1-2 さわやかな朝

 翌朝。幼稚舎の連中のはしゃぐ声が窓の外から聞こえる。鳥のさえずり、自転車のベル、車が走り抜ける音。真夏であれ朝はさわやかな空気が吹き抜けていたが、レオは便器を抱え込み嘔吐していた。度重なる嘔吐のせいで、便器の肌は彼の体温で温まっていた。


「あいつ、いつもこんなの食ってんのかよ」


 つぶやいたレオだが、すぐにまた嘔吐の波が襲ってきて、唾液を垂らした。

 レオは昨夜帰宅してからシャワーを浴びて、ベッドに横になったが、まったく眠気がやってこなかった。場所を変えて、洗濯物が積んであったソファに行ったり、はたまた床に寝転がったりしていた。そしていつの間にか、レオは床で目を覚ました。真夏の白い陽光が、昼が近いことを知らせていた。


 ぼんやりとして、欠伸をすると体がところどころ痛い。テーブルの上の紙袋を見つけてしまい、ハッと硬直する。一瞬、昨日の出来事が夢かと思ったが、それが紛れもない現実だと思い知らされた。


 レオは中身を必死に胃袋へ収め始めた。ケイトの食材は、フリーターのレオの収入では適わないものばかりだ。こんなものを残しておけば、彼と繋がりがあると知らせているようなものだった。

 食べ始めは美味しかったが、普段の食生活と違うためか、予想していたよりはるかに早い段階で、胃袋が音を上げ始めた。きっとストレスもあったのだろう。レオは食べきれなかった。かつてはよく食べるほうで、最近は食費を押さえていたため、さぞ腹いっぱい食えるだろうと思っていたのだが。

 

 トイレットペーパーで口を拭うと、レオはキッチンへ戻る。フルーツの皮と、空になった缶詰の残骸が広がっている。



 ブーッ、ブーッ



 心臓が跳ねた。着信音を鳴らしながら、残骸の中から姿を現す携帯を手に取る。相手は友人だ。

 レオは大きく息を吸い込む。


「はいどうも!」


 ドンッと隣から壁を叩かれる。うっかりした、このアパートは壁が薄いのだ。


『っ……おうおう、元気だな』

「すまんすまん」


 どうも、相手にも声量が大きすぎたらしい。口元に手のひらを被せ、レオは続ける。


「で、なんだ?」

『今日の待ち合わせだけど、他のやつも混ざっていいか?』


 レオはドキッとした、今の精神状態で普段通りに過ごせるとは思えない。


「あー……いいぜいいぜ、何人くらい?」

『一人だけ。こないだパークに呼んだ』

「ああ、把握した!」

『じゃあ一三○○な』

「イエッサー!」


 電話を切ると、レオは立ちくらみを起こす。テーブルに手を着いたがそれでも落ち着かず、その場に座り込んで呼吸を整えた。


 警察かと思った。だが、それなら直接インターホンを鳴らして任意同行を求める気がする。それに、死体を隠したのはつい昨日だから、発見されるには早すぎる。


 ケイトには、いつも通りに過ごせ、と言われた。本当はドタキャンしたかったが、毎日誰かしらと遊び歩いている自分がそんなことをしたら、怪しまれるやもしれない。


 ――――今の俺は、普段通りに見える?


 レオは洗面所に向かい、鏡を覗き込む。吐きすぎて白くなった顔が映る。桶に水をため、掬ってバシャバシャと顔に当てる。また鏡を見る。ほんのりと、色が戻った気がする。雫がまつ毛に乗っていて、顔じゅうの水滴は、顎から落ちて桶に波紋を広げる。陽光が反射して、レオの顔に揺らめいていた。


「イエーイ!」


 レオは鏡の自分に向かって笑い、ピースをする。

 

 ――――ぽちゃん――――


 揺らめく光を見ていると、急に虚しくなってきた。

 顔をタオルで拭き、部屋に戻ると、ソファに横になる。アラームをセットして、目を閉じた。

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