第十三話 この物語はフィクションであり、実在の人物や団体とは一切関係ありません
高橋七恵は、赤マントに見出された歪みである。おぞましき愛の赤に染められて人でなしになってしまった、最早心が無機物に近い噂の乙女だ。
「くっつかないわ」
そして、その無感動な心は身体も同じく血の通わぬものにさせた。硬く、脆く、それこそ硝子のような冷たい全身に毀損が一つ。それはそれは、悪意の噂を垂れ流す呪わしき命未満。
七不思議の少女は、大好きで苦手だった、今はどうでもいいとした切り裂きジャックにその手首を切り裂かれて、取り落とした手のひら等を拾って合わせてみたが、これがどうにも戻らない。
「どうしようもない、のね」
所詮言葉はパズル。並べて意味が通ったと喜ぶための玩具でしかないというのに、どう頑張ってぐちゃぐちゃ傷口を擦り付けたところでこの嘘つきの指先が再起動することはなかった。
だから、今更に少女は理解する。この世の道理、切って捨てられたものは地獄にも行けずになかったことになるだけというものを、まざまざと。
そして、手と違って自由な足はふらついた挙げ句に現場へと辿り着く。それはいくら噂したかも分からないくらいのお気に入り。愛すべき、赤い赤い、それだけの男の今は亡骸。
見下ろして呆然と、七恵は呟く。
「赤マント……」
整列し命すら見失った美形が、それの名前を呼ぶ。物語るだけの役割を背負わされた七恵は、今やどうしたって詰まったように言葉を続けられない。
七恵は知っていた。化け物にだって心があることを。そして、この男の迷妄はそれこそ、語り尽くせぬくらいに面白いものだったというのに。
それが、今やただの血溜まりに変じて終えている。物語には句点が付き、末尾には空白すらなかった。ただただ、お終いが濁って垂れて、それっきり。
こんなつまらない終焉に、思うところは勿論あった。七恵とは赤マントの思惑により作り変えられた道具。そして、道具は使われなければ意味がなく、ならば持ち主が死んだ今果たしてこの自由をどうすればいいのか。
「最期まで、無意味だったね、あなたは」
少女は嗤わず、それについてただ語る。怪異に対する花もない、手向け。しかし切って捨てられた結果、何もない、になってしまう前に総評が落とされるのは、何よりの救いだったのかもしれなかった。
赤マントという怪人は、ひたすらに口裂け女となってしまったトイレの花子さんに構ってとずっとずっと彼女を不快にさせるために動き続けた怪人だ。
その所業は冷酷無比で悪。通り魔的に人を殺して赤の部屋か青の部屋かに中身と外側を分けて棄て、それを見ながらどちらにしようかなを続けてきた。
そして、噂さされることなくなって零落した花子さんを助けるために噂するものとして、今の高橋七恵を作り上げた恋する男でもあったのに。
それが、今や血痕すら蓋然性にさらわれ消える。あり得ないは、文字通りあり得ないからこそこの世の道理に耐えきる力さえ失えれば失くなるもの。こうして、彼らの恋は乞いは、全く無かったことになった。
「ざまあみろ、かな?」
それに感じる者なんて、ない。首を上げて七恵は【私】を見上げて問っているようであるが、彼女の言に私は同意見と頷くばかり。
この世に拗らせて見る影もなくなっておぞましいだけになった愛なんて要らない。ケチを付けて、お終いで良いのだ。
ああ、でも。
「あれ。でもちょっとだけ。悲しい」
しかし、彼に改造されて道具と成った少女は、主の不在に胸を痛めている。
それは、未だくちゃくちゃと再接させようとしている手首と同じく罅だらけの器物のように頑なに固まった心の悲鳴。
男は少女に悪たれと祝いだ。だが、そんなのに子が何時までも従ってられるか。心は思うもの。そして、最悪が思われない道理だってなく。
「そうね」
だから、壊れた手首から先をついにどしゃりと放棄した、彼のために念願の他人なんてどうでもいい人になれた筈の高橋七恵の唇は、優しく動き。
「ありがとう、赤マント」
それだけの物語に対する感想を言葉にして、ただ弔いに黙すのだった。
やがて、時計の天辺を越えて、夜は深まる。暗がりはその深刻さを増し、悪意の噂は明瞭になって心に過るようになっていく。黒は善性を否定し、空白をも許さない。動的な光源達をはるか彼方に、闇はどろりと蠢き支配を続ける。
「そろそろ、でしょ?」
「あら、あんたいたんだー。まだ命があるなんて、きっしょいなあ」
犯人は、現場に戻るという。そして、子供のようなものの頭部を持って血の酔いにふらふらと歩んで来たジャックは当然のように現行犯。
だから、黙祷ついでに待っていた彼女は、彼女と再会する。笑って、七恵はお友達だったものとの再会を喜ぶようにうそぶくのだった。
「うふふ。命なんて、ないよ」
「なに、生きてなかったっての、七恵」
「ええ、私はこれまで一度も活きていたことなんてなかった」
「つまんないな、あんた。切り捨てる甲斐もなくってさ。この世は美しく汚いよ? せっかくだから、活きて私に殺されてくれると嬉しーんだけど」
「そうね……」
じょきり、じょきり。暇なハサミは何者かの頭部を削って遊んでいる。落ちる、皮膚片と髪の毛。そんなものには目も向けず、ただ切り捨てる心地ばかりを楽しんでいるのが、切り裂きジャックという少女の真実。
そう、七恵は騙って語って願った。赤マントと一緒になって、口裂け女な花子さんのその生命にまで届く程のちょっかいをかけるために。
だが、その結果は不死の死そのものである赤マントの噂の消失。
こうなってしまえば、ただ物語るばかりの七恵に存在意義は最早ない。
なるほど、泣きわめきでもして、ジャックの笑顔を誘うことくらいしか、有意義はないのかもしれなかった。
故に、少しだけ七恵は悩んで。
「――この物語はフィクションであり、実在の人物や団体とは一切関係ありません」
余白に駐訳を付けるように、呟く。
それはあまりに無機質に謳われ、誰だってナレーションと理解できるものだった。
「え?」
意味不明に首とおさげを傾げる、汚れた子供のハサミを持つ人殺しで化け物殺しな少女。物語。その意味が分からずにジャックは不思議がるが、ここで【私】ばかりはその意味を痛く理解ってしまう。
そう、これはただ書かれているばかりの嘘であり、綴られただけの偽物でしかなく。
「これまでのお話はすべて、嘘でした」
道化のごとくに両手を広げ、あまつさえ七不思議の少女はそう、騙ったのだった。
「嘘」
美袋の驚き。ちょきんとするのすら間に合わず、そして、全ては裏返る。
ぐるりぐるりと、真実こそが逆さに消えて、虚実な者たちこそ表立って隆起し、嘘みたいな解釈ばかりが凝って凍って。
ぽい。
「ふふ」
ああ、全ては話者の手のひらの上。切られたことすら嘘にして、健全至極な女子高生に還った少女は。
「さ。怖いお話なんて忘れて、帰りましょうか」
没として捨てた、切り裂きジャックのお話なんて忘れて、不細工な光の元へと帰るのだった。
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