【V①-1】Layla

 これは、今よりちょっと昔の話。


 スマートフォンやガラパゴスケータイなんて言葉は知名度があまりなくて、でも携帯電話はカメラの性能をどんどん上げていて、ワン切りとか、ショートメール、絵文字なんて言葉が世に浸透しきっていた頃のこと。


「それ、きみのオリジナル曲?」


 遠藤正行えんどうまさゆきがアパートの自室でギターを手に取る時にいつも思い出すのは、上京したての彼が冬の高架下で、いまと同じようにギターを弾き語っていた時のことだ。


 車のライトや、高架下の電灯、雲ひとつない夜闇のコントラストに、ほぅ、と白い吐息が彼女の口から霧散していく。

 ふと彼女と目が合いそうになって、正行はあわてて視線をギターへ逸らした。


「いいじゃん。才能あるじゃん」


 明らかに自分より年下の、都条例に違反してこんな時間に外出していそうな制服姿の女子高生にそんなことを言われても、嬉しくなるはずなんかないと思っていた。


 言われるまでは。


 かぁっと正行は顔が紅潮するのがわかった。冬の寒さで鋭敏になった感覚のせいで、余計なくらいに。


 感謝の気持ちを伝えたかった。でも、正行にはどうすればいいのか分からない。

 中学、高校の時だってバンド仲間以外には友達なんていなかったし、クラスで他人と話すことすら一週間に一度あるかないか。いじめられている時ですら抵抗もせずに黙ったままでやり過ごす。

 そんな人生を歩んできた彼にとって誰かに言葉を向かられた時の返答というのは、とてつもなくハードルが高い。ましてや相手は可愛い女の子だ。


 ごめんなさい。こういう時、どんな顔すればいいのか分からないの。


 中学生の時に再放送で見たアニメのヒロインの言葉が、頭の中でリフレインする。そのあと主人公はなんて言ってたか。


 高架の上をトラックが通り過ぎたのか、けたたましい音がトンネル内から響いてきた。


 演奏もせずにいつまでも黙っている正行に、少女が微かに首をかしげる。


 まずい、と正行は思う。今度は俺からなにか話さないと。でもなんて言ったらいいんだろう。困った。

 思考はその間を何度も往復して、遅々として前へ進むことはない。ギターを持ったまま立ち尽くしながら、正行は目を泳がせている。もう心が耐えられないから、その目は絶対に少女に合わせないことを心に誓って。


 なにもない正行から、なにかを察したかのように少女は頷いて、彼に笑顔を向ける。その眩しいくらいの表情を、正行は視界の端でとらえた。


「じゃあ、またね。いつかまた、さっきの曲聞かせてね?」


 ドン、と隣の部屋から拳を叩かれた音がして正行は我に返った。


 壁ドン、というとインターネット界隈では本来はこれのことなのだが、近頃は女性が壁を背にして、意中の異性が顔のすぐ傍あたりに手をドンと押し付けて顔を近付けられることを指すらしい。

 JKという言葉もそう。もともとはJ(常識的に)K(考えて)という意味の大型掲示板のネットスラングだったのに、ネットの海からざぶんと顔を出すとJ(女子)K(校生)という意味にすっかり変わってしまった。

 言葉というのは時代とともに移り変わるものだな、と勝手に納得して、お隣さんに配慮して正行はエレキギターに持ち変える。唄うのも今日はやめておくことにした。


 しばらくコードを抑えていた正行は、いつの間にか曲がクラプトンのレイラになっていることに気が付く。


 手をとめて、そのまま頭をガシガシと掻いた。


「はぁ。名前ぐらいさあ…………」


 フローリングの部屋で机を前にする正行の言葉は、空間に静かに消えた。あの日の彼女の吐息のように。

 名前ぐらい、聞いておけばよかった。今でもよく、バイトのない休みの日にはあの高架下で弾き語りをすることはあるけれど、あの少女とはそれっきり会えていない。そして、彼女のように自分を評価してくれる人間にも、それっきり会えてない。


 もう二度と、彼女に会えないのかもしれない。つまり、もう二度と、自分を評価してくれる人間は現れないんじゃないだろうか。


 そんな気が、今はしている。


 最近は、こんなふうに気持ちが落ち込みがちになってしまって、中学や高校の時にクラスでいじめられていたことや、バンドメンバーから爪弾きにされたことなんかがフラッシュバックしたりしてしまう。


 そんな思考が沈んでしまう癖が、正行には昔からあった。


 そうなってしまうと過去の羞恥や将来への不安から夜も眠れなくなって、バイト先で先輩に心配されたり、仕事をミスって職場の人に迷惑をかけてしまったりして。

 こんな孤独な街から、今すぐにでも逃げだしたくなったりする。実家が、両親や兄妹が恋しくなるのだけれど、地元には自分をいじめていた人間たちもいるわけで。

 世界に自分ひとりだけだったらどんなに楽だろう、なんて夢想したりしてしまう。でも、そうしたら自分の唄を聞いてくれる人も、誰ひとりいなくなってしまうわけで。


 そもそも、自分の曲にそんな価値があるのだろうか。あの子が言った才能ってやつが、俺にはあるのだろうか。

 なかったとしたら、俺がやっていることは、俺が生きていることは、まったくの無駄なんじゃないだろうか。


 そんな鬱屈とした思考の日々が続いてしまうものだから、最近の正行はそうならないために自分で予防策を編み出していた。


 ギターを置いて、イスから立ち上がる。フローリングがスルスルと音を立てた。テレビにもなる小さな液晶画面の下にあるパソコン本体の電源を入れる。インターネットを立ち上げ、検索サイトに『スマイル動画』と入力した。


 この『スマイル動画』というサイトはすごい。いろんな才能が、エンターテイメントが、笑いが集まっている。

 そりゃあ、ネットの無法地帯というだけあって、深夜アニメやバラエティ番組の無断転載とか、誰にも許可を得ていないであろうアーティストのミュージックビデオとかも探せば散見されてしまうのだけれど、それだけじゃない。


 楽器会社から出ているパソコンの人工歌唱ソフト『ボーカルさん』を使用したオリジナル楽曲の動画、それを『歌い手』と呼ばれる配信者が唄う『歌ってみた』動画、その『歌ってみた』を編集して組み合わせた『合唱』動画など、正行の興味をひくダイヤモンドの原石のような動画がたくさんある。

 そんな動画の数々を見て、正行は自分も音楽の道を進み続けることを再確認するのだった。


 最近は自分の分野外でもあるゲーム実況なんかも面白くて観ている。初投稿の動画が三日と経たずにすでに50万再生を突破している男女ペアの配信者『新選組』は、男が近藤勇、女が名刀虎徹を演じ、まるで夫婦漫才のような言葉の応酬で、奇抜な縛りプレイを行うレトロゲーム動画に花を添えている。

 ゲームプレイ自体も二人の息はぴったりで、少なからず編集はあるのだろうがテンポの良い場面転換をなしているのは、二人のゲームテクニックの上手さにも拠るところがあるのではないだろうか。


 ゲームの上手さといえば、おそらく自分よりひとまわりくらいは歳が上であろう男性の個人実況者『ムンクさん』もよく観ている。こちらは、ゲーム開始当初は弱いホラーゲームの主人公を周回プレイすることで得られる特典、謂うところの「強くてニューゲーム」を駆使してスタート時点からバッタバッタと敵をなぎ倒していくという「全然怖くないホラゲシリーズ」が面白い。少し鼻声の『ムンクさん』が、そのちょっと低くて平坦な声音で恐ろしい雰囲気を醸し出しているホラーゲームを難なく進める様子は、まさに全然恐怖が伝わってこない。そのミスマッチこそが再生数を伸ばしている所以だろう。


 そんな動画をパソコンで流しながら、正行は今日、電気街で購入したパソコンのソフトを袋から取り出した。


 人工歌唱ソフトの『ボーカルさん』のパッケージが正行を見返している。ポーズを決めるかわいい女性が描かれたそのキャラクターの名前は『ボカる1号』。

 ついに正行も、自分のオリジナル楽曲をこの『ボーカルさん』に唄わせて『スマイル動画』にアップロードすることを決めたのだった。


 あの子にまた自分の曲を聞いてもらえることを、心のどこかで願いながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る