第4話

「――それで、あんたたちは帰ってこれたわけだ」


 夜の帳は落ちていた。

 山脈都市グランドルフ。古より存在する山脈を利用した大都市だ。首都に上るためにはこの切り立った崖の城壁を超えるか、それともドワーフの魔術によって築かれた鉄門を通らなければならない。

 その鉄門の前に人々はいた。エリナード子爵領の避難民である。

 その数は膨大であり、審査のために全員を速やかに通すというわけにはいかなかった。

 審査は間諜対策のものがメインであるが、同時に選別でもあった。鉱物資源が潤沢で豊かとはいえ無制限に人を受け入れられるわけでもないのだから。

 無数のテントと焚き木が城門の前には並んでいる。そしてその鉄門の前に専属騎士カナバルと兵士たちは膝をついていた。

 目の前で仁王立ちにするのは少女だ。いや少女のような女だ。

 鎧に身を包んだ赤毛の女。アメリアに比べれば幾分かましだが背丈は低い。だが鋭い眼光と威圧感が侮りを許さない。

 エルデリカ=フォル=カッシーモ伯爵。齢千を超えると言われるドワーフの女貴族だった。


「主人のアメリアを犠牲にしてここまで逃げてきました、か」

「事実です」


 カナバルはただ黙して答えた。思い出そうとすると抑え込もうとしても肩が震えるのを止められなかった。

 撤退戦の後、カナバルはすぐにアメリアを救出すべく走り出そうとした。

 だが、兵の一人に止められた。この後、我々はどうすればいいのかと。

 その時カナバルは指揮官だった。アメリアに身命を賭すと誓い、それをなさねばならなかった。

 さもなければアメリアの犠牲が本当に意味がなくなってしまう。気づいたころにはもはや手遅れというべき時間が過ぎ去っていた。

 カナバルは限界まで待機した。だが、アメリアが戻ってくることはなかった。

 もはや許されたのは、負傷兵を可能な限り落伍させず、ここ山脈都市グランドルフに連れ帰ることだけだった。

 エルデリカは値踏みするようにカナバルを胡乱に眺め、蔑んだような声色で言った。


「亡きご主人様のために死に花捧げようとは思わなかったわけ?」

「…思いませんでした」


 専属騎士は主人のためだけにある存在だ。

 主人に依存する存在だが、その扱いは同格。あらゆる行動の代行が認められる、主人からすればもう一人の自分だ。

 そのため、たとえ貴族家の生まれであろうとも継承権を放棄する。最後の瞬間まで付き添う存在だ。主人と死に場所を揃えるというのは珍しくない。

 だがカナバルはそうしようとは思わなかった。


「なぜ? あんたはクソまじめな奴だってあの子からは聞いてたけど?」

「任務が、ありました。兵たちを撤退させなければなりませんでした」


 カナバルは努めて平坦な声を出そうとしたが、震えを抑えきれなかった。


「ご主人様の命令ならそりゃ聞かないといけないわね、ふん」

「まぁまぁ、あんまりカナバル君を責めないでやってくれ」


 気に入らないとばかりに鼻を慣らすエルデリカに取りなすように、場違いなほど柔和な声色で背後に控えていた男が言った。

 中肉中背で柔らかい表情をした壮年の男、コルセ=ロア=エリナード子爵。アメリアの父親である。

 戦時と言うにもかかわらずその服装は貴族然とした装飾の多いスーツのような服装だった。一応腰に懐剣を吊るしていたが、それだけだ。しゃべり方も含めて何もかもが場違いに思えた。

 なんら躊躇もなくカナバルたちを捨て石にした張本人である。


「専属騎士はもう一人の自分。アメリアは自分で部隊を撤退させたかったがさすがに二人にはなれなかった。だからカナバル君の意思を無視してそうした行動に出たんだ、むしろそんな命令によく従ったよ。君も一緒に死にたかったろうに」


 うんうん、とわかったようにエリナード子爵は頷いた。カナバルは殴りかかる自分を制するのに多大な忍耐を費やした。

 だが、怒りを覚えたのはカナバルだけではなかった。瞬時に柳眉を立ててエルデリカが怒鳴り声をあげた。


「別に責めちゃいないわよ。…というかね! コルセ! お前が捨て石にしたんだろうがッ! 学院の休みで偶然帰ってた娘に出撃させるとかなに考えてんのよ!」

「だって我が家にはまともに戦えるのあの子しかいなかったんだから仕方ないじゃないですか。長男は嫡子だから犠牲にできませんし、次男も長女も腑抜けですもん」

「もんじゃないわあんたが行け!」

「はははっ、一番の腑抜けは何を隠そうこの僕です」

「こんのボケがっ!」


 へらへらと笑うエリナード子爵をエルデリカが殴り飛ばした。

 エリナード子爵はゴロゴロと転がり、五メートルほどのところで停止した。

 エリナード子爵の御付きたちがあわあわと騒ぎ出すが、エルデリカはもはやどうでもいいとばかりに視線を切り、カナバルたちを見た。

 血が滲む程手を握り締めているのはカナバルだけではない、兵たちもだ。

 悔し気に歯を食いしばり、者によっては外聞も気にせず大の男が涙を流していた。

 無事なものはほとんどいない。負傷したものがほとんどであった。だが報告を聞く限り、落伍したものはほとんどいなかったようだ。撤退戦のあとからほとんど兵は減っていない。

 ここまでたどり着くのも、尋常な道のりではなかっただろう。

 エルデリカは大きなため息をついた。

 

「ひとまず、良く戻った。あんたたちはこのカッシーモ伯爵が預かるわ。…しばらくはゆっくり休みなさい」


          〇


 山脈都市に訪れたのはほとんどがエリナード子爵領の人間だった。

 だが他の領地から訪れたものがいなかったわけではない。バナド子爵領、ルスタ子爵領からの伝令兵がやってきていた。共にカッシーモ伯爵の寄り子である。

 内容はほとんど変わらなかった。数千に及ぶ蛮族の軍勢が出現。応戦するも敗北必死。援軍求ム、である。

 それを伝えてきた伝令兵も重症だった。片方は先日息を引き取った。

 地獄のような戦いだったのだろう。エルドリカはそうした戦いに覚えがあった。


「(蛮族の王、よね)」


 グランドルフ山脈が誇る城壁が上、カッシーモ伯爵ことエルドリカはカナバルら兵隊たちを収容させると速やかに業務に戻った。

 戦争の準備である。常備軍800人に加え、大規模な徴兵を命じていた。エリナード子爵領の人間も戦えるものを優先して審査を勧めていた。戦えない女子供、老人をないがしろにする冷酷な措置だった。


「伯爵様、それは余りにも無体では…」

「うるさい、それどころじゃないのよ。すぐに進めなさい」

「いやしかし、無茶苦茶が過ぎます! 徴兵にしてもこのような乱暴な集め方をすれば街のシステムが成り立たなくなります! ここは他領主からの援軍をお待ちになったほうが…!」

「さっさとやりなさい! 北部の領主はだいたいどこも同じようなもんよ! 他領地からの援軍は期待するな!」


 文官たちを怒鳴り飛ばし追っ払うとエルドリカは三日ぶりに一息をついた。

 執務室の机にしだれるように寄りかかり、間の抜けた声を漏らす。

 閉じられた執務室の扉の向こうで悪態をつく声が聞こえる。伯爵様が乱心なされたのだと。


「人を悪魔のように言うのやめなさいよね…」


 彼ら只人からすれば、エルドリカの決断はきっと冷酷に思えただろう。事実そうだ。だが、確信を持って言えるのだ。蛮族の王が現れたと。

 それは人の世界を再び破壊するだろう。寿命ではおよそ死ぬことのないドワーフやエルフたちはその様を幾度も目にしてきた。

 只人達はほんの数百年の間の出来事を容易く忘れてしまう。世代が変わるのだ、仕方がない。とはいえいくら何でも危機感を失うのが早すぎる。喉元通り過ぎればなんとやら、という奴だろうかとエルドリカは胸中で愚痴った。


「(とにかく、これで一戦耐えられるぐらいの兵力にはなる、はず。蛮族どもが進軍してくるまでは二か月ぐらい間が空くだろうし)」


 北部に面しているほかの伯爵や辺境伯が気になるところであるが、自分のところでできる限りのことは出来たはずだ。兵力差は如何ともしがたいが、山脈都市の防衛能力を信じるほかない。

 可能ならば一度戦って士気を砕いておきたい。理想を言うならば軍勢の中心人物を仕留めてしまいたい。蛮族は強力なカリスマを持つ人物のもとに集まる習性があり、中心人物を仕留めれば容易く瓦解する。ただ指揮を執っているからといって中心人物とは限らず傍から見て確実にこいつだと言い切ることができる状況はあまりない。

 強そうなやつを片っ端から仕留めていけばいつかは当たるだろうが、それも難しい。強大な力を持つ蛮族を相手に出来るのはエルデリカのようなドワーフやエルフ、もしくはよほど飛びぬけて強い只人に限られる。雑兵をいくらぶつけても兵力の無駄だ。


「こういう時にあの娘がいるのよ。コルセの奴、よりにもよって一番使えるやつを…」


 アメリアは齢十四にして只人の十指に入る天才的戦士だった。

 生きてさえいれば二人で強そうな蛮族を片っ端から狩って回る斬首戦術もとれた。勝率はきっと悪くなかっただろう。

 戦いには関係のないことだが、エルデリカ個人としてもアメリアの死は受け入れがたかった。あの娘に戦技を教えたのは自分だった。

 一目見て才覚があるとわかったから、継承権も低く誰も育てようとしないアメリアを引き取り、育てた。前世の知識があるとか訳の分からないことを言う子だったが、可愛いものだった。


「(いや…死んだとは限らない)」

 

 けれど、とエルデリカはぼそりと呟いた。

 蛮族たちとの戦いで、アメリアのような女が殺されない場合は少なくない。

 アメリアは見栄えが良い。そういった物であれば、蛮族たちは積極的に殺そうとはしない。多少無理してでも捕らえようとする。だが、その末路は悲惨だ。いっそ死んだほうがいいとまで言えるぐらいだ。

 悔しさで歯を食いしばっていた専属騎士のカナバルのことを思い出す。

 聞けば飛び出して行ってしまうだろう。だが、出会わないほうがいいとエルデリカは思う。精神の壊れたものは、見た目が変わらないからこそ、つらいのだから。

 

 ――そして事実、テオ城塞都市の撤退戦から二か月、アメリアは死んではいなかった。

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