第26話 過保護な神様降臨
奏の身体から力が抜けた。背後にいたスリーはそのことにすぐさま気づき慌てる。奏の顔には血の気がなく蒼白だ。意識はあるようだったが、息ができないのか苦しそうに手で首元を掻き毟っている。
「カナデ様の様子が……」
「どうしたんだ?」
スリーが気づくと同時にゼクスも気づいたようだ。
「息ができないのか!?」
「カナデ様!」
二人の呼びかけに奏が答えられるはずもなく、ヒューヒューと喘鳴が聞こえるだけだ。
スリーは椅子から奏をおろして、体温すらなくした冷たい身体に熱を与えるように正面から抱き寄せた。苦しみに悶える奏を宥める。
「ゆっくりと息をして」
スリーの声が聞こえたのか、奏の呼吸はゆっくりとだが徐々に整っていく。顔色は悪いものの、息ができない苦しみから解放されたのか落ち着いている。
その時、奏の小さな声が聞こえた気がした。スリーは耳を傾けたが奏の言葉を拾うことはできなかった。
「彼女から答えは得られませんね。後日に機会を改めては?」
それまで沈黙を守っていた宰相の言葉にゼクスは眉を顰める。相手が弱っていようが容赦のない鬼宰相の言葉とは思えない。
それに機会を改めようが奏から得られる情報は少ないだろう。
新たな召喚が行われた今となっては、奏から情報を得られそうにないからと追及の手を緩める選択肢はない。
奏を守護する存在をそのままにしておくわけにはいかない。だからといって奏を責め立てればどうにかなるとも思えずゼクスは歯噛みする。
「逃げない」と言った奏の言葉は信じられた。言い逃れをしようとして言葉に詰まったわけではない。それは態度で分かったが、ゼクスの感じる焦燥が和らぐわけではなく、どうしても奏に怒りを覚えてしまう。
そうしたゼクスを鑑みて、宰相は「後日」と判断したのだろう。
ゼクスはいったん頭を冷やすべきかも知れないと考えを巡らしていたが、突如として部屋に現れた存在に破られる。
「呼ぶのが早すぎだぞ。ホームシックかよ?」
「イソラ? どうして……」
奏の目の前に一人の男がいた。男の名前を奏は呼んだ。この男が奏を守護する存在であるとゼクスは確信する。
ゼクスは冷静さを保ちながらも動揺は隠しきれなかった。男の存在感に圧倒され、額に汗が浮かぶ。
何故かは分からないが、近寄りがたく感じるのだ。どこといって特徴のない男だったが、見透かすように眇められた琥珀色の瞳にゼクスは威圧される。
「呼ばれたと思ったけどな。違ったか?」
男は首を捻って奏を見ている。奏は誰かを呼ぶ素振りさえ見せていない。それにも関わらず男はどこからともなく現れた。
「どうなっている? いつから番犬を飼うようになった?」
「え?」
「後ろにいるヤツだ。奏を守ろうって気概は認めてやってもいいけどな。相手を間違っている。躾はしっかりしておけよ」
男は、ピリピリとした空気を感じていないのか、今にも抜刀しそうなスリーさえ、意に介していないようだ。
目の前の奏しか目に入っていないのだ。
「俺の注意を忘れたな。せっかく余計なことに煩わされないようにしてやったのに台無しにするなよ。危ないヤツを近づかせてどうする」
「本当にイソラ?」
「おい。俺の話きけよ」
「イソラ!」
「なんで泣く!?」
奏が号泣した。驚いたスリーが奏を抱いた腕から力を抜くと、目の前の男に突進する。意表を突かれた男が驚きに目をむく。
「イソラ、イソラ、イソラ!」
「落ち着け! 泣くほど寂しかったのか?」
「ご、ごめっん。ばれ、ばれちゃ……、イ、ジョ、イゾラー!」
「まともに喋れてないぞ。鼻水でてる。ほら、これでかめ。チーンしろ」
抱き着かれた男は号泣している奏を甲斐甲斐しく世話する。子供をあやすように抱きしめて背中を優しく撫でている。
その様子を周りの男達は茫然と見ていた。黙って見ているほかなかったのだ。男の存在感は口を挟める隙など微塵も感じさせはしなかった。
「それにしても半年以上たっても細いままだな。ちゃんと食べているか?」
「だ、だべでる」
奏の顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。泣きながら必死に答えているが、言葉がおぼつかない。
「顔色も悪いぞ。睡眠は十分とれているか?」
「……」
「おい。ちょっとばかり元気になったからって夜更かしなんかしてみろ、悪いものがさらに悪くなるぞ」
「ぢ、ぢがうもん」
男に叱られて奏が落ち込んだ。
「じゃ、なんだ? 悩み事でもあるのか? ストレスが一番まずいだろうが!」
「だってシェリルが召喚されちゃった」
「は? シェリルって誰だよ?」
要領を得ない奏の言葉に男は一瞬考え込んだようだ。それからしばらく無言でどこか遠くを見ていたが、理解の表情を浮かべるとそれまで存在ごと消し去っていたゼクスに琥珀色の瞳を向ける。
「王が優秀すぎるといらんことをする馬鹿が湧いてくるってわけか。苦労を考えると仕方ないけどな。奏をあまりいじめてやるなよ。ゼクス王、聞きたいことがあるなら俺が聞くぞ?」
「あなたは一体……」
「ああ、神だ。奏の保護者みたいなものだな」
それまで状況が理解できていなかった神を名乗る男は、たった一瞬のうちに国の事情を把握した。圧倒的な存在感の理由も頷ける。
あっさりと答えた神にゼクスは驚きよりむしろ興味を覚える。
神の存在は公ではないが知られていた。
召喚を実行するに際して王族に伝わる口伝だけでは心もとなく、ゼクスはいろんな方面から召喚に関する資料を集めていた。
その中には神を匂わす記述も数多く存在していて、召喚はその神の力によるものであることが容易に想像できた。
奏が神によって守られていたなら納得できるというものだ。
「奏を何故こちらへ?」
ゼクスの問いに髪を名乗る男は奏を驚きの表情で見遣る。
「なんだ。まだ言っていないのか?」
「だって言えないでしょ」
神を名乗る男は苦笑した。「言えない」という奏に代わってゼクスに理由を告げる。
「奏は死にかけていたから、命を繋ぐために世界を渡らせた」
「そういう事情なら隠す必要はなかったのでは?」
「召喚はそう何度もやり直しはできないはずだ」
「……」
ゼクスは言葉を詰まらせた。
確かに召喚には多くの手順があり、その中でも特にゼクスの負担は大きく、命を削らなければならず、事情を知っていたとしても受け入れることはできなかった。
「国を滅ぼすわけにはいかない。あなたはそれを分かっていてカナデを送ったのか」
「気休めにもならんと思うが、俺の見立てじゃ、国が滅ぶ未来は何世代も先のことだ」
「未来だと!? 危機的状況を前によくもそんなことが言える!」
何世代も先どころか、明日にでも国が滅ばないとも限らない。それでも打てる手がほとんどない状況で、奏を道具としてではなく、人として扱うために尽力してきた。どうにかして最悪を回避しようと考えてきた。
それがすべて無駄だったとは。気休めの未来などに意味はない。
「どうやら俺の力が余計な事態を招いてしまったようだな。それについては『悪かった』としか言いようがない」
ゼクスが憂える事態は、奏を生かすことを最重要とする神にとっては些末なことなのだろう。
その結果、事態を悪化させたという。今さら謝罪などされてもゼクスは納得できかねた。
「カナデ一人のために国が滅びてもいいというのか!」
「奏の命はそんなに軽いか?」
「シェリルが召喚された今となっては軽いな」
ゼクスは答えた。神の問いに対する答えは奏にとっては辛いものだろう。
「生贄にするか?」
「俺がどう動こうが、近いうちにそうせざるを得ない状況になる」
それを回避するために動いていたが、もはや説得するだけの材料がない。奏を犠牲にすればいいと思えないからこそ、強行しようとする貴族たちを黙らせてきたが、それも抑えてはいられそうにない。
シェリルの存在は保険となってしまった。二人の生贄の存在は一度失敗したら後がないという枷を取り払ってしまった。
「二人いるなら一人をすぐに生贄とするべき」という声は日に日に大きくなっていた。
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