第2話
カナバルは、カナバル=アロ=グルナン専属騎士にとって主人たるアメリア子爵令嬢は敬愛する主であると同時にやべぇやつである。
見目は幼げながらも並ぶものなき美貌を持ち、一度聞いた言葉は決して忘れない。武勇に優れた、その身体に刻まれた刻印魔術を用いるためのもの…刻印の数は現段階をもって十七。曲りなりとも騎士としての訓練を受けたカナバルが七つであることと比べれば、その飛び抜けた才覚が理解できるだろう
だが、それをひっくり返すだけの奇行がある。日ごろから突飛な言動はもとより聞いたこともないような知識をそこかしこで試して回る。妙な植物を畑で育てさせる程度ならば良いのだが、鉄の筒に火薬を詰めて新兵器開発などと言って爆発させたりもした。きっちり筒に頬付けして爆発させたため、未だにアメリアの顔には魔術で修繕しきれなかった傷が残っている。眼球が零れ、顔の半分を吹き飛ばした状態から復旧させたのはさすがであるが、おかげで嫁入り話がまったくと言っていいほどない。
ごく一部の奇行は実を結んでおり、少なからずエリナード子爵領の財政を潤したのは事実だが、この年齢まで修道院に放り込まれるなりせずにこられたのはある種の奇跡である。
なんというかすごく目立ちたがりなのだ。黙っていても目立つぐらいの容姿と才覚を有しているにも関わらず、妙なことをしなければ生きてられないのである。
「よぉし! みんなー! 最後の一頑張りだ! 道を開くから騎士カナバルに続けぇ! …そろそろ疲れたし帰るぞー!」
おぉ!と疲れは見えるが、兵卒たちの力強い声が帰ってくる。
兵隊たちの武装は最小限だった。正規兵たちも分厚い鎧を脱いでおり、手にした槍と剣、そして盾ぐらいのものである。分厚い鎧を着こんだままなのは刻印魔術で身体強化を行っているカナバルだけだ。
可能なら兵たちの鎧を放棄させることはしたくなかった。鎧なしでまともにぶつかり合うことは不可能に近い。相手がゴブリンだけでも難しいだろう。成人男性を遥かに上回る巨体と筋力を持つオークなど、望むべくもない。
だがアメリアはそれらをすべて捨てさせた。どうせまともに戦うことなどしないのだと。機動力こそが命であり、必要なのは食料ぐらいのものであると。
このような命令、従うのに難色を示すのは当たり前だが、兵隊たちは無邪気に信じていた。凄まじい数の死者を出しているが、戦果をしっかりと上げ、それを兵隊たちに自覚させているからこその信頼だった。民を守り、化け物たちを打ち倒したと自らを誇ることができているのだ。そのように思わせられるのは将の素質だった。
加えてアメリア本人まで鎧を脱いでいるのが大きい。アメリアの鎧は小柄な本人に合わせて背丈は低いがその分横に分厚く、着込んでいるときはまるで卵に手足が生えたような赴きである。今はそれがなく、幼くも可愛らしく、そして凶悪な身体を晒している。
本人の二倍以上の丈のある巨大なハルバートと堅牢なカイトシールド、腰に差した分厚いブロードソードなどの武器の類は持ったままであったが、彼女の刻印魔術を考えれば大した負担にはならないだろう。
カナバルにもそれは要求されたが、恥ずかしい話だが、自分は鎧なしでアメリアほど戦える自信はないと拒否した。
「突っ込んだら走り抜けるだけだから身軽なほうがいいと思うんだけどなぁ」
「我らが魔術師は鎧を着ていても裸の兵隊たちよりも早いですよ。…というか、貴女は着てください。兵たちの目の毒です」
「お? すまんな魅惑のエロティックボディで。でも見るだけならいくらでもいいんじゃよ?サービスサービスぅ」
「ぶんなぐっていいですか?」
くねくねとポーズを取り出すアメリアにカナバルは言った。バケツヘルム越しではあるが、外していても大して変わらないほどの無表情だった。
実際本当に目に毒だった。アメリアは冗談のように言うが、豊満すぎる胸は一キロ先からでも女とわかる。兵隊たちの視線もそこに集中しているのがわかり、カナバルには不愉快だった。
「ええんじゃよ、ええんじゃ――てぇ!マジで殴りやがったなお前!」
「次は蹴りますからね」
頭を抑えるアメリアを無視し、雑に言うとカナバルは門を見た。
テナ砦都市は関所を始まりとした都市である。所詮は関所にすぎなかったとはいえ始まりが軍事拠点であるから防御能力はそれなりに高い。門も相応のものであり、城壁を上るなどして多少入られたりはしたが、門自体は未だに破られてはいない。本当ならばこのまま籠城戦と行きたいところだが、援軍の望みはない。
門には北と南にあるが、こちらは北だ。向きとしては蛮族が仕掛けてきた方角であり、民が逃げて行った方角とは逆となる。そのまま突っ切れば砦都市テオの食糧事情を支えていた深い森が広がっており、その中に飛び込んでしまえば容易く発見されることはない。おりを見て逃げられる目算は高い。
敵もよもやこちらを抜けてくるとは思うまい。敵の数は多いが、先ほどから見ていたが、かなり油断している。悪くない賭けであるとカナバルも理解していた。
「(問題は終わった後だが。お嬢様に落ち度はないとはいえ親のエリナード子爵が領地を捨てて逃げたなど、末代までの恥だ。御家が取り潰されるかもしれない…)」
貴族の家は当主の恥が全体の恥となる。アメリアは武勇を示しているが、そういう問題ではないだろう。直近の不安にしても逃げる先はひとまずエリナード子爵が逃げ込んだカッシーモ伯爵領となるだろうが、ここまで恥をさらしたエリナード子爵は残るかどうかもわからない家の乗っ取りを恐れて自分たちの受け入れを拒否させるかもしれない。その時はもうログナ老師に期待するしかない。
そこまで考えて思う。
「(もう助かったつもりなのか…)」
随分と余裕があるものだと。極めて危機的な状況であるにもかかわらず、あとのことを考え始めている。
アメリアがいればなんとかなる。そんなことを考え感じ始めている自分を戒めるようにカナバルは小さく頭を振った。
「さて、そろそろやるぞ、準備しろ。門ごとぶっ飛ばすぞ」
いつになく硬い声色でアメリアは言う。
確かにその通りだと、カナバルは剣を力強く握り込んだ。
今思えば、この時彼女を信頼するべきではなかったのだ。
〇
アメリアが左手の親指と人差し指の付け根を噛んだ。
身体の奥底から言葉にしがたい力が、魔力を遠慮なくくみ上げ、左腕に仕込んだ刻印に注ぎ込んでいく。
刻印魔術はエルフたちのように即席で魔術をくみ上げることができず、精密機械の如き精度を要求するドワーフの魔術武具を作れなかった只人たちの編み出した術である。
複雑な術式を事前に肉体に刻み込み、生体であるからある程度の精密さは要求されない。
弱点は事前に刻んだ魔術しか扱えないこと。異物を体に仕込むことになるため、拒絶反応があること。
膨大な魔力が渦巻、励起された刻印が浮かび上がり、白く発光を始めた。
カナバルを含めた兵隊たちがそのありさまににわかに熱を帯び始めた。絶大なる力は、無条件に人の心をつかむのだ。絶体絶命の時こそ特に。
アメリアは右腕を砲身のように向け、意識を集中しはじめた。
装填された術式は『白槍』。戦闘的に魔術を習う者が最も初めに修得する術であり、効果はシンプルな熱衝撃波だ。しかし、同時に最も洗練された術式でもある。
門を手でつかめるような錯覚ができるほどに集中できた頃、アメリアは制御を手放した。
「あ、ちゃんと帰還出来たらウィリアム王子によろしくいってといてくれ。アメリアちゃんのおねが――」
刹那、閃光。兵隊たちには光に音が飲まれたように思えた。強烈な熱衝撃波は門を貫きその先の哀れな犠牲者を飲み込んだ。
残ったのは焼き尽くされた城門。未だ熱を持つ石畳の街道、災害の中、かろうじて生き残った、何が起きたかわからないという顔をした蛮族たちの姿。
破壊音はしばらく耳に届かなかった。何か一瞬アメリアが言ったような気がするが、ろくに聞き取れたものはほとんどいなかった。
「突撃ぃ!!突撃!突撃!聞こえてないのかぁ!!」
騎士カナバルの罵声で兵たちは我に返り、雄たけびを上げて走り出した。
それは雪崩のようだった。百にも満たない軍勢が未だになにが起きたかわからないと呆けるゴブリンを踏み潰し、鈍いオークの豚頭を切り飛ばした。
並べられた盾はやおら立ちはだからんとしたが、隊列どころか集結すらあやうい蛮族を跳ね飛ばし、蛮族たちが自分たちが兵であることを思い出すころには只人の軍勢は半ば包囲を抜けていた。
敵の布陣は、布陣と言うのもお粗末だが北門と南門を中心にまばらに集結している。
ゴブリンは歩幅が狭く、オークの肉体は走るのには適さない。弓を扱えるような器用さもない蛮族たちは一度距離を取ってしまえば追いつかれることはない。
「突撃ぃ!とつげぇき!!」
馬鹿の一つ覚えのように叫びながら遮二無二立ちはだかる蛮族を斬り潰し、意識がもうろうとするころ、軍勢は森にたどり着いた。
軍勢は隊列も怪しく森の中へと駆けこんでいく。暗い森の闇に続く者は、ほとんどいなかった。
〇
しばらくの間、森の中を彷徨うようにして分け入り、追撃がないことを理解したのは、夜の帳が落ち、聞こえるのが兵と自分のつかれた吐息だけになっていたことにようやく気付いたからだ。
「小休憩とする」
カナバルは倒れ込むように座り込みながらなんとか声を出した。
兵たちも似たような有様で、みな崩れ落ちるようにして座り込んだ。だが、一時の危機を乗り越えて、どことなく安堵した雰囲気が漂っていた。
「(お粗末な指揮官ぶりだったな…)」
終始突撃しか言っていなかった。ろくに状況を見ていられなかった。
言い訳をするのなら、これほど大規模な戦闘は初めてであったし、訓練以外で指揮官をするのはこれが初めてだった。経験と言えばせいぜいチンピラに毛が生えたような賊の討伐だったし、指揮はアメリアがとっていた。年若さの未熟も言い訳の材料になるだろう。
「専属騎士がそれでは困るだろ」
カナバルは自嘲し、自分と同じくおぼつかない足取りで近づいてきた兵の言葉を聞いた。
ただその言葉は酷く困惑に満ちていた。
「カナバル様、ほ、報告いたします」
「ああ、どうだった? …どれほどついてこれた?」
「そ、それがなのですが、ほぼ全員です。負傷兵が二人落伍しましたが、それだけです」
「…。いや、それはおかしいだろ?」
驚いてカナバルは立ち上がった。少々ふらついたが。
無謀とは言わないが、かなり無茶な逃走劇だったはずだ。負傷兵も多く抱えていたし、しんがりを用意しない撤退戦である。少なくない数死んだはず。
そう、しんがりがいないのだ。
「――待て、お嬢様はどうした?」
「あ、あのですね…っ」
兵は酷くためらうように言おうとした。ただカナバルはろくに聞かずに駆けだした。
「しんがりは引き受ける。反転するな、その装備じゃ邪魔になるだけだからと都市に残りました!!!」
あの馬鹿な女は勝手に犠牲になりやがったのだ!
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