第2話「少年探検隊」

 海と空の武人たちの喧嘩はまだ続くようだ。

 このまま見ていても仕方がないので時を遡る。


 竜将レッシバルは帝国南方、貧しい漁村ピスカータで生まれ育った。

 彼の少年時代まで遡ろう。


 岩縫いノルトがまだ海賊として旗揚げするよりずっと前——

 無敵艦隊擁するリーベル王国は世界の海に君臨していた。


 一方、陸の覇者ブレシア帝国は地図の上では大国だったが、実際の生活圏は沿岸部のみ。

 内陸部はモンスターたちに占領されていた。


 精強誇る騎士団もこの状況を静観していたわけではなく、何としても奪還しようと征西を繰り返していた。


 征西軍は連戦連勝。

 戦えば大型モンスターが相手でも勝利した。

 しかし軍が引き揚げれば、すぐにモンスターは戻ってくる。


 不毛な繰り返しだ。

 征西、村の再建、モンスターたちの逆襲。

 そして最初に戻る。

 終わりのない円をいつまでもグルグルと……


「もう諦めてはどうか?」


 そんな意見が昔からあるが、騎士団の奮闘を否定するような意見に陸軍が賛同するはずがなかった。


 どれだけ勝っても成功にはならない。

 そう知りつつ、発言力の強い陸軍に誰も異議を唱えることはできず、帝国は莫大な戦費を費やし続けるしかなかった。


 消えていったのは戦費だけではない。

 人命も消えていった。


 モンスターも人間共から縄張りを守ろうと必死だ。

 犠牲は避けられない。

 援軍要請が届く度、あまり重要ではない村や集落から順に、守備隊が西へ送られていった。


 帝都から遥か南、辺境の漁村ピスカータからも……



 ***



 将来、騎士になる——


 帝国に生まれた男の子は、ほぼ全員がそう言う。

 ピスカータ村の子供たちもそうだ。


 少年たちの頭の中では正騎士になることが確定していて、将来は都で大きなお屋敷に住み、互いに手柄を競い合うことになっていた。


 微笑ましい戯言だ。

 親たちはいちいち真に受けて叱りつけたりしない。

 ただ、アホかと苦笑するだけだった。


 彼らもかつて同じ夢を見たが、叶わなかったから毎朝漁に出ている。

 子供たちも大人になれば現実を知り、アホな夢も自然と覚めるだろう。

 だから放っておけば良い。


 子供の妄想はいつか覚める。

 だが、いま村が抱えている問題は現実の危機だ。

 ぐっすり寝て、起きたときには消えているということはない。


 近くの山にゴブリンが出た。


 山菜採りに行った村の女たちが、山奥でゴブリンの群れを目撃した。

 山は木々が鬱蒼としていて、昼間でも薄暗い。

 巣になりそうな洞穴もある。

 光が苦手なゴブリンにとって住みやすい場所だ。


 一隊は子ゴブリンを連れていたというから、定住するつもりだ。

 そうなれば山菜採りができなくなるどころか、いつか村が滅ぼされる。

 こんなとき、守備隊に知らせれば駆除してくれるのだが、命令で西へ行ってしまった。


 もし何かあったら、すぐ砦に知らせよ——

 守備隊の隊長はそう言い残していった。


 ただ……


 砦は遠く、何かあってから知らせに行っても手遅れだ。

 兵隊が村に到着したときにはすべてが終わった後だろう。


 巡回の騎兵たちも頼りにならない。

 平時も村に立ち寄ってくれていたが、各村の守備隊から異常なしの報告を集めて回っているだけという感じだった。

 守備隊がいなくなったからといって、気合いが入る連中ではない。


 ——この村は事実上、見捨てられたのだ。


 口には出さないが、村人たちはそう自覚していた。

 だから対策を講じるため、漁から帰ってきた村人たちは村長の家に集まっていた。


 今日の話し合いに先だって、砦へ通報するために村人を送り出していたのだが、その返事は思わしくなかった。

 他の村もピスカータと同じ状況で、中にはもう衝突が始まっているところも。


 砦はそういう一刻の猶予もない村の救援で手一杯だった。

 通報は一応聞いてもらえたが、すぐには兵を出せないという。

 当分の間、刺激しないように気を付けろと注意されただけだった。


 ゴブリン共は日々、縄張りを拡大している。

 砦を当てにできないなら、自分たちで何とかするしかない。


 対策会議が始まると、すぐに極論で決しかけた。

 攻め込まれるのを待つことはない。

 こちらからゴブリンの巣へ攻め込もう、と。


 皆、威勢の良い漁師だ。

 一人が拳を振り上げて退治を叫び、全員が後に続いた。


 村長はそんな村人たちを静まらせた。

 彼も漁師だ。

 気持ちは一緒だが、村長としての責任感が理性を保たせていた。


 奴らは明るい光が苦手だ。

 だから昼間に巣を攻めようというが、洞窟の中は暗く、入口からしばらく狭い通路が続く。

 中に入るのは危険だ。


 ならば煙を送り込んで燻そうと、誰かが代案を出す。

 しかしこれも却下せざるを得ない。


 あの洞窟は狭い通路の先に広い空洞がある。

 そこに何匹潜んでいるのか?

 燻した途端、奥から大軍が溢れ出てきて村に雪崩れ込んでくる虞があった。


「奴らを追い払いたいのは山々だが、群れの規模がわからないことには……」


 場の興奮がスーッと冷めていき、誰かが溜め息を吐いた。

 漁師たちは血気盛んだが、愚か者ではない。

 村長の話は正しい。

 誰も群れ全体を見た者はいないのだ。

 正確な数を断言できる者は一人もいなかった。



 ***



 村長宅の真ん中に男たちが陣取って溜め息を吐き合い、女房たちは遠巻きから不安を募らせる。

 その様子を窓から覗き見ている者たちがいた。

 村の少年たちだ。


「……いまは無理そうだぞ、レッシバル」


 一番背の高い少年シグが、隣で必死に爪先立ちしている少年に声をかけた。

 この小柄な少年がレッシバルだ。


「……うん……うわっ⁉」


 爪先立ちは限界を迎えつつあった。

 そこへ声をかけられたので集中が途切れて、よろめいてしまった。


 子供の声はよく通る。

 静まり返っていたので尚更だ。

 レッシバルのせいで、盗み聞きしていたことがバレてしまい、すぐに女房たちの一人が出てきた。


「コラッ! 邪魔だからあっちへ行って遊びな!」

「い、いや、俺たちは……」


 大人たちに聞いてほしい話があったのだが、取り付く島がない。

 いつまでも粘っていると、今度は親父が出てきてゲンコツが落ちる。

 痛い目に遭いたくなかったら、さっさと退散するのが賢明だ。

 少年たちは大人しく引き上げた。


 ——冷やかしじゃないのに……


 憤りをグッと呑み込みながら、少年たちは当て所なく歩く。

 やがて浜に辿り着いた。


「絶対にうまく行く作戦だったのに!」


 少年の一人が我慢してきた思いを吐き出した。

 普段なら船の手入れをしている大人がいるが、いまは村長宅に集まっているから浜は無人だった。

 誰にも憚る必要はない。


 絶対にうまく行く作戦——

 少年たちがそう豪語する作戦とは、ゴブリン共に人間の縄張りを主張しようというものだった。


 ゴブリン出現以来、子供たちはそれぞれの親から山へ近付くことを禁止されていた。

 山には獣もいる。

 立ち入り禁止自体は以前からだが、より厳しくなったのだ。


 しかし、行くなと言われたら余計に行きたくなる。

 それが子供というものだ。


 少年たちは偵察と称して山に入り、ゴブリンの動向を見張っていた。


 そんなある日、レッシバルが奇妙な光景を目撃した。

 単独偵察らしきゴブリンの立小便だ。

 後を付けてみると、目印になりそうな大樹や大岩に次々と小便をかけていき、終わると巣の方向へ去っていった。


 ——小便が近いゴブリン?


 意味がわからないので、そのような解釈になっても仕方がない。

 わかったのは偶然だった。


 ゴブリンが去った後も、大岩から少し離れた茂みに隠れていた。

 いまのは一体何だったのか、とただ考えていただけなのだが、そこへオオカミが現れた。


 オオカミはゴブリンの小便に気付くと、徐に後脚を上げ始めた。

 その姿勢のまま、暫し静止。

 やがて何かが終わったのか、脚を下してどこかへ去って行った。


 いなくなるのを待ってから彼が見に行ってみると、そこには渇き始めた跡の上に新しい小便の跡が。

 つまり、縄張りの主張と了解だ。


 すぐにシグたちと合流し、見た事を説明した。

 皆、最初は半信半疑だったが、大岩へ案内して二筋の跡を見せると信じてくれた。


 だから作戦というより提案なのだ。

 人間も縄張りを主張してみてはどうかという。


 うまくいけば、誰も血を流さずに済むかもしれない。


 だが、大人たちは頭に血が上っていたし、作戦を伝えれば山へ行っていたことがバレてしまう。

 言いつけを破っていたという点だけが殊更取り上げられ、肝心の作戦はどこかへ飛んでいくだろう。


 窓から見ていたシグの脳裏に、そんな未来が思い浮かんでしまったのだ。

 レッシバルに無理そうだと伝えたのはそのためだった。


 大の字になっている少年たちを潮風が舐めていく。

 誰も何も言わないが、考えていることは一緒だった。


 せっかくの名案をこのまま捨てたくない。

 何とか言いつけを破っていたことを伏せつつ、縄張りのことを伝える術はないものか?


「…………」


 無理だ。

 違反したから縄張りのことがわかったのだ。

 この二つは分離できない。


 都合の良い話が無理なら、取り得る手段は二つに一つ。

 正直に謝るか、あるいは……


 シグが勢いよく上半身を起こした。


「お、何か思いついたのか?」


 全員、お手上げだったので一斉に注目が集まった。


「そもそも、親父たちにわかってもらう必要はなかったんじゃないか?」


 いきなり何を言い出すのか?

 少年たちは「は?」とか「え?」としか返すことができない。

 理解するにはもう少し説明が必要だ。


 彼の考えはこういうことだった。

 ちょっと行って、村と巣の間に点々と小便をかけてくるだけだ。

 別に大人でなくても良いのではないか?

 相手に人間の尿だと伝わりさえすれば。


 そこまで聞いて皆もようやく理解できた。

 言われて見ればその通りだった。

 漁で忙しい親父たちより、手が空いている自分たちが手分けしてかけてきた方が能率も良い。


 浜が急に賑やかになった。

 少年たちはシグを囲んで大絶賛だ。


 こんな簡単なことに、なぜ気付かなかったのだろう。

 静かに行ってくれば良いのだ。

 そして帰ってきてからも、手柄を自慢しようとしなければ親たちにもバレない。


「絶対に秘密だからな」


 シグは隊長として、一同に釘を刺した。


 隊——

 ピスカータ少年探検隊だ。

 隊の使命は村の平和を守ること。

 自慢話など以ての外だ。


 今回のように、成功しても親たちに怒られるのが確実な場合、機密保持に万全を期さねばならない。


 特に、女の子に知られることだけは絶対に避けなければならない。

 彼女たちは危険だ。

 得た情報を直ちに母親や父親、最寄りの大人に通報する習性がある。

 おかげで何度、隊が解散させられたことか……


 だがその度に、探検隊は不死鳥のように蘇ってきた。

 いまは大人にも女の子にも理解されないが、実績を積んでいけばいつかわかってもらえる。

 その日まで、人知れず村の平和を守るのだ。


 シグ隊長に率いられ、ピスカータ少年探検隊は出撃した。


 ……任務の後、タンコブだらけで葡萄のような頭にならないと良いが……

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