第153話 夢魔は嗤う

 背中の翼をゆるやかに羽ばたかせながら、夢魔は私たちを文字通り見下してきた。顔にザマァと書いてある。よし、後で殴る。

「……あなたがベトレイヤに甘言を囁いた者ですか」

「きゃはははっ、人間にしては察しがいいわね。ええ、その通りよ。心の弱った人間って簡単よね、自分に都合のいい情報はすぐに信じちゃうんだもの」

 なにかを察したライラックさんの問いに、夢魔はあっさりと自分が黒幕だと白状した。なるほど、宰相になにがあったかはわからないけれど、夢魔だというなら相手の夢に干渉するくらいは簡単だろう。こいつが余計なことをしなければサイサリアは荒れることもなかったのか。やはり殴る。

「あなたの目的は、火の災厄の獣の封印を解くことだったのですね」

「う~ん、まあ、現状だけ見ればそう思うよね~」

「ひょっとして、ベトレイヤに間違った情報を吹き込んだのでは……」

「あはははっ、そう考えるんだあ。面白いわねぇ」

 こっちを小馬鹿にしつつも、意外と律儀なのか、いや、自分が優位にあると考えているからだろうか、ライラックさんの言葉に応じる夢魔。いきなり攻撃してくるよりはマシだけど、話している間にも水面の水は減っていき、水柱はさらに膨張する。不規則に波打ち、明らかに限界がきている。早くしないと一気に水没しちゃうぞ、ここ。

 心配していると、夢魔が盛大に笑い出した。

「きゃははははははっ! 封印を解くのに王族の血が必要なはずって、ひ、ひぃ~、おかしい! ベトレイヤって本気で信じてたんだぁっ、あははははははっ!」

「……嘘なのですね?」

「そりゃそうだよぉ、それじゃあ、島で王族が鼻血を出しただけでも封印が解けちゃうじゃないっ。あー、おかしい。本当はもっと単純、民草を絶望させればいいのよっ」

 あー、この夢魔、物語に出てくる悪の親玉タイプだな。冥土の土産に教えてやろうを地で行くやつだ。だけどまあ、ここは流れに乗っておいた方がいいかな。

「絶望だとっ!?」

「そうよ~、おバカな人間さん。封印は民草の希望、封印を破るなら民を絶望させればいいのよ。だからまあ、ベトレイヤが王女様を公開処刑しようとしたのは間違ってないわね」

 確かに、王族の処刑は人々にとっては絶望だろう。だけど王女様の無事は国中に広まっているはずで、むしろ希望が増えていると思うんだけど、どうして封印が解けそうなんだ?

 そう疑問を口にすると、夢魔はイラッとするほどのドヤ顔で胸を張った。

「ふふ~ん、教えると思う?」

「……知らないのですね」

「バ、バカにしないでよっ、知ってるわよっ!」

 ノリを理解したライラックさんが挑発すると、夢魔は簡単にムキになった。扱いやすいな、こいつ。からかって楽しみたくなるけど時間がないし、早く話せ。

「ベトレイヤはね、魔力の糸で他者を操れるのよ。それで王都周辺の貴族を操り、自分に迎合させていたの。だけど死んで、多くの貴族が解放されたわ……操られている間の記憶を持ったままね。

 彼らは今、アンデッドたちと肩を並べて王女率いる反乱軍に刃を向けてる自分に気づいてどんな気持ちかしらね。まして、操られていたとはいえ、今まで自分がしてきたことを思い返しているはず。……あっはははははっ! その絶望はどれほどかしらねえ、そんな主に仕えていた部下たちも!」

 魔力の糸……ミローネ様を救出する際に見た、城から伸びていたあれか。なるほど、宰相に与する貴族がまだいることに驚いたけれど、そういうことだったのか。かなりの人数を操れたんだろうな。

 だけど、決戦の時には魔力の糸は確認できなかった。あれはどういうことだろう?

「一度切られてるもの、馬鹿正直に見えるような伸ばしかたをすると思う?」

 疑問を口にすると、思いっきりバカにした顔で、だけど律儀に夢魔が答えてくれる。見下してるから口が軽いな。

「反乱軍の躍進で国民の間には希望が広まった。だけどね、積み重なった絶望は確実に封印を蝕んでいたのよ。どう? ベトレイヤを倒して最後のひと押しをしてしまった気分は!」

 勝ち誇って高笑いする夢魔。だけど、その言葉に反論する余裕はなかった。とうとう水柱が限界を迎えたのだ。

「捕まって、息を止めて!」

 ライラックさんとヨナを抱き寄せると同時に水柱が崩れた。形容しがたい轟音とともに崩れ落ちた水の塊が津波を起こし、あっという間に私たちを飲み込んだ。まるで固い壁に全力でぶつかったような衝撃があって、一気に広間の壁に叩きつけられる。危なっ、肺の空気を吐き出しちゃうところだったわ。

 渦巻く大量の水がすぐに落ち着くはずもなく、しばらくでためらに水中を振り回される。うおおおっ、上下がわからない。酔う、これは確実に酔うっ。

 気がつけば、しがみついてきている二人の手の力が弱まってきているような!?

 マズイ、なんとかして浮上しないと溺死まっしぐらーっ!

『ご主人様ーっ!』

『クロ!?』

 頭に響いた声。直後、もの凄い勢いで身体が引っ張り上げられる感覚があって、私たちは荒れ狂う湖から地上へと、いささか乱暴に放り出された。

『ご主人様、ごめんニャーッ。加減ができなかったニャ』

『いや、助かったよ。ありがとう』

 荒れる水中に突入し、三人まとめて引っ張り上げるのは相当負担だったんだろう。濡れたまま地面にへたり込んでいるクロの頭を撫でて労う。

「……あ、まだ生きてる」

「もうダメかと思いましたぁ」

 ヨナとライラックさんも大丈夫そうだ。

 湖は随分と水位を下げてしまっていた。中央にあった小島も橋も見当たらない。代わりに、中央に巨大な骸が姿を現し、あの夢魔がその上でホバリングしていた。あの骸が火の災厄の獣か。水の災厄の獣と違って白骨化はしていないんだな。

「さて……肉体はダメだろうけど魂は元気かなあ? ……よいしょおっ」

 ごうごうと渦巻く水音の中でも吸血姫の耳はやつの独り言を捉えた。夢魔は呟きながら、骸に手を伸ばして突き立っているなにかを一気に引き抜いた。


 リイイイイイィィィィィン。


「んあうっ!?」

「マイちゃん?」

「マイ様?」

『ご主人様?』

「な……なんでもないよ。あはは」

 下腹部を押さえ、内股で言っても説得力ないよね。

 夢魔が火の災厄の獣の骸からなにかを引き抜いた瞬間、身体の中でシーン・マギーナが激しく震えだして変な声がでちゃった。さすがにこのまま下腹部あたりで暴れ回られては大変なので外に出すと、澄んだ音とともに刀身がなにかを訴えるように震えていた。って、なにかに共振してる? 確かに少し前からぷるぷると震えてはいたけれど……まさか!?

 夢魔が手にしている物、それは漆黒の槍だ。その色艶といい、シーン・マギーナとよく似ている。ひょっとしたらあれが────。

 あ、骸に変化が。陽光を浴びたせいかボロボロと灰になっていく。だけど中から暗い輝きをもった球のようなものが浮かび上がる。なんだあれ?

「大丈夫よー、肉体はベトレイヤが用意してくれてるから」

 光球に話しかける夢魔。そして槍で城を指すと、その光球はものすごいスピードで城へと飛んでいった。

「……なにか、ヤバそうです」

「そうみたいね」

 光球の正体と目的が気になるけれど、今は夢魔だ。すっごくイイ笑顔でこっちを見てきた。

「目的は果たしたけれどぉ……ついでに王女様を始末しておこうかしらん♪」

 ついでとか結構です!

 ライラックさんは身構えるけれど、立ち上がろうとして尻餅をつく。貧血だし戦闘は無理だろう。魔剣も水の中で手放してしまったようだし。クロも疲れて動けないし、相手は空中だ、これはヤバいかなあ。

「狐火!」

 近づいてくる夢魔にヨナが炎を飛ばす。だけど槍のひと振りで火球はたやすく斬り裂かれた。夢魔が笑う。

「夢魔ってぇ、夢の中じゃなければ弱いと思ってる? でもね、これくらいはできるのよ。

 ……闇よ、我は夢の岸辺の渡し守。悪夢への船を今、漕ぎ出さん────」

 高々と掲げた掌に闇の球が出現し、みるみる大きくなっていく。明らかに精神に悪影響を与える魔法だよね、あれ。

 近くに【マイホーム】が設置できるような物は無い。普通なら逃げ一択なんだけど、消耗しているライラックさんとクロを連れて、さて逃げきれるかといえば難しいかもしれない。それになにより、やつの持っている槍に用があるのだ。方法は……うん、シーン・マギーナが教えてくれる。となれば……。

「ライラックさん、ちょっと目に良くないことするので、しばらく目を閉じててもらえます?」

「え? ……わかったわ」

 苦笑しながら目を閉じるライラックさん。なんで苦笑するかなー? またなにかやらかすと思ってるのかなー?

 まあ、いいわ。夢魔に視線を向けると同時に、呪文の詠唱も終わったようだ。

「あっはっはっは、悪夢に囚われて狂い死になさいっ! フォールン・ナイトメア!」

 巨大な闇球が放たれる。よし、【加速】、そしてデビ〇ウィング!

 ビリビリと音がして服の背面が弾け、【闇の翼】が現れる。……って、左袖は無くなってるから、左半身は完全に裂けてあられもない恰好になっちゃったぞっ!? だけど今は気にしてる場合じゃない。よおし、いくぞっ。

「てりゃあああっ!」

 シーン・マギーナを構え、迫りくる闇球に向かって全力で飛んだ。

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