【U①-2】つみ
これは、今よりちょっと昔の話。
性同一性障害はドラマなんかでも扱われることはあったけれど、まだまだ社会の認知度は低くて、LGBTっていう言葉もなかったし、どちらかというとレズビアンやゲイ、バイセクシャルなんて、お笑い番組で揶揄されたりネタにされたりして、ほとんど差別と言ってもいい嘲笑を受けていた頃のこと。
まあ、性同一性障害である当事者の僕にとっては、テレビで取り扱おうが
どちらかというと、変に騒いだりせずに放っておいてほしい。興味本位でスポットライトを無駄に浴びせたりすることなく、静かに過ごさせてほしい。さもそれが善意であるかのように社会啓発しているように見せて、新種の生き物を発見したみたいに紹介するのはやめてほしい。どうせ他人を完全に理解することなんて、人間にはできやしない。だって実の両親ですらそうなんだから。
ちなみにフォローするけど、お笑い番組は好きだ。芸人さんの自由に生きている感じは、いつ見ても素敵だと思う。最近の僕のオススメはすべらない話の……
……話を戻そう。
そういう意味では……、いや、お笑いの話じゃないよ?ジェンダーの話ね?
そういう意味では、僕が通っている進学校は比較的過ごしやすいと言える。
みんな自分の偏差値にしか興味がない。いや、言い方が悪いな。勉学に勤しむ真面目な学生が多いから、あまり他人に関心を持たない。
あれ、まだ言い方が良くないかもしれない。
まあ、いいや。
とにかく勉強ばかりで人付き合い自体があまりないから、僕の外側が女で、中身が男だろうとそれがバレることもなければ、進学校の生徒の偏差値競走と比べればミジンコの涙ほどのそんな些事は、話題にすらあがらない。ミジンコが泣くなんて聞いたこともないけど。
そもそも、クラスで友達と呼べる人は誰もいないし。
そんなだから、音楽室で僕が一人で下手くそなピアノを弾いてスマ動で聴いてる大好きな歌を唄っていたとしても誰も聞いちゃいないし、友達のいない僕には誰かに聞かれたとしても何の不利益もない。
「誰かと思った。大友さんじゃない」
そのハズだった。僕にとっての例外が、ひょっこり音楽室に顔を出すまでは。
「ちょっと意外。ピアノはアレだけど、すごく歌がうまいんだ?」
彼女は、
言葉にするのが難しい。
いや、単純なことなんだろう。言葉にすれば二文字ほどで済むくらいの一方的な感情。この感情を、彼女と共有できたらどんなに世界は素晴らしいものになるだろう、とか夢に見る、そういう類のやつだ。
男女に好かれる明るさと、クラスをまとめれる社交性の高さ。面白くもない他人の話をしっかりと真正面から聞いて、的確なアドバイスをたまにしたりして。それでいて絶対に前に出過ぎたり、相手を否定したりすることなく、少し下がった場所から見守っていてくれるような。
クラスメイトの誰とも話さない日もある僕なんかにはけっして真似できない。
僕にないものを全部持っている。友達も、他人からの信頼も、優しさも思いやりも、人間としての、正しさも。
最初は妬ましいとすら思っていた。どうしたら彼女のように、自然に他人と話すことができるだろう、なんて考えて、家の鏡の前とかお風呂に入っている時に彼女の真似なんかしてみたりして。
あんなことをしたのは小学校の時にテレビで観たカッコイイ俳優さんになりたくて、髪形を変えたり口癖を真似たりした時以来だった。そのせいでクラスで浮いちゃって、今に至ってるわけだけれど。
でも僕は彼女にはなれなくて。やっぱりクラスの誰とも、僕は話せなくて。
だってそうじゃんか?女の子の外見をしているのに中身は男だって隠して。そんなこと考えながらコミュニケーションなんか取れなくない?逆にそれをみんなに伝えるなんて、ただただ他人に混乱をプレゼントするようなものじゃない?
いや、他人と話せないっていう能力の低さを性の問題のせいにするのは良くないけどさ。
そうしていつしか、夢にまで彼女のことを見るようになった。
僕のすべてを受け入れて、僕と関係をもってくれる彼女を夜な夜な夢想してみたりして。
あ、そうか。僕は誰かと話したいわけじゃなかったんだ。
彼女のことが好きなんだ。
そう気がつくまで、僕はひとり自分の部屋で、彼女の物真似を続けていた。
気持ち悪い?
彼女は絶対にそんなことは言わない。僕にはそれが分かる。彼女と二言三言でも話をすれば、そうとう愚鈍な人じゃなきゃ誰でも分かるよ。
艶々した長い黒髪。細い首と、なで肩のライン。微笑むと出てくるえくぼ。小さな背丈は、クラスで並んだら真ん中より少し前くらい。彼氏はいるんだろうか。いたら嫌だな。今では夜にそんなことを考えて、悶々としたりする。でも本人はもちろんクラスの誰にも聞けなくて。いや、勇気を出して本人に聞いたら答えてくれそうだけれど、もし彼氏がいたら僕の心臓は止まってしまうかもしれないから。だから、聞けない。
目の前で僕を見下ろしている長いまつ毛が瞬きする。ふわり、と彼女の香りが僕の鼻孔まで届いた。
そのあたりまで確認して死んでしまいそうになったから、耐えられず僕は顔を背ける。立ち上がると、逆に僕が彼女を見下ろす形になる。目は絶対に合わせられないけれど。
「……………………」
あれ?どうやって人と話すんだっけ。こういう時って、なんて言えばいいんだろう。痛いくらいに耳が熱くなっているのがわかる。
「スマイル動画で流行ってる曲だよね、唄ってた曲って。前奏のピアノも、女の子二人のハモりも、その二人だけの愛を磁石に例えて表現する歌詞もぜんぶ好き」
二文字。
最後の二文字しか聞こえなかった。
僕の心臓が、ケンカした時に部屋のドアを叩く父親のノックぐらいドンドン鳴って、吐息の温度が上がるのがわかる。頭がぼぅっとして、まるで病気みたいに彼女のこと以外なにも考えられなくなる。
「……ん」
かわいい。かわいい声がした。それを僕の唇が飲み込んだ。いや、塞いだというか、なんというか。
え?
僕、いま、なにをした?
胸の鼓動と、熱に浮かされたみたいに何も考えられない僕の頭。
目を見開いて、僕を凝視する、彼女の瞳。
僕はやっと、大好きな女の子と目を合わせることができた。
いや……
いやいやいやいやいや!なにしてんだよっ!
僕と彼女は『ボカる1号』と『ボカる3号』じゃないだろ。
なんで……
なんでキスした、僕!?
眉根を少し寄せて、少し首を傾ける彼女。僕のそれと重なり離れた彼女の唇から、
「どういう……、どういう冗談?」
と、言葉が出てきた。
冗談にしたい。夢にしたい。なかったことにしたい!いや、なかったことにはできない。というか、なかったことにはしたくない。いや、したい。なかったことにしたい、と、したくない、の電気信号が脳内で激しく行き来している。
なにか言わなきゃいけないのに。自分でも身体が勝手にしたことだから、どんな理由も見つからない。言い訳も思いつかない。
喉からしぼり出すように僕の口は、
「あの、なんか我慢できなくて……」
とだけ言った。
それはそれは情けなくて男らしくない、今すぐ消えてしまいたいと願う僕がそのまま出できたかのような、か細い声だった。
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