第23話 皇都の舞姫

 バステト達――影の騎士ヴァルター、ヨナス、そして双子のルルとイーサーは、皇都に入った。二人が付いてきたのは、皇女の身の回りの世話に女手が必要な事、それに、これからバステトがすべきことには、舞いに詳しいもののサポートが必要だったためだ。

 王都の正門は封鎖されていたが、城壁には、一部ほころびがある。バステト達はそこから、皇都内に入ることになった。



 皇都は数日前から封鎖され、流通はストップしていた。

 現在、軍部は最高司令部を隣の都市ミニヤに設け、そこで皇都ハシュールを兵糧攻めにする構えだ。

 皇都は背後の山岳地帯から引き込んだ地下水路、カナートのおかげで水に不自由することはない。皇宮にある倉庫から食べ物が定期的に支給されるため、今はまだ目立った混乱はないという。


 皇帝は、皇都封鎖の前一般市民に都外への避難を呼びかけたが、街と皇族を愛する皇都の民は残るものが多く、避難はあまり進まなかった。

 兵糧攻めという手法がとられた今、それは完全に裏目に出ていた。




 ヨナスは、皇都内に拠点を確保していた。

 快適に過ごせる設備がそろったこの拠点は、ヨナス以外にもケイリッヒの諜報部門の人間たちが利用している。


『テトラ、はい、これ着替え。着替えさせてあげる!』

『ん。ありがとう』

 ルルはテトラの世話を焼きたくて仕方ないようだ。ルルにとっては、憧れの皇女様だ。今も隣室で庶民の着る服への着替えの最中だ。

 ただ、呼び名は好きなようにしてよいということで、前の通りで呼ぶことにする。ここは皇都なので、素性を隠すにもちょうどよい。


 でも、イーサーは、テトラと距離が離れたのを感じる。

 テトラは、皇女様で、舞姫だった。

 あの日、殴られて何もできなかった自分との差が、とてつもなく大きい。


 あの日、あの舞を見る瞬間までは、テトラがバステト皇女だと聞いた後もどこか信じられなかった。

 信じたくなかったし、すぐにさっきまでの可愛らしいテトラにもどって、あの凛としたテトラは見間違いで、色々聞き間違えたのだと思いたかった。

 でも、あの舞を見てしまったら無理だった。

 彼女は、舞姫なのだ。

 イーサー自身が舞をたしなむものだからこそわかる。

 

 練習とか訓練とかでたどり着ける領域とは明らかに違う。

 イーサーは、舞姫の舞を初めて見て、それが神降ろしだと言われる意味が、やっとわかった。


 初めて感じた本気の恋心の決着をどこに持っていけばよいのか、イーサー自身も自分の心を持て余していた。



  ◇◇◇◇◇◇



「これから、食料が足りなくなってくるかもしれない。一番怖いのは、皇都の中で争いが起こることだ。そうなる前に、都外への退避を呼びかけるべきだと思う」

 軍はスムーズな政権交代のためには一般市民へ危害を加えることはまずないと聞いて、バステトはそう告げた。

 現在、5人は今後の方針を話し合っているところだ。ルルとイーサーも、今後手伝いを行う上ではある程度事情を知っている方がよいため、同席してもらっている。


「うん、いい手だね。食料難になる前に早めに安全な場所へ出てもらう方がいいね」


 今、すべきことは、皇都の人々に争いを起こさせない事。

 バステトは、愛する民達に血を流してほしくなかった。


 が成功すれば、軍は後ろ盾を失い、撤退せざるを得ない。

 それまで、いかに、この状態を維持させるかだ。

 待つこと。耐えること。

 そのためには、皇都の食料問題を解決しなければならない。

 それに、もしも、籠城しきれず軍が攻め込んでくる最悪の事態になったとしても、市民が被害を被らないように、なるべく皇都から離れてほしい。


 人々にそれを伝えよう、舞姫と皇女バステトの声として届けようと決めた。

 それからもう一つ。


「ヨナス、ハサンと話がしたい」

「うーん、ハサン様は、今、ミニヤの最高司令部にいるらしいことは分かってるんだけど、俺やヴァルターだけで行くならともかく、姫様を連れてそこまでいくのは難しいな」

 ヨナスが、入り口に立つヴァルターをちらりと見ると、ヴァルターも無理だ、というように首を振った。

「そうか……」

「ただ、一つだけ可能性があるとすれば、こちらに、姫様がいることを知らせて、向こうに来てもらうことかな」

 バステトは、顔を上げた。


「ハサン様は、姫様がここにいるとは思っていない。姫様がここにいたら、どうすると思う?」

「私に、会いに来る」


「可能性は高いよ。ただ、別の危険もある」

 ヨナスは思案しながら続けた。


「ハサン様を軍が重用している理由は、諸侯の皇族派と神殿派の勢力をまとめやすいからだ。でも、その役割は、姫様でも可能だ。むしろ、姫様の方が向いている。だから、姫様を軍に引き入れるため、捕らえに来るか、邪魔に思って殺しに来るか」

「あるいは、ハサン様が軍についた大義名分は、姫様を奪われ皇帝に裏切られたことだ。ハサン様を支持するものは、姫様をとらえてハサン様に献上しようと考えるかもしれない」


 バステトは息をのんだ。

「俺たちが守るけど、危険はないとは言い切れない」

 それでもやる?と問いかけるヨナスに、バステトは、言い切った。

「ヨナスとヴァルターを信じる。私は、危険があろうと、なすべきことをなす」

「では、舞姫バステトが、皇都に現れたと大々的にアピールしよう」



  ◇◇◇◇◇◇



 皇都には複数の神殿がある。

 中央神殿以外に、街中に小さな神殿がいくつかあり、その正確な数はバステトも知らない。


 街中にある神殿は、たいてい中央に大きなスペースがあり、舞の会場に適している。

 舞を始める場所と時間の周知は、1時間前。

 戸口をたたき、舞姫が来る、と近隣の住民にのみ声をかける。


 そして、人々の前で、癒しと祝福、希望の舞を舞うのだ。


 涙を流す人々に、バステトは告げる。

 「マレの皇女にして舞姫バステト」のお願いとして。


 すぐに皇都を離れて避難してほしいこと。

 避難後も、自分や皇族に何があっても、軍の者たちに決して歯向かったりしないでほしいということ。


クーデターは、国内の派閥争いだ。

国内の争いは終わった後も禍根を残す。国外の敵に対しての戦争と違い、敵は近すぎる場所にいる。


 ――絶対に血を流してはいけない。



 バステトは、今日も一人で舞の舞台に立つ。

 1日に何回も踊って体は疲れ切っていた。今まで、こんなにも連続で舞を舞ったことはなかった。しかし、バステトの代わりになる者はいないのだ。


 舞台を終え、少し息をつくために神殿裏の空き地に座っていたが、もうそろそろ戻らないと皆が心配する。

 バステトは立ち上がろうとしたが、足元がふらついてバランスを崩してしまった。転ぶと思ったが衝撃はなく、体を支えられていることに気づいた。

 イーサーだった。


『ありがとう』

 肩と腰を支える動作がとても力強くて安心する。イーサーも舞踏の舞い手だ。きっとルルといっぱい練習してるのだろうと微笑ましく思った。

 見上げて、お礼を言うと、何だか辛そうな顔をしている。綺麗な黒い瞳だ。そういえば、最近ルルとばかりでイーサーと話していなかった。


『テトラは、つらくないの?』

 思い詰めたような声に、心配をかけてしまっていたことに気づいた。体調管理をちゃんとしなければならない。こんなことでふらついているようじゃ皆んなに心配をかけてしまう。


『前言ってたろ、王子に認めてもらいたくてここに来たって。それって、王子は、今のテトラの事、認めてないってことだろう?』

『そんな奴のためにそんなに頑張るなよ。俺だったら、今のまんまでいい。そのまんまのテトラで。テトラに辛いことなんかさせない!』


 以前言ったことを、覚えてくれていたらしい。確かに、ルークには、まだ信頼されていないかもしれない。

 でも、今ここで頑張っている理由はそれだけではない。これは、既にルークの問題ではなく、バステトの問題なのだ。私自身が変わりたいと望んでいるのだ。

 イーサーにそれを伝えようとしたが、言葉にする前に、肩と腰に回った手に力が込められる。


『俺なら、ここにいる。俺なら、テトラの側で助けられる。慰めてあげられる。俺は、テトラの事好きだよ』

 だから、俺を選んでよ。小さな声で続けられ、心臓がギュッとしめつけられる。自分にこんなにも心を傾けてくれていたイーサーの気持ちに胸が熱くなる。同時に、応えられないつらさにも。


『ありがとう、イーサー。とても、嬉しい』

 バステトは、イーサーの手をそっと外した。


『でも、バステトはルークに血の誓約を捧げてしまった。バステトの全ては、ルークのものだから。他の誰にもあげられない』


 イーサーの揺れる黒い瞳を見上げた。

『それに、今ここで頑張っているのはバステトの意思だ。ルークのためとか、そんなんじゃない』


 イーサーは、目を伏せる。

『わかった。でも、テトラのことを助けたいんだ。俺にも何かさせて』

『うん、ありがとう』

 そして、イーサーは、そっと回した手を緩めると、去っていった。



 いつの間にか背後には、ヴァルターが立っていた。

「俺は、皇女が嫌がっていないのであれば、止めることはできない」

「うん、止めないでくれてありがとう」

「今は迷うな。成すべきことを為せ。――お前はそれでいい。俺達が支える」

「うん、ありがとう」


 多くの人の支えを感じて、バステトはそれを噛み締めていた。



  ◇◇◇◇◇◇



『振られちゃった?』


『うるさい』


 双子は、こんな時、勘が鋭くていやになる。

 拠点に戻る前、皇都のカナート沿いの手すりで頬杖をついていると、イーサーの脇にルルが並ぶ。


『初めてでしょ?』

『……こんなに辛いなんて知らなかった』

『成長したね』


 お前ほんとにうるさい、と呟きながらイーサーは続ける。


『振られたけどさ、テトラに何かしてやりたいんだ。俺は何もできていない』

『うん、私達、何かできるかもって思ったけど、思ったよりできてないよね。一番大変なのは舞だけど、テトラの舞の代わりには誰もなれないもん』

『ああ……。舞の演目は、基本舞い手が一人だもんな。ルルや俺が一緒に舞台に立っても邪魔にしかならない。――あれ、でも、このやり方なら! ルル、聞いてくれ!』


 イーサーは思いついたアイデアをルルに話す。


『うん、いいかも! これならテトラもきっと楽になるよ!』



  ◇◇◇◇◇◇


 

 次の日、バステトの講演時間の間際になってから、ルルとイーサーは、慌てて舞台となる神殿に現れた。イーサーは舞い手の衣装を身に纏っている。


『俺も躍らせて欲しい。ルルと練習したんだ。俺がサポートで入ると、テトラは踊りやすくなると思う。疲れもだいぶ減るはずだ』

『テトラ、体力的にだいぶキツくなっているでしょ。舞の高さと伸びが、前より明らかに落ちてると思うの』

『俺たちはプロだ。俺たちにしかできないことで、テトラをサポートする。テトラを体力的にサポートしながら、舞姫を輝かせる舞にする。俺ならできる』


 その日の舞の舞台には、バステトと、初めてイーサーが一緒に立った。



「なるほど。遠心力を利用して、高く飛ばしたり、力のある男が、投げ上げたり、受け止めればいい。確かに皇女の負担は減る」

「ヴァルター、珍しく口数多くて嬉しいんだけど! まあ、姫様にとってもよかったんだけど!! でもさあ! これ、絶対王子に見せらんないヤツだよね!? ちょっと触りすぎだよね。報告担当に、絶対に記録させないようにしないと!」

 

 この二人の舞を王子に報告するのは絶対に阻止しようとヨナスは心に決めるのだった。



  ◇◇◇◇◇◇



 その日の舞は、大盛況だった。

 イーサーは体の火照りを抑えるべく、拠点の裏で水をかぶる。バステトの方は、いつも通りルルがマッサージなどサポートを行っているはずだ。


 背後に人の気配を感じて振り向くと、飲み物を手に持ったヨナスがいた。

『お疲れ』

『はい、ありがとう……ございます』

 ヨナスから飲み物を手渡され、イーサーは礼を言う。


『姫様のために色々考えてくれてありがとう。でも、忠告しにきた。深入りすんなよ、少年』

 イーサーはムッとして言い返す。

『俺には絶対に手が届かない人だって事ぐらいわかってるよ。ただ、テトラがあんまり辛そうだから! あの子のことを助けたいんだ。大体、王子様ってほんとにテトラの事、大事に思ってんのかよ!! こんなとこに皇女様一人で行かせるって明らかにおかしいだろ!』

『いやあ、それに関しては内部の不手際だとしか言いようがない。あー、ちなみに、王子は姫様にべたぼれだから。姫様が気が付いてないだけで。王子がちょっと可哀想になるぐらい』

『え?』

『王子は、血の誓約を姫様に返したんだよ? 全部知ってて、返したんだ。マレの者ならわかるだろう?』

『そっか。なら、安心だな』

マレの者なら皆知っている。血の誓約。魂をつなぐ誓約。死が二人を別つまでの重い、誓い。


『でも、俺は誓約なんかなくても、テトラを助けるから』

 間に入る隙なんかないことは分かっている。でも、見返りがなくても、何かを捧げたいと思ったのは、初めてだった。



  ◇◇◇◇◇◇



 バステトの舞の公演は効果を見せ始め、皇都から避難する者が続出した。

 そして、その者達の口から、近隣の都市へと噂は広がる。

 舞姫、バステト皇女が皇都に戻っていると。

 そして、大陸の大国ケイリッヒの王子も皇女を助けるべく動いていると。


 人々は、希望の明かりを、マレの皇女と、ケイリッヒの王子に見出すのだった。

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