第31話 阿蘇開闢

 午後一時、予約投稿に従って一編の詩が投稿され、一本の道に車という血液が流れた。

 それを確かめるのは十五分ほど未来を生きるデジタル時計のみである。


あにさん、それで開通には間に合いそうなんですか」

「迷わなければ、多分。地図の上だとそんなに遠くないから大丈夫だと思いたいんだが、昨日の例もあるからなぁ。まあ、何とかなるだろう」


 緑のコンビニで道を確かめてから、再び緑の山野を駆ける。

 本来であれば、阿蘇大橋を通ってそのまま北側へ抜けることもできたのだが、叶わぬため草千里浜栃木線を迂回する。

 然程の距離ではないものの、この日ばかりはどのような混雑の様を見せるか予期できぬため、ハンドルを握る手に自然と汗が滲んだ。


 それでも、河陰阿蘇線に差し掛かってから東海大学は阿蘇校舎の前で黙祷を捧げるのは欠かせなかった。

 熊本地震にて被災したのは校舎以上に宿舎であり、暮らしていた学生が建物の下敷きとなって命を落とした。

 その様を避難先の長崎で見た時には痛ましさに胸を突き上げるものがあったが、こうして彼らが青春を捧げようとした地に改めて立つと、じんわりと広がっていくものを感じる。

 鬱蒼と茂る青草は変わらないことだろう。


あにさん、大丈夫ですか」

「ああ、そろそろ行こうか」


 デミオの心細げな声を精一杯の笑顔で返してから、私は針路を北北西にある国道五七号線へ向けた。


 「たこ焼き大阪蜂来饅頭」さんの近くで止められた私達は、そこで二〇分ほどを静かに過ごした。

 車内のあり合わせの品でビデオカメラを据え付け、今か今かと開通の時を待つ。

 その時、向こうから一組の男性が大きな段ボールと共に、やってくるではないか。


「はい、こちら開通の記念品です」

「あ、は、ありがとうございます」


 急な出来事につるりと滑るような挨拶をした私にデミオがおかしそうに笑う。

 ハンドルを一つ小突いてから私は中を改めることとした。


あにさん、何が入ってるんですか」

「ああ、通行手形とクリアファイルに、入浴剤が入ってるな」

「良いんじゃないんですか、兄さん。阿蘇が恋しくなったら家でも楽しめますよ」

「恋しい時期は忙しいから、シャワーばかりになるんだけどな」


 一人暮らしの悲哀を笑っていると、ヘリコプターの轟音がそれをかき消すように過ぎていく。

 誘導の方が道路中央に表れ、いよいよその時となった。


「まるで、競馬の出走のような気分だな」

「ダメですよ、無理して飛ばしちゃ」

「大丈夫、そんなもったいないことしないさ。四年半待ちわびた道、だからな」


 緩やかに駆けだした私達は、左手にロードバイクの方々を見送り、一度止まってから再び散歩のように進んでいく。

 並んだテレビカメラの兄弟に笑顔を振り撒き、沿道で旗振る方々に首を垂れる。

 これが、開闢というものだ。


「走ってて、すごく気持ちがいいですね。こう歓迎されてるっていうのが、分かるって言いますか」

「そうだな、アイドルにでもなった気分だな」

「その歳と顔でアイドルはちょっと……」


 笑いながら、私達は下り坂へと吸い込まれていく。

 立ち塞がる稜線が手を振るように明るく、それにつられた私達も青空を仰ぐ。


「橋です、橋ですよ、あにさん」

「そうだな……って、向こうはバイクの群れがすごいな。これこそまさに馬比べだ」

「バイクもいいんじゃないんですか、風と一体になる感じで」

「そりゃそうだが、こっちはもっとゆっくり行くさ。ほら見ろ、秋が濃いぞ」


 鼻歌交じりのデミオが歓声を上げる。

 高い空を半ば覆う白雲が、その輪郭を明らかにしている。

 窓から吹き込んでくる風が何とも心地よい。


「あ、テントが並んでますよ、あにさん」

「ああ、開通の式典があったんだろうな、あそこで」

「行かなくてよかったんですか?」

「なあに、こうやって実際に走った方が私らしいさ」


 作業服の方々が陽光に映えて輝く。

 閉ざされた道に抗い、見えぬところで絶えず闘い続けてきたその姿は実に美しい。

 その向こうでは新阿蘇大橋がその完成を待ち、ここまで槌音が聞こえるような錯覚に陥る。


「どぅおおお、凄まじい大渋滞」

「わー、すごいことになってますねぇ、あにさん」


 駆け抜けて後、対向車線の車列に度肝を抜かれる。

 これが人々の想いなのかという感嘆は、やがて二キロほどを過ぎて見せた尾の果てに私の目頭を熱くした。


 喜びを 車列に変えて 幾千里 知らずや阿蘇は 秋晴れの青


「短い、本当に短い道でしたね」

「ああ、あっという間だったな」


 興奮冷めやらぬというのはこのことを言うのだろう。

 Uターンされることが無くなったスタンドも、熱気に満ち満ちていた。

 それを確かめられただけで十分と思っていたのだが、左手にナフコを認めてから、私は自分の強欲に一つ笑ってしまった。


「それであにさん、これからそのまま戻るんですか?」

「いや、折角だ。このまま北側普及道路も走ってしまおう」

「もう一泊するおつもりで?」

「いやいや、今日は走り回るだけさ、童心に戻ってな」


 道の駅大津を前に、できた車列で一度息を呑む。

 しかし、不安に勝った好奇心は、デミオと共に大声で笑っていた。

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