第78話 『月桂樹の冠亭』来店
「な、なあ、さっきの子とどういう関係なんだよ」
ケビンが訊いてきた。注文をとって戻っていくエイダさんの後ろ姿をちらちらと見ながら。……惚れたか? まあ、エイダさんは清楚系の美人だし、惚れるのはわからないでもないけどさ。
「昼にライラックさんが、彼女を助けたんだよ」
「ちょっと、私に振る?」
「え、師匠、彼女を助けたんですか!?」
ケビンが食いついてきた。一瞬、恨みがましい視線をこちらに向けて、ライラックさんは昼の出来事を簡単に説明してくれた。
「しまったなー、俺もこっちに来ていれば……」
小声でケビンが呟いたのは、吸血姫の私にはバッチリ聞こえてるから。加えて言えば、ケビンがいてもライラックさんほどスマートに助けることはできなかっただろう。
料理がくるまで、そんな他愛のない話をしていた。
「師匠、来てくれたんですかっ」
「ぶっ!」
待つことしばし、料理が運ばれてきた。まだ脂をパチパチ言わせている溶岩焼きセットとミンチの包み焼きは、香りからして食欲をそそる。だけどね?
「調理はいいの?」
「ちょうど、師匠たちの注文で区切りがついたもんで。声をかけてくれりゃよかったのに」
「いや、忙しそうだったし……、ってか、師匠ってなに!?」
「こんなすげぇ料理を教えてもらって、お陰で客も戻ってきてくれた。もう師匠だよっ」
まさかジェフが料理を運んでくるとは思わなかった。しかも師匠とか、勘弁してほしい。
困っていると肩を叩かれた。ライラックさんに実にいい笑顔で。ぐううっ、ケビンに師匠と呼ばれて困ってるのを助けなかったから、助けてくれないんですね?
「とりあえず、師匠と呼ぶのは────」
「お、なんだ。ジェフに料理を教えたのは嬢ちゃんか」
「あの肉でこんな旨い料理を作るとか、すげぇな!」
「俺たちも心配はしてたんだが、料理なんざできねえからな。ありがとうよ、師匠さんよ!」
や~め~ろ~!
外野からも師匠だの、ありがとうだの連呼されて居心地が悪い。このままじゃ酒の肴にされてしまうっ。
「熱いうちに食べよう。食べる時は静かにね」
そう言ってナイフとフォークを手にすれば、あちこちで小さな笑いが。はいはい、露骨な話題そらしですよ、まったく。
私が頼んだのは溶岩焼きの硬め。ナイフを入れれば、確かに小さな手ごたえがある。肉汁溢れる断面を見れば、ミンチよりは大きな塊が目に入る。頬張ればなるほど、噛み切れないほどじゃない適度な歯ごたえがある。
「なかなか絶妙な大きさだね」
「色々な大きさに切って試してみたんだが、それが一番いい大きさだと思った。ただ、若干まとまりが悪いと思ったんで、師匠のアドバイス通りに卵とパンを乾燥させた物を入れてみた」
つなぎについては、一応教えておいたんだよね。
「卵、よく買えたね」
「まあ、確かに高いが、量はそれほど必要ないってわかったから、なんとかやっていけると思う」
卵とパン粉のギリギリの分量を試行錯誤して見つけたんだろうな。この短い時間でよくやったよ。
「マイ様、こっちも美味しいです」
「へえ、ずいぶんと味が変わったね」
ヨナとライラックさんが口にしたのはミンチの包み焼き。どれどれ……っと、タレからして変わったね。試作の時はステーキ用のソースをそのまま使ったけれど。琥珀色で独特の香りがあるこれは……。
「ゴマ油?」
「さすが師匠、すぐわかったか」
師匠じゃないってーの。
ゴマ油と言ったけれど、この世界ではエマシーという。地球で言うゴマに近い植物で種子から油が採れる。味も香もゴマ油そっくりだけど、味はかなり濃い。
そのゴマ油にミンチの包み焼きをつけて頬張る。もぐもぐ……、おおっ、味付けがまるで違う。試作ではハンバーグのタネをそのまま使ったので、本格的に作るなら味付けを変えたほうがいいとは伝えていたけれど、仕事速いなっ。
玉ねぎの代わりにニラ系の野菜を入れて、多分生姜の搾り汁も入ってる。ゴマ油には酢と塩が入ってるのかな。さっぱりしてて美味しい。
「短時間でここまでやれるとか、すごいね」
「よしっ、師匠に誉められた!」
だから師匠じゃないというのに。ああ、一から教えなきゃよかったな、多分キッカケさえあればジェフは一人でもここまで来れたと思う。うん、今さらだけどね。
ここで来客があり、ジェフが離れた。ふう、ずっと見られてたら食べにくくてしょうがないし、助かった。
「マイちゃんも、とうとう師匠だね」
「……ライラックさんの自称弟子はデレデレしてますよ」
喉が渇いているのもあるんだろうけど、ケビンは水をお代わりしまくっている。エイダさんが水を持ってくるたびに話しかけようとして、だけど照れてか、うまく話せないでいる。中学生かっ。
「温かいうちに食べません?」
それもそうだ。リモさんの提案に、私たちはしばし、手と口だけを動かすことにした。
その間にもお客は次々とやってくる。ジェフはひたすら溶岩焼きを焼いていく。
「次々に焼いてますけど、いつ作ってるんでしょうね」
「教えた料理は、どちらも作り置きができるんですよ」
ハンバーグのタネや餃子は、作っておけば冷凍保存ができる。そしてこの店はそれが可能だ。事前に大量に仕込んでおけば、あとは必要な量を解凍しながら焼くだけでいい。うまい具合に、この店に合ったものを教えられたみたいだった。
全員が食べ終わり、じゃあ帰ろうかとなった時だった。
「いらっしゃいま────」
エイダさんの声が途切れた。入り口を見ると、ガタイのいい男二人を引き連れた男性が店に入ってくるところだった。しっかりと身だしなみを整えた、パッと見貴族とも思える男性なんだけど、なんというかこの……奇妙に鼻につく感じだ。
男性は店内を見回すと、フンと鼻を鳴らした。感じ悪いな。
「いつも閑古鳥が鳴いていたというのに、これはどうしたことだ」
「なんの用だ、『月桂樹の冠亭』さんよ」
不快感を隠さないジェフの声。ああ、この男性が『月桂樹の冠亭』のオーナーなのか。
ジェフの言葉の刺をスルーして、オーナーはわざとらしく肩をすくめた。
「なんだ、とはご挨拶だね。そろそろ店を畳む準備ができたか聞きにきたのだが」
「おあいにくさま。新しいメニューが好評でな、店を畳むなんてあり得ないね。借金だってすぐ返せるさ」
って、借金してたのかジェフ。ううむ、なかなかギリギリのタイミングだったのかな。
ジェフの言葉にオーナーは近くの客の皿を覗き込み、そして鼻で笑った。
「ふん、奇をてらった料理で客寄せか。賑わっている風を装えば、客が来ると思っているのかね」
「なら、食べてみたらどうです?」
思わずそう言ってしまった。だって腹立つんだもん、このおっさん!
店内の視線が集中して恥ずかしいが、言ってしまった以上はやらねばなるまい。立ち上がり、少し考えてからオーナーの前まで移動した。背が低いもんだから、店の奥の客から私が見えてなさそうだったんで。
だから立ち上がるな、おじさん!
背の低さが悲しい!
「奇をてらった料理かどうか、食べてから判断したらどうですか? それとも、『月桂樹の冠亭』では料理の味見もしないで、見た目で判断してるんですか?」
相手がなにかを言う前に一気に畳み掛けてやる。オーナーは少したじろいだようだけど、わざとらしく咳払いして態勢を立て直した。
「ふん、いいだろう。私が直々に味見をしてやろうじゃないか」
よし、乗ってきた。ジェフに視線を向ける。口じゃなく、美味しさで殴り返してやれ。そんな想いを込めて。
ジェフは頷き、新しい溶岩焼きを焼きはじめた。
「……バカな」
ナイフとフォークを持ったまま、オーナーが呻いている。
溶岩焼きが運ばれてきた時は明らかに馬鹿にしていたオーナーだけど、ナイフを入れるとその柔らかさに驚いた。肉汁溢れる一切れを口に入れ、何度か咀嚼すると目を見開いて動きが止まった。
それからは一気だった。オーナーは溶岩焼きを一気に食べ終え、「バカな」「信じられん」と繰り返しながら動けないでいる。少なくとも舌は正直だったらしい。
「いらっしゃいませー」
「なんか珍しい料理が食べられるって聞いてさ」
そこに新しいお客さんが団体で来た。テーブルの空きは……。
「申し訳ありません、食べ終わったお客様は席を空けていただけますか?」
エイダさんの言葉に過敏に反応したオーナーは慌てて席を立ち、店を出る他のお客さんに紛れてそそくさと店を出て行った。あ、料金は?
「別にいいよ。これで変に絡んでこなけりゃ」
ジェフはそう言ったけれど、どうにも不安が拭えない。だってあいつ、店を出る直前に小さく呟いたのだ。吸血姫の私にはバッチリ聞こえた。
「このままでは終わらせんぞ」
って。
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