼んでいるし、ある程度の和平は締結できたのだろうか。


「あっ、弟子くん。さっきはおつかれさま」


 師匠はソファでくつろいでいた。

 彼女も、リィンに気を許せるようになったようだ。


「おつかれさまって……あ、ナイフ持ってきました、よっと!」

「ありがとう。……ってあぶなっ! なんで投げるかなぁ!?」


 俺は師匠の白いおでこに向けて、割と本気な速度で黄色い麻痺のナイフを投擲した。


 師匠もそれに気づき、スレスレのところで刃を指先でつまんだ。

 …………今のは素直に尊敬しよう。少なくとも俺には不可能な芸当だ。



「あともう少し速ければ当たったのか。すぐにでも練習しよう、師匠を練習台にして」

「……ヴィル。一応《シルビア》からさっきの話は聞いたけど、投げるのはやりすぎ……」


 リィンもさすがにアウトと判断したようだ。


「ちょっとした八つ当たりだ。気にしないでくれ」


 リィンが座ったのを確認してから、俺も椅子に腰掛ける。

 なんか銀髪の女が「八つ当たりで殺しにかかってた気がするの、私だけ……?」とか呟いているが、気に留める必要はない。


「……で、やってほしいことって?」


 リィンの装備をいじくりまわしながら、彼女がこの場に俺と師匠を呼んだ理由を聞く。


「なんていうか……明日から《シルビア》も入学するわけでしょ? しかも、チェスター教授が言うには、総合力テストの結果が出るまではSクラスにいてもらうらしいし」


 それは初耳だ。

 てっきり彼女は、テストまではCクラスあたりの空いている机に座るものと思っていた。


「……だから、明日のテストについて《シルビア》に教えておきたくて」

「なるほどな」


 《シルビア》のことは敵視しても、根は優しいリィンちゃんなのでした。


「本当に助かるよ、リィン。ありがとう」


 師匠も朗らかな笑みで彼女に感謝した。

 ……俺が一人で街を散策している間、一体何があったのだろう。どうやら冷戦は終結したらしく、部屋は朗らかな空気で包まれていた。


 とにかく俺たちは、明日控えている総合力テストについて説明した。


「明日の総合力テストなんだが……」


 かいつまむとこんな感じだ。




 ・テストは明日から二日間かけて行われる。


 ・主なルールは「魔法・スキル・格闘など、制限なしの実戦形式」、要するに


 ・学年全体でトーナメント式。この学年は259人の生徒で構成されており、かつ師匠も加わるので260人。例年、テストを受けられない者が数名いるため、一人当たりの試合数はおよそ8回。


 ・Sクラスの生徒のなかでもトップ4の成績の持ち主は、二日目の最後の時点での成績上位者と戦い、テストの順位を決めることも可能。


 ・テストの度に、順位や成績によってクラス分けが変更される。




「…………そして、何よりも重要なことがある」


 師匠の反応を見るに、ここまでの話はきちんと理解しているようだった。


「それは会場の結界だ。この大学には闘技場の施設があるんだが、そこに張られている結界が特殊でな……」


「どんな結界なの?」


 回りくどい言い方だとちょっと説明しにくいので、ストレートに言ってしまおう。



「その闘技場内では、



「…………ん?」


 俺も初めて説明されたときはあまり深く理解できなかった。

 リィンも苦笑いを浮かべている。


 具体例で説明するか。


「じゃあ例えば、闘技場の場内で、師匠が俺の首を刎ね、そのまま頭を掴んだとしよう!」


「なにその前提」


 師匠はすぐさまツッコミを入れた。

 でもまあ、あの結界について語るのであれば、これくらいがちょうどいい。


「通常であれば、俺は即死します。当たり前だな。……だけどこの結界の効果によって、師匠の持っている俺の首は、一瞬で消えてしまう。その辺に転げ落ちているはずの胴体も、だ。そしてそれらは、消えると同時に場外に出されている。首がつながった状態でな。加えて、俺はどこにも痛みを感じない。装備も傷一つなく、すっかり元通りだ」


 なぜこんな結界を作ったのかは不明だが。

 ……戦闘訓練や危険な実験などにはちょうどいいのだろう。


「……時間を巻き戻すってこと?」


 師匠はそう結論付けた。

 


「正解です」



「……結界のなかに入った者が死亡、あるいは意識を失ったとき、そいつを『結界に入る前の状態』にして結界の外に追い出すということらしい」


「だから怪我以外にもそうなるんだ。例えば転んで服を汚してしまったり、装備品が壊れてしまっても、それらを身に着けている本人が結界を出れば元通りってことだ」


 ただ、結界が張られる前からその場にあったものは、壊れてもそのままその場に残るのだという。


 まあそんな感じである。



「それは……本当に便利だね。あのアジトにもほしいくらいだ」

「え、アジトで何をするつもりなんだ? ……というか、地下のフロアには張ってあるぞ」


 悪用するような考えはやめてほしい。

 武器の開発が危険だから張ってあるだけだ。


「まあそんなところだな。……基本的には『相手を結界の特性で場外に出す』ことが、この戦闘での勝利条件だ。その結界は物理障壁としても機能してるから、場外に吹っ飛ばそうとしても見えない壁に打ちつける形になる」


 説明を終えたころには、リィンの装備も調整が完了した。


「ボクやほかのSクラスの生徒はなるべく気絶で済ませようと努力してるんだけど……ヴィルだけは普通に殺しちゃうからなぁ」


 ……ジト目で見てくるリィンが怖い。


「だって手っ取り早いだろ、得意分野なんだよ。それに、貴族の連中なんかは何のためらいもなく殺しにくるじゃないか」


 結界を理由にして気に食わないやつをいたぶり殺すのはやめてほしい。

 師匠は何かを考えるように目をつむると。


「ルールはわかったよ。とりあえず、私はでいいってことだよね?」

「そういうことだ。トーナメントが進むごとに、必然的に観客も増えるから、忘れずにな」


 了解、と言うと、師匠はナイフの手入れを始めた。



 ◆◆◆



「装備の調整、手伝ってくれてありがとう」

「どういたしまして。……あれ、師匠は?」


 そろそろノエルたちの料理も済んだ頃だろうと思い、リィンの部屋を去ることにしたのだが……。


「ああ、うん。《シルビア》は今日はボクの部屋に泊めることにしたから。じゃあね、ヴィリー」

「えっ、ちょっと待っ……」


 なぜ? と聞く前に、ドアを閉められてしまった。

 本当に、俺がいない間に何があったのだろうか。


 まあいい。とりあえず部屋に戻ろう。



 ◆リィン◆



「《シルビア》、ヴィルヘルムはもう行ったよ」


 再びリビングに戻ると、美しい銀髪の少女が立っている。


「そっか。……本当に、泊めてくれてありがとう、リィン」

「いいからいいから。もし《シルビア》から提案しなかったら、ボクが泊まるように頼んでいたと思う」


 伊吹……ヴィルヘルムが街で逃げたあと、ボクたちは二人で街を歩いた。

 最初は居心地が悪かったが、段々と、気が合うのではないかと感じるようになった。それは《シルビア》も同じらしい。


「ねえ《シルビア》。一緒にご飯食べに行こうよ」

「いいね。この街には詳しくないから、リィンのおすすめを聞こうかな」



 《シルビア》の提案。

 それは《ヒットマン》に、彼とその弟妹たちだけの、兄弟水入らずの時間を与えてあげたい、というものだった。彼が弟妹たちとの再会を楽しみにしていることは、彼女も察していたらしい。


 ボクは彼女のことを誤解していたみたいだった。《シルビア》とは仲良くなりたい。それが彼女に対する、今日のボクの目標だ。

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