第21話:脱兎

 ノーマはそのまま手近な男の腹部に、風の靴マギアで強化された脚力で、思い切り蹴り飛ばす。その蹴りは凄まじいもので、後ろにいた男達数名を巻き込んだ。

 一方、ノーマの後ろに居たフェイは、押さえていた手を離し、紅く輝く『炎焼』の義眼で男達の衣服を見やる。すると、その箇所から次々の火の手が上がり、男達は慌てふためく。

 一瞬にして出来上がった混沌の場カオス。ノーマは僅かに出来た合間を見つけ、フェイの手を取って、そこから素早く逃げる。


「ッだ、騙しやがったな、てめぇら!」

「あったり前! フェイさん、足に意識を集中。纏う風の強弱の付け方は、強く弱くって頭の中で考えたら、ちゃんとそれが出来ますから!」

「は、はい!」

「よし、行きますよ!」


 ノーマはそう言うと同時に、強く路面を蹴って跳ぶ。それに少し遅れる形で、フェイも跳んだ。慣れていないせいか、念じる強さが強すぎたようで、天井にぶつかる勢いで跳躍してしまう。それをノーマが強く手を引いて、天井に頭をぶつけるということは回避。そして、男達が降りて来た階段まで一足飛びで到着し、一気に二人で駆け上がる。


「ッ追え! 最悪、殺しても構わない!」

「うわ、物騒なこと言ってる。急ぎましょ、フェイさん!」

「は、はひぃ!」


 ノーマとフェイはぴょんぴょんと二段飛ばしで階段を上り切り、フェイが上がり切った瞬間に、扉を閉めて近くに置かれていた木箱で扉前を塞ぐ。すぐにどんどんと扉を叩く音が鳴るが、木箱によって塞がれているため、なかなか開きはしない。


「よし。簡単な封じ込めだけど、何もしないよりはマシ……なはずです。とにかく、出口探しましょ」

「は、はいっ」


 ノーマは、ゼェゼェと荒い息を吐くフェイの手を強く引きながら、周囲の様子を探る。

 かなり埃っぽい部屋だ。どうやら倉庫のような場所として使われているらしい。フェイとノーマの携帯品は、どこにも置かれていなかった。対抗手段になり得そうな道具も無い。

 高い位置には、換気用らしき窓が一つ付けられている。細身の二人なので、くぐって脱出することは可能だろうが、窓のところまで行くことそのものが難しい。二人で窓から出ることは容易ではないだろう。

 進める扉は二つ。一つは、フェイとノーマが上がって来た木箱で塞いだ扉。もう一つ、その正面に扉がある。先の安全性は保証出来ないが、他に道は無い。


「あそこに行くしかないですね」

「うん。……フェイさん、拙が先に行きます。後から着いてきて」

「それは、ノーマさんに危険が及ぶ可能性が高くなってしまうのでは」

「それは、拙が前だろうがフェイさんか前だろうが、どっちでも危険度は一緒ですよ。とにかく、急ぎましょ!」


 押し問答を半強制的に終えて。ノーマは、ばんと勢いよく扉を開ける。


「あ?」


 その先に居たのは、顔の厳つい男達十数名。牢の様子を見に来た男達より数人ほど多い人数が、思い思いの寛ぎ方をしていた。鼻につくのは煙草の匂い、酒のアルコール臭、紅茶の香り。カードゲームに興じていた者もいたようである。

 誰もが状況を飲み込めず。一瞬の静寂が、その場に流れた。


「………ほう。流石、魔術師。姑息な方法で抜け出したようだな」

「ええー、酷い言われよう。別に、姑息な手立てとかは使ってないですよ? そちらが勝手に鍵を開けてくださっただけです」


 ノーマは、フェイを背に隠しつつ、周囲の様子を見やる。

 部屋の構造は、先程の倉庫のような場所と似通った内装だ。ただし、窓の数や置かれている調度品が違い、こちらの方が生活感が溢れた場だ。ここで彼らは生活をしているのだろう。そうだとすれば、人数に対してかなり狭い場所である。

 逃げ道は、相手を倒さない限りはない。後ろからの追っ手も踏まえれば、脱出手段を考えている方が時間を喰う行為だ。


「……抜け出したのは、謝ります、ごめんなさい。ええと、拙の所属する夜警のリーダーのことが知りたいんですよね? ちゃんと教えるので、この後ろ人だけは見逃してもらえません?」

「ッちょ、ノーマさん!?」


 フェイが驚いた声を上げる。それに対して、ノーマは涼しい顔のまま、口を開いたリーダー格らしい男をじっと見つめた。


「……なんだ、恋人か?」

「いいえ。……拙、この人の護衛任務を任されてるんです。護衛すべき人を守る行為は当然でしょう? あれ? それも分からないんですかあ?」


 ノーマは語尾を上げながら、くすくすと笑う。それが癇に障ったのか、男達の内の一人が立ち上がり、腰に提げていたホルスターから拳銃を引き抜くと、ノーマの右肩を撃ち抜いた。

 ぱっと周辺に赤い飛沫が飛び、清潔なシャツにじわじわと染みが広がっていく。さっと顔色を青くするフェイ。しかし、ノーマは表情を崩すことなく、じいっと橙の瞳をリーダー格らしき男へ向け続ける。撃った男は、ぞっとした表情で「痛覚もないのか……」と呟く。

 そんな言葉も意に介さず、ノーマは口を動かした。


「……で、どうなんです? こちらの条件を飲んでもらえません?」

「………その男が、仲間を呼ぶ可能性もあるからな。逃すわけにはいかない。……牢の中へ連れ戻せ」


 くいっとリーダー格の男が顎先で指示すると、フェイとノーマの近くにいた男二人が彼らの元へ寄ってくる。

 フェイがゆっくりと左目から手を離そうとした時だった。


「ぐぎゃ」「があっ」「ぐがっ」「ひいぃっ!」


 二人が逃げて来た扉の方から、突如悲鳴と嗚咽、叫ぶ声が聞こえ出す。ばたばたと駆け上がってくる音を聞き取り、フェイとノーマは扉の前からずれる。その刹那。勢いよく扉が開かれ、そこから恐怖を顔に貼り付けた男達三人が、足をもつれさせながら駆け込んできた。

 その体は酷い有様。あちこちに血液が付着し、男の一人は腕がごっそりと無くなっている。


「な、なんだ、どうしたんだ!?」

「ば、ばけ、化けも、化け物が!」


 がちがちと歯を鳴らしながら、半狂乱になって喚く男。たったそれだけの言動で、どれほどの恐怖が彼の身を襲ったのか、ひしひしと伝わってくる。


「心外っすね。俺、普通の魔術師なんすけど」


 開かれた扉から、フェイとノーマの耳に聞き馴染んだ声が聞こえてきた。

 その声と共に現れたのは、片手に黒い刃のナイフを携えた青年——ヴァイオレット。

 彼は普段と変わらぬ、気怠そうな雰囲気のまま。しかし、その眠そうな紫の瞳に反して、手の内でくるくると弄ぶナイフの動きは疾い。

 場にいる全員の警戒心がヴァイオレットに集まる中、ノーマが「ヴィオくん」と名を呼ぶ。ちらりと、紫の両眼がノーマに向く。


「……ど、どうやってここに?」

「へ、そんなん、部屋の窓からっすけど。てか、どうしたんすか、その肩」

「あ、これ? その、つい煽っちゃって、それで撃たれちゃってさ」

「はァ、何やってんすか。阿呆なんです?」

「か、返す言葉もないです……」


 ノーマのしゅんとしょげた様子に、ヴァイオレットは軽く肩を竦めてから、未だ唖然とした顔をしている男達に目を向けた。


「ども、俺の仲間がお世話になったみたいで。ちな、そこの二人を捕まえた動機とか、教えてもらってもいいっすか?」

「そ、そんなもの、お前達の組織の壊滅の為だ。下っ端ばかり殺しても意味がないからな、上に座しているトップを誘き寄せるエサとして……」

「なるほど。じゃ、アンタらさっさとそこの扉から出た方がいいすよ。俺らのリーダー、今ここに向かってるらしいんで」


 ヴァイオレットの言葉に、全員の目が一斉に扉の方に動く。それと同時に、ヴァイオレットもまた行動を開始する。

 手の中で操っていたナイフを構えると、近くで立ち尽くしていた男の手首に、するりとナイフを滑らせた。途端、手と腕を繋ぐその部分がすとんと無くなり、ぼたりと手が床に落ちる。

 時間にして、数秒の早業。

 手を切り落とされた男は、ぽかんとした顔のまま肉の断片が見える己の腕を見つめ、それから大声で悲鳴を上げ始め、言語化出来ない言葉を喚き出す。

 その言葉をバックミュージックに、ヴァイオレットは抑揚の乏しい声で呟く。


「あー、言い忘れてたんすけど、ここにいる人間、一通りの殺しの許可は俺らのリーダーから頂いてるんで。そのつもりで、よろしくお願いしまーす」

「は、はァァ!? お、お前ら夜警じゃねぇのかよッ?!」

「……夜警って言っても、政府公認のちゃんとした組織じゃないすよ、俺ら。だから、仲間を傷付けたヤツがいるなら、魔術師も人間も関係なくぶっ殺します」


 言い終わるや否や、すっと鋭く冷える眼光。彼から滲み出る殺気に、場は完全に凍り付き、男達は扉の方へと視線を投げる。


「う、う、うわ、うわああああああッ!」


 とうとう耐え切れなくなったのか、男の一人が大声を上げながら、扉を開けて出て行った。それを皮切りに、次々と部屋の外へと出て行く。


「……あ、全員は逃がしてあげるとは言ってないっすよ?」


 ヴァイオレットの言葉と共に、突如一人の人間の首から血が噴き出す。


「はっ?!」


 上がる困惑の声、どよめき。その声が零れた時には、既に三人まで被害は及んでいた。目の前で倒れゆく仲間達を見て錯乱した様子の男が、懐に隠していた小型拳銃を手に取る。そして、喚き声を上げながら、フェイとノーマの方角めがけて発砲してきた。

 躱しきれない。

 ギュッと、思わずフェイは目を瞑る。しかし、フェイを襲ったのは身を穿たれる痛みではなく、何かが爆ぜる爆音とツンとした火薬の匂い。

 吹き荒れる爆風に、フェイとノーマは身を固くし、それが収まってから二人は目を開ける。

 目を開けた先。そこに立っていたのは、くすんだ緑色の外套をはためかせる青年。


「………エルム、さん?」


 エルムだった。

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