【U①-8】じんろう②

 周りには誰もいない。耳に障る踏切の音。かんかん、かんかん。


 もう3日も学校に行ってない。かんかん、かんかん。


 頭の中では、しっかりしないといけないって。かんかん、かんかん。


 そう思っているのに、それができない。かんかん、かんかん。


 9月の始まり。半袖のブラウスに汗ばむ身体。日差しがただ、気持ち悪い。かんかん、かんかん。


 このまま全部、終わりにしてしまいたい。かんからりんどう。


「……危ないよ?」


 コッコちゃんだった。

 泣きそうな顔をして、私をぎゅっと抱き寄せる。顔が近い。けたたましい音をたてて、目の前を電車が通り過ぎる。死が、後悔が、ぜんぶ通り過ぎていく。


 家の近くの駅から離れた踏切だった。いま現れましたとでも言うように、舗装されていない道路の感触がサンダルの下に感じられる。どうやってここまで来たのか、よく思い出せない。


 もっと、彼女の温度を感じたかった。

 そのまま私は、泣きながら彼女の唇にキスをした。


 頭がぼうっとしている。なにしてるんだろ、私。春にはあんなにイヤだったのに。しかもそれをダシにして、コッコちゃんを歌ってみたの動画投稿の世界に巻き込んだっていうのに。

 繋がってた二人の部分が、小さな音をたてて離れる。


「ねえ、私の家に行こ?……二人で、学校サボろ?」


 自分の声じゃないみたいだった。気持ち悪いくらい甘ったるくて、頭のネジが飛んじゃってるみたいで。ぐしゃぐしゃの涙声なのに。なぜか、どこか淫らで。貞操もなにもないみたいな。繋がっていたい気持ちを、そのまま吐いたような。そんな、ノイズ。

 ここ数日、水しか飲んでない。コッコちゃんを食べてしまいたかったんだろうか。そういう、キスだったんだろうか。


 分かってる。自暴自棄になってる。分かってるんだよ、そんなことは。でも、そうしないと、私…………

 涙でぼやけた視界。コッコちゃんの歪んだ輪郭から、歌うように声が届く。


「かわいいよ。いまにも壊れちゃいそう……。大丈夫だよ?……僕だけを、見ていればいいからね?」


 もう、そんな言葉も、深くは理解できない。

 コッコちゃんだけしか、私には、もう…………







 静かで。


 激しくて。


 こんなに暖かいのに。


 こんなに優しいのに。


 ただ悲しくて。


 辛くて。


 なのに。


 彼女を受け入れた。


 そんな時間だった。


 真っ白な時間。飽和した感覚。


 痛み。


 墜ちる、汗。


 すべてが一瞬のようで。


 永遠に終わらない孤独と。


 貪りあうような口づけと。


 埋まらない空っぽな私と。


 必死になって。


 もがいているような彼女と。


 確かめるように混ざりあう。


 それだけ。それだけだった。


「……キレイだ」


 下着を付けようとベッドから立ち上がった私の背中に、コッコちゃんがそう告げた。ベッドの下に落ちていた丸まったティッシュを、私はゴミ箱へ捨てる。

 私はもう、何も考えられなくて。

 早く服を着なきゃって、それだけ考えていた。


「…………放送部の、小林君だと思う。ツイッターで知ったんだけど、彼ってスマ動に動画をアップしててさ。しかも『アラスカ』さんをツイッターでフォローしてるんだよ」


 制服のブラウスを着ながら振り返る。そういえば彼は夏休みの前に、スマフェスに行くって昼の放送で言っていた。


「大丈夫だよ。僕が話をつけておくからさ。……ケイちゃんはなにも心配しなくていい」


 いつも通りの表情。いつも通りの声。私の部屋の窓から夕日が、寝そべって目を向ける彼女を照らす。


 半分だけ陽にあたって、ゆっくりと上半身を起こしたコッコちゃんの顔はすごく眩しい。もう、ただ美しくて、私は目を離せなくなってしまう。


 長い睫毛が瞬きをする。私が映っている瞳の端が潤んでいて、それがゆっくりと歪む。無駄のない頬は真っ白で、その純白が半身を輝かせている。

 その首筋には、まるで場違いみたいな私の唇の跡。胸の緩やかなふくらみには、私のタオルケットがだらしなく掛かっている。


 その逆側。その半身に、私は気がついてしまった。


 影。


 ただ真っ黒な、影だった。


「あぁ……、あぁ…………」


 気が付き、悟る私の声。情けない。情けない声が出た。でも、否定しようとすればするほど、私の勘が、それを全肯定する。


「どうしたの?もういっかい…………、する?」


 冗談のつもりだろうか。コッコちゃんの小さな顔が微笑む。きっと私が言葉を紡いだら、その表情は……


「ぜんぶ…………、ぜんぶ。……ぜんぶ、ぜんぶぜんぶ全部っ!…………コッコちゃんが、……やったのね?」


 歪む。見開かれる双眸。そして、上がっていく口元。


「そうだよ?」


 泣いているのは、私じゃなかった。

 嗤いながら、彼女の影に涙がつたっていく。


「だってさ。……こうでもしないと、……永遠に、僕は…………。と、届かないからっ。僕はっ、ケイちゃんを永遠に、う、失ってしまいそうで……、怖くて…………っ」


 そう。

 壊れていたのは、私じゃなかった。

 私と愛を交わした彼女だったのだ。


 優しいキスも、初めての痛みも、真っ白な感覚も、淫らな欲望も、すべてが、全部が、壊れた彼女に踊らされていただけ。


 なんて愚かな。なんて未熟で、なんて幼い、なんて考えなしで、恥知らずで、歪んでいて、それでいて無垢で真っ直ぐな思いなのだろう。


 そうなることが分かっていたみたいに、彼女はベッドを降りてジャージを身に着け始める。衣擦れの音だけが、部屋に聞こえていた。


「…………帰って」


「大丈夫。言われなくてもそうする。…………ごめん」


 部屋のドアが閉まる音が、本当にはるか遠くから聞こえた気がした。


 私はいつまでも、自分の部屋の真ん中で、立ち尽くしていた。




:参考音源「少女レイ」みきとP

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