第63話「いつ?」

 伝説の魔女は若かった。

 初対面の探検隊四人は想像していた姿と全く違うことに驚いたが、続いて引き合わされた執政の姿にも驚いた。

〈老人たち〉というくらいだから、禿げあがった意地悪爺さんが待ち構えているとばかり……


 そういうことは胸中にしまっておけば良いものを、正直に発言してしまうからトライシオスの笑壺に入るのだ。


「ご期待に沿えず申し訳ないが、見ての通りフサフサだぞ」


 シグとザルハンスの眉間に皺が寄るから余計に可笑しい。

 一人笑う彼の隣で、女将はボソッと呟いた。


「……意地悪という部分は当たっているわ」


〈老人たち〉というのは元老院の「老」からきている通称だ。

 トライシオスより若い女性だったとしても〈老人たち〉だ。


 普段、彼が軽口を叩くことはないし、叩かれることもない。

 ……叩ける者などいない。

 シグたちが不機嫌になろうと、女将に皮肉を言われようと、面白いものは面白い。


 とはいえ、何のために集まったのかはちゃんと理解している。

 いつまでも笑ってないで会談を始めなければ。

 程々にして着席した。


 帝国側はシグとトトルが中央、左にラーダとエシトス、右にザルハンス、レッシバルは右端という並びになった。

 少しでも標的から遠ざけなければ。


 トライシオスはシグの正面に着席し、左は連邦側の商人がトトルと向き合い、女将は右に腰掛けてラーダと向き合う。


 給仕たちがそれぞれの前にお茶を注いでいき、会談は和やかに始まった。

 一人だけ殺気が漲っているが……


 女将はお茶に口をつけながら探知魔法を狭い扇型で発動し、〈そのとき〉に備えた。


 扇の先はレッシバル。

 感知できたのはラーダだけだ。

 彼の視線に気付いた彼女は僅かに苦笑する。


 執政を暗殺しようとしていることはもうバレている。

 しかし魔法の心得がないレッシバルは、一挙手一投足を見張られていることに気付いていない。

 彼も皆と同じくお茶に一口つけた後、静かに置いた。

 そして空いた右手をテーブルの下へ……


 命の危険が迫っているとも知らず、トライシオスはシグたちと会談を始めた。


 油断?

 迂闊?

 そうかもしれないが、ここは宿屋号だ。

 安心する方が悪いと切り捨てるのは酷だろう。


 彼は観察眼に長けている方ではあるが、全ての殺意を事前に読み切ることはできない。

 今日のような場合、観察眼より物体を透過して確認できる探知の眼が有利だ。

 魔法使いの出番だ。


 期せずして、会談の席は〈二回戦〉の場となった。


 二回戦?

 何の?

 ここに竜はいないし、砲炎も爆発もない。

 あるのはお茶と若者たちの話し声だけだ。

 それでもここは戦場だと断言できる。

 海の竜騎士対海の魔法の静かな戦場だ。


 一回戦はリーベル海軍魔法兵対海の竜騎士。

 これはレッシバルが勝利した。


 二回戦はレッシバル対ロレッタだ。

 果たして……


〈海の竜騎士〉は、海の魔法の死角から襲い掛かり、術士に対処する暇を与えない一撃必殺の戦法だ。

 魔法艦や魔法兵に対する暗殺術と言い換えても良いだろう。


 いまのこの状況はある意味、アレータ海にそっくりではないだろうか?

 皆の意識が会談に向かい、レッシバルに対する注意が疎かになっている。

〈海の竜騎士〉にとって好機だ。


 確かにこの新戦法は画期的だ

 顧問が敗れ去ったのも納得できる。

〈海の魔法もどき〉が敵う相手ではない。


 そう……

 レッシバルが勝ったのは〈もどき〉なのだ。


 ロレッタにしてみれば、リーベルに伝わっている〈海の魔法〉とやらは紛い物だ。

 紛い物なのだから、いくら熟達しようとも全員未熟者だ。


 未熟者に勝利できたからといって、同じ手が本物の〈海の魔法〉にも通用すると考えているのだとしたら、それは浅はかというものだ。


 彼女が〈海の魔法〉を考案したのは海洋覇権を握るためではない。

 航海という長期戦を無事に生き抜くためだ。

 無用な戦いを回避し、災難を事前に察知することが〈海の魔法〉の真髄だ。


 だから、実はもう二回戦の勝負はついている。

 彼女はすでに暗殺を察知しているのだから。

 真の〈海の魔法〉に死角はなかった。


 あとは、いつ仕掛けてくるか……


 会談は探検隊の紹介が終わり、トライシオスが連邦側の商人を紹介しているところだ。

 女将は静かにそれぞれの紹介を聞きながらも、意識をレッシバルから離さない。


 そしてついに、


 ——来る!


 女将はさらに集中を深めた。


 ブーツに隠してあった刃物が右手に移り、彼の〈気〉がさらに増大した。

 いよいよ〈そのとき〉が来たようだ。


 彼の席は探検隊によって、トライシオスから遠ざけられている。

 直接刺突するには〈遠く〉、接近しようとすれば隣のザルハンスによって取り押さえられてしまう。

〈届かせる〉手段は一つ。


 ガタンッ!


 帝国側の右端で椅子が倒れ、一斉に注目が集まる。

 一体何事か?


「⁉」

「レッシバル?」


 視線が集まった先、起立したレッシバルが斜めに構えていた。

 右手には投げナイフが光っている。

〈遠く〉て直接刺突できないなら、その場から投擲して〈届かせる〉までだ。


「よせっ!」


 ザルハンスが飛び掛かろうとするが、僅かにレッシバルが早い。

 投擲体勢から右手が鞭のようにしなり、トライシオス目掛けて振り下ろされた。


 だが、


「…………」

「…………」


 世界が静寂に包まれた。

 皆、レッシバルを見て驚いた表情のまま固まっている。


 驚いていないのはトライシオスだけだ。

 己に向かって放たれている凶刃を見据えたまま固まっている。

 肝が据わっているというか、ふてぶてしいというか……


「はぁ……まったく……」


 人も船も、何もかもが固まっている無音の世界で溜め息が一つ。

 女将だ。

 椅子から立ち上がり、テーブルを回り込む。


 コツコツコツ……


 他の音が何もないと、自分の靴音がやけに大きい。

 中間を越え、帝国側へ辿り着き、レッシバルの横で歩みを止める。

 彼も丁度、凶刃が指から離れたところで固まっていた。


「間一髪だったわね」


 空中に定位している投げナイフを取りながら、女将はもう一つ溜め息を吐いた。

 今度は安堵の溜め息だ。


 何という早業か。

 皆の視線が集まったときには投擲体勢に入っていた。


 予め魔法の用意をしておいて正解だった。

 気付いてから対処し始めたのでは間に合わない。

 敵の撃破より危険の察知に全力を注ぐ〈海の魔法使い〉だから間に合ったのだ。


 そして用意しておいた魔法も正しかった。

 ナイフを取り上げるだけなら空間転移で十分だ。

 しかし今回は空間魔法ではなく、時魔法を選んだ。

〈時の停止〉という。

 文字通り、一定範囲内の時の流れを止める大魔法だ。


 本物の海の魔法使いは〈もどき〉のように相手を呑んでかかりはしない。

 謙虚に、正確に、相手の力量を測る。

 そして測った結果がどれほど不都合でも現実として受け入れ、冷静に対策を講じる。


 いや、実際には観測できた事象からの推測に過ぎないので、「正確に」というのは誇大かもしれない。

 それでも、もどき共の根拠なき決め付けよりはずっと〈正確〉に近いと言えるだろう。


 だから今日の彼女もレッシバルの観測に努めた。

 少しでも正確に、彼と自分との力の差を把握しようと。

 結果、空間魔法では止められない可能性があるとわかった。

 彼が発する英雄の〈気〉はそれほど強大だった。


 魔法とは「このようになれ」と強く念じること。

 だから剣士と魔法使いの戦闘において、火球が直撃しても耐え抜き、一気に距離を詰めてきた剣士が斬り伏せるということも起こり得る。

 魔法使いの「燃えろ!」という念を、剣士の「燃えはしない!」という念が上回るのだ。


 結局、魔法は思いと思いのぶつかり合いなのだ。

 押し勝った方の思いが実現する。


 これを今日のレッシバルと女将にも当てはめてみる。


 彼の投げナイフに込められた念は「どうかトライシオスの急所へ〈届け!〉」だ。

〈届く〉というのは、〈ここ〉から〈あそこ〉へ移動するということ。


 対する女将は〈届かせたくない〉ので阻止したい。

 ここからあそこへ移動しないように、空間転移で行先を変更してしまえば良い。

 刺さる相手がいない海とか。


 ところが、彼の巨大な〈気〉をみて、彼女に一抹の不安がよぎったのだ。


 宿屋号での殺しは固く禁止する——

 これが彼女の信念だ。

 一歩たりとも譲ることはできない。


 強い信念だ。

 でも彼には劣る。

 彼の念は信念を通り越して、怨念に近い。


 竜のように巨大な〈気〉の持ち主が「ここからあそこへ絶対に〈届け!〉」と怨念を込めて凶刃を放つ。

 そのとき、殺害禁止程度の弱々しい信念が通用するだろうか?


 彼女の脳裏に浮かぶ。

 凶刃が空間転移を突破し、トライシオスの急所に深々と突き刺さっている光景が。


 そこで、空間魔法ではなく時魔法に切り替えた。

 時魔法は空間魔法より消耗するので滅多に用いないが、今日はやるしかない。


 切り替えた理由はもう一つある。

 彼の念は「ここからあそこへ」という〈空間〉に対して向けられている。

 この軌道を曲げることは困難だ。


 しかし、彼の怨念には一つの盲点があった。


 凶刃が狙い違わず飛んでいくのだとして、命中するのは〈いつ〉だ?

 一秒後か?

 一〇〇年後か?

 彼の念は〈時〉に対して向けられているものではなかった。


〈どこへ〉ではなく〈いつ〉——

 時魔法なら彼にも通用するのでは?


 これは屁理屈だ。

 魔法の理論と呼ぶのもおこがましい。

 でも彼女は屁理屈に賭けて〈時の停止〉を用意しておいた。


 結果はご覧の通りだ。

 やはり彼にとって重要なのは〈どこへ〉であり、〈いつ〉という点については無防備だった。


 女将は彼の怨念の死角を突くことに成功した。



 ***



 女将は取り上げた投げナイフを持って、自分の席に戻った。


「この後も大変そうね……」


 何もかもが静止した世界で、お茶に一口つけながら困ったように呟いた。

 彼らをこのままにさせておくわけにはいかないし、彼女もくたびれるし……


 時の流れを戻した途端、まずはレッシバルが投げナイフの消失に驚く。

 そこへ飛び掛かる途中だったザルハンスが激突してきて、二人は取っ組み合いになるだろう。


 一方は海軍の豪傑、猟犬ザルハンス。

 もう一方は海の竜騎士レッシバル。

 宿屋号の甲板は修羅場と化す。


 これからそんなことが待っているとも知らず、隣ではずっとトライシオスがレッシバルを見据えている。


「元はと言えば連邦のせいであの子たちが揉めるのだから、請求書の宛名はあなたにしておくわね」


 請求書——

 彼らの喧嘩で壊れる物品の弁償代だ。

 普段冷酷な〈老人たち〉も凍えるのではと思うほど、女将の声が冷たい。


 ——どうか鼻血程度で済みますように。


 探検隊二人の無事を祈りながら、彼女は〈時の停止〉を解除した。


 時は、再び刻み出す。

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