幻肢痛は傷害罪を構成するか
「傷害罪で起訴されることを望むと? 器物損壊ではなく?」
被害者の訴えに、この事件の担当刑事である桜木の声色には驚きが混じった。だが、その声を聞いてもなお、被害者は主張を変えなかった。
「まず、暴行罪と傷害罪の違いは知っているかい?」
「他人に暴力等を加え、怪我がなければ暴行罪。生理機能の障害、つまり怪我が発生したら傷害罪になります」
「よく知ってるね。それで本件について、我々としては、器物損壊罪で起訴するのが妥当だと考えている。だが、君は、器物損壊罪ではなく、暴行罪ですらなく、傷害罪で起訴すべきだと、そう主張するんだね」
「はい。私はあの加害者を傷害罪で裁いて欲しいのです」
質問の形を変えても、被害者の主張は揺らがなかった。桜木はもう一度調書に目を落とし、今回の事件の概要を確認した。
───5月1日、以前から職場で対立しあっていた加害者と被害者は口論となった。被害者は手を出さなかったが、激高した加害者は被害者に掴みかかり、被害者が右手の小指側につけていた補助指を引きちぎった。被害者に怪我はなかった。
───この補助指なるものは、以前から被害者が開発・実証実験を行っていた小型機械。クリップ状の付け根で右手小指の横に取りつけることで周囲の筋肉の動きを読み取り、まるで「6本目の指」のように自由に動かすことが可能となる。
桜木は、改めて調書を確認したが、やはり器物損壊が妥当な線だと感じた。判例では、暴力を受けた後のPTSDを傷害罪として認定した例もあるが、今回の事件でそれが認められるようには見えなかった。
「加害者を恨む気持ちは分かるけど、事件の性質上、やはり器物損壊の線が妥当なんじゃないだろうか」
なるべく柔和な顔を作り、桜木は被害者をなだめにかかった。だが、反対に被害者は質問を投げかけてきた。
「もし親指を引き抜かれたら、痛みを感じますよね? でも刑事さん、その後に襲ってくるものって何か分かりますか?」
「………SFの話かな? 私にはちょっと分からないね」
「幻肢痛ですよ。人間の脳が、指がなくなったことを理解できず、机なんかにぶつかった時に無いはずの指が痛むんです」
「………それが今回の事件とどう関係があるのかな?」
「今でも痛むんです。壊された指が」
桜木は思わず息を呑んだ。被害者の主張の理由を理解したからだ。
「そうです。実証実験のため、私は三年間ずっと補助指をつけっぱなしにしていました。恐らく私の脳は、私が6本指を持っていると思い込んでいるのです。だから───壊された六本目の指の幻肢痛が今もなお続いているのです」
被害者はまるで預言者の託宣ように言葉を続けた。
「将来、人類が補助翼の開発に成功した時───それを壊された者は翼の幻肢痛に悩まされるのかも知れません。身体機能が拡張するほど、痛みもまた拡張されていくのでしょう。これは、生理機能に対する明確な障害です」
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