第56話 ボーダーラインは華麗に跳び越える
「ああああああ……」
ベッドの上でライラックさんが頭を抱えて悶えている。顔が真っ赤で可愛らしい。
「どうしてマイちゃんは、そんなに落ち着いているの?」
「えっと、まあ……慣れ?」
ジロリと睨まれたけれど全然怖くない。むしろ可愛い。こんな顔をするんだなあ、と微笑ましくすらあるね。
ライラックさんがなにを悶えているのかといえば……ちょっとばかしブレーキが壊れたからだ。
私の胸で泣いたあと、母を思い出すって言ったんだよね。小さいときに抱きしめてもらったことを思い出したらしい。
この時の私は、ライラックさんを無性に慰め&甘やかしたくて仕方なかったので、ちょっとばかし悪ノリしてしまった。お母さんに甘えていいんですよーって、ライラックさんを子供扱いしてみたのだ。怒るかと思ったけれど、思ったより心が弱っていたのか、それとも懐かしさから童心に帰ってしまったのか、ライラックさんがさらに甘えてきたので、そのまま……えっと、まあ、なんです? ボーダーを世界記録レベルで跳び越えてしまいましてね。ははは。
まあ、イチャイチャしている時はお互いに変なスイッチが入っていたので気にならなかったんだけど、落ち着いてきて、ライラックさんが思い出し悶えをしているわけだよ。私はもう服を着たのに、ライラックさんはまだ悶々としているようだ。
しかしライラックさんの身体は、ヨナとはまた違っげふんげふん。
「慣れって……マイちゃんって、もしかしなくても……女性が好き?」
「男が嫌いですっ」
山賊たちの姿が脳裏をよぎり、つい口調がキツくなってしまった。男性恐怖症とまではいかないけれど、異性に恋をすることはないだろうなあ。
「……ごめんなさい、変なことを訊いたわね」
『女性が好き』ではなく『男が嫌い』。この言い回しからなにか察したのか、ライラックさんが目を伏せた。言葉遣いが女性のそれになっているのに気づいているだろうか。ああ、私の前では性別を隠す必要がないと思っているんだろうな。
ただ、このままだとヨナも一緒の時に素が出る可能性もある。それは良くない……よねえ。
「謝ることはないですよ。ああ、そうだ、ライラックさん、ヨナにも本当の性別を教えてもらっていいですか?」
「ヨナちゃんに? ……ああ、そうね、一緒に行動してるものね」
「代わりに、と言ってはなんですけど、神様からもらった力、もうひとつお見せしますよ」
ノックの音がする。この部屋じゃない。【マイホーム】内にいる者がドアをノックすると頭の中に響くのだ。そうしないと、【マイホーム】が解除されている時に外に出れないしね。
ライラックさんが頷いたのを確認してから、【マイホーム】を壁に設置する。当たり前だけどライラックさんは目を丸くした。
ドアを開けると、寝間着姿のヨナが頼りない足どりで出てきて抱きついてきた。
ぎゅううううっ!
うん、痛い痛い。
「ううっ、マイさまぁ……」
「うん、どうしたの?」
「なかなか帰ってきてくださらないからぁ」
ああ、そういえばギルドの用が済んだらすぐ帰るつもりだったんだ。ライラックさんとイチャ……もとい、慰めてたから予定より遅くなってしまったんだ。
初めての女の子の日で心細かったんだな。ごめんよ。
胸に顔をうずめるヨナをナデナデしてあげる。嬉しそうに狐耳がピコピコと動く。うん、可愛い。
その狐耳が突然、硬直した。ゆっくりと顔を上げたヨナが、スンスンと鼻を鳴らす。
「……マイ様から、ライラックさんの匂いがします」
「え? ああ、まあ、ね」
そう言って視線を動かすと、追うように視線を動かしてヨナは、そこで初めて自分がいる場所を認識した。視線の先にはベッドの上のライラックさん。
イチャイチャしてわかったんだけど、ライラックさんが室内でソフトレザーを着ていた理由は単純だった。男装のため、サラシを巻いている時間が無かったからだった。なので今は、形の良い胸がこんにちわしている。
「……え?」
「えっと、ヨナちゃん……こんにちわ?」
慌てて胸を隠すライラックさん。だけど遅い。
ヨナの悲鳴が室内に響き渡った。
「はあ……、まさか、こんな空間を利用できるなんてね」
見せると言ったんだから、ライラックさんを【マイホーム】にご招待。ちなみにドアは開けておく。ライラックさんに来客がないとも限らないからね。
というか、ヨナの悲鳴で従業員さんがすっ飛んできたし。なんとかごまかして下がってもらったけど、様子を見に来られると厄介だ。
こまめに増改築を繰り返した【マイホーム】内は、それなりに部屋も増えている。一応、私とヨナの部屋もあるけど、ヨナは自分の部屋で寝たことはない。甘えん坊さんめ。
形だけ作っておいた応接室にライラックさんを待たせ、ヨナの下着を代えて戻ってくると、ライラックさんは感嘆の声とともに、おのぼりさんよろしくキョロキョロしていた。
「ひょっとして、すべての宿屋に伝令が走ってもマイちゃんたちが遅れたのって────」
「ええ、まあ、そういうことです」
苦笑して返すと、ライラックさんも笑った。
「お金のかからない、こんな快適な場所を自由に用意できるなら、確かに宿には泊まらないわよねえ」
納得しているライラックさんの向かいの席に座る。ちなみにヨナは、さっきから腰のあたりにしがみついて離れてくれない。
ぎゅううううっ!
だから痛い痛い。
「……まさかライラックさんが女性だったなんて」
「ごめんなさい。色々あって、ね」
正体を隠すために男のフリをしていたんだから言えるはずもない。それはヨナもわかってるはずだ。まあ、素敵な男性と思っていたら女性でした、となればショックではあるだろうけどさ。
だからだろうか、ヨナが軽くライラックさんを睨んでいるような?
「うー」
「そんな顔しないで。マイちゃんを盗ったりしないから」
え? どういうこと?
視線で問うと、抱きつく腕に力を入れたヨナが泣きそうな顔になった。
「マイ様……、私、いらない子ですか?」
「そんなわけないじゃない」
どうしてそういう発想になるん!?
そういえば、ライラックさんが私を盗る気はないとかなんとか……。まさか、私がライラックさんとイチャコラしたから、ライラックさんに乗り換えるとか考えている? それこそ、まさかなんだけど。
まあ、ライラックさんはライラックさんでヨナとはまた違った反応だったから、機会があれば、またイチャイチャしたいと思わなくもないんだけど……って、浮気言うな!
ともかく、不安を隠さないヨナを安心させてあげないと。優しく頭を撫でてあげる。
「奴隷であろうがなかろうが、ヨナを手放す気はないよ。だから、安心してほしいな」
「……ん」
小さく頷いたヨナは、しかしまだ不安なようで、目を閉じて顎を上げた。ライラックさんの前だというのに。……いや、対抗心からか? 可愛いやつめ。
優しく口づけしてあげると、ライラックさんが息を呑む音が聞えた。あまり長くキスしてるとヨナのスイッチが入っちゃうから、適当に切り上げる。ヨナは少し不満そうだったけど、しがみつく腕の力は弱くなった気がする。
ライラックさんはといえば、少し困ったように、だけど小さく微笑んでこちらを見ていた。だけど、なんだろうか、私とヨナじゃなくて、どこか遠い、別のなにかを見ているような気がする。
「どうかしましたか?」
「ああ、ごめんなさい。その……少し、昔を思い出してた」
そう言うライラックさんは、少し悲しそうだった。思い出したのが恋人なのか、それとも守れなかった人なのか、それはわからなかった。
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