2-3
あの日から思うと吐く息はまだ白くならないがもう冬なのだと夕方の空を見上げて志保は思った。十二月、今年最後のライブ。その前にリョウと会う約束をした。
「あっ、志保さん」
改札を通り抜けてリョウがやってきた。フード付きの黒いパーカーの上にうすみどりのMA-1を着ていた。
「あれからもう一ヶ月以上、経ったのですね。早いですね」
二人は駅近くにある喫茶店で開場時間がくるまでお互い好きなバンドで会話に花を咲かせた。この会話の中でリョウの年齢は二十四歳だと分かった。高校時代からライブに行くのが好きで最初はテレビでもよく見る有名なバンドのライブに行っていたようだが、小さなライブハウスでやるようなバンドのライブに行くようになったのは四年前からだという。自分の方が二つ年上だというのが少し意外だった。普段のやり取りがしっかりしているので勝手に歳上の人だと思っていたが実際、目の前にいる人をもう一度まじまじ見てみると、確かに学生特有のあどけなさがまだ残る。十月に会った時は途中までマスクをしていたし、興奮気味でよく顔を見れてなかった。
「そろそろ時間ですかね。あの、別のフォロワーさん達と合流していいですか?」
「はい、いいですよ」
と即答したものの内心、穏やかではなかった。そこまで社交的ではないリョウは大して親しくない、ましてや会ったこともない人が目の前に来られると引っ込みがちになってしまう、それはもうここまでの経験で分かっていた。そんなことは言えず早くも立ち上がって会計が済まされ、店を出る。明らかに心は動揺していた。
「あっ、向こうからここに来てくれるみたいです」
自分は志保のことだけを知っている、今から来る人物は自分のことは知らない、志保は全員知っている。明らかにこの状況で一番溶け込めないのは自分であった。まだもみじの時のようにツイッター上では繋がっているのなら良かったが今回は違うだろう。
これを機に仲良くなりませんか? とでも言えれば良いのであろうが、それができるならここまでこんな苦労はしていない。
リョウは咄嗟に、
「あの、ちょっと電話してきていいですか?」
「えっ、あっはい、どうぞ」
苦し紛れの一策、そう言ってその場を離れた。
男性と二人きりでお茶をした。ここまでくれば普通は付き合っても良いものだと、いやもう付き合っているんじゃないの? と誰もが思うが全然そんな雰囲気に、少なくとも向こうは微塵もこっちをそういう目で見ていないだろう、それは分かった。
共通の趣味がある、それだけで一気に親しくなれるのは間違いなし、それで相手は異性だったら、ちょっとくらいはそんな空気が流れてもいいのではないかと思ってしまうが忘れてはならないのはあくまでも関係性は互いに遠く離れた地に住んでいる赤の他人だ。同じ学校、職場で毎日のように顔を合わせているわけではない。会う頻度は数ヶ月に一回。しかもひと昔前であれば巡り会うことはないであろう二人、それを文明の利器によって繋がった、巡り会えた。親しくなれたようでまだまだ仲は浅いのだ、それを思い知ったかのようであった。
次に会えるのは、来年の三月。いっそのこと出会い系サイトで、婚活パーティで会えたらなと思うと……そんな事を考える自分に苦笑いした。ここから先へいくにはなかなか時間がかかりそうであった。
待ち合わせをしていた二人が来た。リョウはいない。考えてみればもしも自分が男の人といたらびっくりするだろうと今更ながら思った。もしも周りが私たちのことをそういう目で見ていて、リョウがそれを感じ取ったらはどう思うだろう、迷惑だと思ってしまったら終わりだ。いなくて良かったのかもしれない。
自分の数十メートル先に五十代くらいの女性と年齢不詳のロリータファッションを身にまとった女性が志保と話している。リョウは逆に自らを追い込んだ状況にしてしまったことに気がつく。
ここから「お待たせ!』と声をかけても、二人は「誰あの人?」と思うだろう。志保はフォローしてくれるだろうか。そんなんでグズグズしていると、三人は移動を始めた。助かったと思った、自分なんて置いてささっといなくなってくれたらいい。
腕時計を見る、あと二十分ほどで開場。今日の自分の整理番号はあまり良くない、時間を過ぎてから行っても充分に間に合う。リョウはしばらく周辺をあてもなくブラブラすることにした。
スタッフが拡声器を使って番号を順番に言っていく、まだ自分の番号は呼ばれそうにない。そこに志保を発見した。今なら一人だ、チャンスと言わんばかりに狙い定めるように声をかけた。
「すみません、急にいなくなってしまって」
「あっ、リョウさん。こちらこそごめんなさい、先に行ってしまって」
合流した二人の女性は最前を充分に狙える良い番号であったため一足先に入ってしまったと志保は言う。リョウと志保の番号はわりと近かったため同じ待機場所で待つことにした。
「あっ、志保ちゃん、やっほ〜」
また誰か見知らぬ女性が志保に話しかけてきた。今度は背が高く、ベージュのコートに黒いタイツの上に黒のタイトスカートを履いている美人と言うにふさわしい女性であった。
「あっ絢香さ〜ん、やっと来た〜」
忙しい人だ、リョウは率直にそう思った。今日一日で志保は何人と会っているのだろう。自分にはできない芸当であった。五分ほど二人は話し込む、番号が呼ばれるまでここに居ていい、そう言い聞かせて二人の会話を聞くのではなく、眺めていた。
「あっ、ちょっと私に会いたいっていう方がいるから、会ってくるね」
そう言いながら志保はスマホの画面をじっと見ながら列の後ろの方へ行ってしまった。なんとも気まずい空気を早くも察知した。リョウはどこか上の空を見ていたが、
「初めまして絢香と申します、志保ちゃんとはお知り合いなんですか?」
あやか、という女性の方から話しかけてくれた。
「はい、そうです。初めまして、リョウと申します」
「リョウさん……もしかしてこの方ですか?」
そう言いながら絢香はiPhoneに映るツイッターの画面を見せてくれた。そこには確かに自分のアカウントと数時間前のツイートが表示されていた。絢香のタイムラインにも流れてくるのはフォローしている誰かがいいねしたツイートが表示される仕様だからであろう。この場合はもちろん志保だ。自分のツイートを他人が使うスマホ画面で見るのは初めてであったので、こうして発信した内容が誰かに見られているのだと改めて実感した。
「はい、これが僕のアカウントですね」
「フォローしておきますね」
「ありがとうございます、では僕も」
笑顔で言われたので、こちらも迷うことなくフォローせざるを得なかった。思わぬ形でまだ一人繋がりができた。
「私、今日が初めてのライブなんですよ」
「あっそうなんですね。しかし志保さんは大変ですね、色んな人と会っているみたいですし」
「ライブを通して何十人って知り合いができたみたいですね」
助かった、向こうから話しかけてくれたらこっちもそれなりに対応できる。志保が戻って来るまで絢香と楽しく会話をした。
二人が話しをしている。自分がいない間にリョウと絢香はそれなりに仲良くなっていたようであった。
志保は透明で澄み切った水に、濁った茶色い水が侵食してきたかのような気持ちになった。
勇気を振り絞って私が声をかけた人……瞬く間にそれは漆黒の色に染まろうとした時、我に返った。
リョウを自分が築き上げてきた関係の中に入れて馴染むのはいい事のはずだと。
そう、それが一番無難な道であった。今まで通りにライブに行って、みんなと楽しくお喋りをする、それが。
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