第三の語り

01

3月29日

何か自分用の記録をしておけ、と言われたのでこれを書き記すことにしておく。とは言っても、毎日続けるのは流石に骨なので、時には飛ぶ日があるかもしれない。まあ誰かが見る訳でもないので、良いのだが。


今日はこの家に引っ越してきた。とても広い家だ。洋館、と言った方が良いのだろうか。まさかこんなところに住めるようになるとは、というのが正直なところだ。出来ることなら、普通に越したかったが、それならこんなところに住める筈もない。


繰り返しになるが、この家は本当に広い。

広々とした玄関。洋画に登場しそうな食堂。のんびりとした客間に、居間。食料が余すところなく置けそうなキッチン。二階には浴室がそれぞれの部屋についた寝室。解放感のあるバルコニー。


最初は戸惑っていた玲奈も気に入ってくれたようだ。

引っ越しの作業は問題なく進み、荷解きも一日目にしては上出来だと思う。

食堂での食事も新鮮で楽しかったし、個人用の浴室があるというのは本当に有難いとしか言えない。


だが、ここに来た過程が過程だけに、事情を知る私は手放しで新しい家を満喫するという訳にもいかなかった。


とにかく、このまま一家が平穏に過ごせることを祈るしかない。


3月30日

今日は引き続きの荷解きと、各部屋の整理で一日を潰した。


そして、隣の家に挨拶をしておいた。

だが、少し反応が妙だった。優しそうなどこにでもいる老女だったが、こちらが名乗るなり、何だかぎこちない、というか、少し距離を感じる対応をされた。人付き合いがあまり得意ではないタイプなのかな、とも考えたがそれとはまた違うような気もする。警戒、と言うべきなのかもしれない。

遅れて出てきた初老の男性は、どちらかというと哀れむような視線をこちらに向けてきた。


あまり仲良くはなれないだろうな。私の考え過ぎかもしれないが。

ひょっとしたら、あの二人は、ここに私達が越してきた経緯を知っているのかもしれない。


あれ、こんな時間に音がする。

この日記は夜中に付けているのだ。

もう少し書きたかったが、今日はこれで終わりにしておく。


3月31日

音の主は玲奈だった。部屋の窓に何かが見えて、怖くなって部屋を飛び出したのだという。私は彼女の部屋を確認しに向かったが、特に誰かがいるというようなことはなかったので、大丈夫だと玲奈を念押しして寝かせた。

玲奈は問題なくこの家に馴染んでいる、と思う。

しかし、私自身がこの家に馴染めないでいるのかもしれない。


4月5日

早くも長い間怠けてしまった。特に忙しかった、というわけではないのだが、ついつい怠けてしまった。

今日は玲奈は早々と家を飛び出し、近所に遊びに出かけた。もう友達を作ったのだという。頼もしい限りだ。


しかし、今年で小二になる俊介は何やら落ち着かなさそうな顔つきをしていた。口数も少ない。あの子は元々臆病なのだ。だから、まだ慣れない家に警戒しているのかもしれない。

元々、内向的な性格でそんなに喋る子ではないのだが、少し気になる。食事の時も話すのは一言二言、私が話しかけても上の空、といった具合だ。子供というのは環境の変化に対応するのが難しいものなのだろうか。だが、玲奈の姿勢を見ていると、それも何だか矛盾している気がする。


何かこちらでサポートできないものか、と正行と相談した後、私は俊介に色鉛筆とおえかき帳を与えた。昔から、俊介は絵を描くのが好きなので、これならばと思ったのだ。俊介は表情こそ変えなかったが、何となく嬉しさが伝わってきた。

これで俊介もここに馴染んでくれればそれで良いのだが。


また、最近気になっているのが、家のどこかからたまに妙な音が聞こえることだ。水が滴るような音、といえばそうなのかもしれないが、とにかく、ぴとっと優しく床を擦るような音が聞こえるのだ。


水漏れかもしれないし、また別の欠陥があるのかもしれない。あまり頻繁に聞こえるようなら、対応を考える必要がありそうだ。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る