第4話:契約
顔が整っているためか、人を惹きつけるオーラを放っている。フェイはゴクリと唾を飲み込み、じっと紅い眼差しと視線を交わす。
男は、数秒ほどその時間を設けてから、チラと彼の目の前の空いたソファに視線を誘導した。
「ルグミアンからここまで、随分と長旅だったろう。まあ座ってくれ。紅茶は飲めるだろうか?」
「はい、大丈夫です。えと、失礼します」
「そう硬くならなくていい。ヨキ、紅茶と軽い茶菓子を頼む」
「はいはい」
ヨキはヒラヒラと男に手を振り、三人で入って来た扉とはまた別にあった扉を開け、出て行ってしまった。その扉が完全に閉まってから、シャルルはフェイが腰を下ろしたソファの肘掛けに座る。
「はぁ、ほんと……どうしてヨキちゃんに出迎えさせたのさ。危うく殺されそうになったんだけど、僕。今トリッシュとか、いないの?」
「あいつには、今日はエルムとレオンと共に任務に向かわせている。それに、あいつがお前に怒りを向けるのは当然だろう。サボってばっかで、ろくに仕事をしようとせんからだ。自業自得だ、甘んじて受けろ」
シャルルの泣き言をバッサリと一蹴し、男は改めてといった風にフェイの方へ向き直った。
「まずは軽く自己紹介から始めようか。俺は、リーンハルト・ヴィーツェル。この魔術管理機関<
「はい、フェイ・エインズリーです。あの、ここで何をすれば良いか分かってないんですけど、その、よろしくお願いします」
フェイの発言にリーンハルトは目を瞬かせ、それからじろりとシャルルを見た。彼は目を逸らし、ピュウピュウと口笛を吹いている。リーンハルトは溜息を吐き、ソファの背もたれにぽすりと体重を預けた。
「……君、難儀な友人を持ったな」
「へ? シャルルさんは良い人ですよ? 少し嘘吐きなだけで」
「……そこについては、少々議論の余地があるがまぁいい。それじゃあ、早速仕事の話をしようか」
す、とリーンハルトの目の色が変わり、フェイはゴクリと唾を飲み込む。
リーンハルトは己の服の懐へ手をやると、上着の裏ポケットに入れていたものを取り出し、フェイの目の前に置く。それは、一枚の
そこに写っているのは、くすんだ緑の外套のフードをすっぽりとかぶり、相貌のほとんどを覆い隠してしまっている青年。フェイと同い年くらいだろうか、拗ねたように尖らせている口元からは幼さを感じた。
「簡潔に。この男の先生になって貰えないだろうか」
「せ、先生、ですか? わ、私が?」
「あぁ」
リーンハルトは小さく頷き、写真の中の青年に視線を落とす。その目に浮かび上がった感情は、憂慮。
「こいつは、学ぶ機会を与えられずに育った人間なんだ。まあそういう話は、魔術師としては珍しいことではないが、夜警として働くにおいては欠点だ。相手のことが分からないということに繋がるからな」
「その意見には納得しますが、その……私である必要はないのでは? ここは都会ですし、彼に知識を授けるに相応しい相手はたくさん居そうですけど……」
「無論、君の言う通りそういった人間を頼るのは当然だ。だが、我々は魔術師。普通の人間を頼ることは出来ない」
分かるだろう、とリーンハルトに問われ、フェイは首肯を返した。
人とは異なる力を操ることの出来る魔術師は、一般市民にとっては怪物として恐れられる存在だ。過去には、魔女狩りと称される大迫害も起こっている。そうした歴史を経て、現在は法律によって魔術師は守られているのだが、深く根付いた意識は変わらない。都市部でも山村部でも、人間による魔術師差別や迫害は今なお起こっている問題だ。魔術師というだけで学校に入ることが出来なかったり、勤めることもままならなかったり……。人間を魔術師の教師になるよう頼むというのは、よほど差別意識の低い人間でないと不可能だろう。それを探す方が労力がかかる。
「では、貴方達が教えるというのは? 私、シャルルさんから教わったりすることもありましたけれど」
「そうしたいのも山々だが、我々の方は夜警の仕事が忙しくてな。あいつに師事する時間がない。手の空いている者もいるが、彼ら二人はこの間飲酒可能年齢になったばかりの子ども。自分の弟分に勉学を教わるのは、あいつのプライドに障るだろうと思ってな」
「ふむ。……他の魔術師の方では駄目なのですか?」
「……そうか。君は、夜警そのものをあまり知らないからな。……夜警は、このアルトロワに住まう魔術師の間ではこう呼ばれている」
──同族殺し。
リーンハルトの言葉の先を紡いだのは、紅茶を運んで来たヨキであった。彼はスタスタと近付き、リーンハルトとフェイの目の前に白いティーカップを、その隣に茶菓子としてフィナンシェを、それぞれ置いていく。
目を見開いて言葉を飲み込んでいるフェイへ、ヨキは更に言葉を重ねる。
「魔術師が魔術師を殺すんや。だから、同族殺しって罵られてんねん、俺ら」
「魔術師の起こす犯罪を止めるのに、手を抜いていてはこちらが殺されるからな。仕方ないことだ」
ありがとう、とヨキへ断りを入れてから、リーンハルトはティーカップを口に運び、中の紅茶を一口含んだ。口の中を湿らせてから、固まったままのフェイへ、改めて視線を投げかける。
「そういうわけでな。これで、君である必要があるということが分かってもらえるだろうか?」
フェイは、そっとシャルルへ目を動かす。未だ肘掛けに座ったままの彼と視線が合うと、彼はニタリと楽しげな笑みを向けてきた。
全て彼の手の内。彼から届いた手紙に素直に従った時点で、フェイはこの場所に留まる運命になっていたのである。
フェイはヨキの用意した紅茶を飲み、フィナンシェを一口齧る。柔らかな甘みが口の中に広がり、ふぅという吐息と共に消えていく。その所作で気をしっかり落ち着けてから、フェイはリーンハルトと視線を交わした。
「……ひと月ほど、様子を見させてください。私が良くても、相手の合う合わないというのがあると思いますし、逆もまた然りです。ひと月経っても継続できそうでしたら、そのままここでお世話になるという形でどうでしょう」
「……慎重な性格なんだな。分かった、それで構わない。それではフェイ、明日から我々の仲間としてよろしく頼む!」
すっとリーンハルトから差し出された手を、フェイはそろそろと遠慮がちに握った。リーンハルトはブンブンとそれを勢いよく振ってから、シャルルへ顔を向ける。
「シャルル、部屋は客間の方に通してやってくれ。まずはフェイ、今日の旅の疲れをしっかりと癒し、明日からの仕事に励んでくれたまえ」
「は、はい」
フェイはこくりと頷く。それからリーンハルトは、シャルルやヨキと軽く談笑をし始めた。フェイは黙々とフィナンシェを食べ、紅茶を飲んでいく。その味は、まったく分からなかった。
「それじゃ、僕が部屋に連れてくよ」
そう言われ、フェイは深く沈んでいた思考を呼び戻す。すっかりティーカップの中は空っぽで、フィナンシェは皿の上から消えていた。
「そ、そうですね。リーンハルトさん、ヨキさん、えと、これからよろしくお願いします」
フェイは頭を下げてから立ち上がる。リーンハルトは「そう畏まらなくていい」と口にし、ヨキは「ゆっくり休んでや」と労いの言葉を告げた。それらにまたフェイは一礼してから、シャルルと共に部屋を後にした。
バタンと厚い扉が閉じてから、フェイは歩き出していたシャルルの背に言葉を掛ける。
「……この話、先に手紙で伝えていたら絶対に私が断ると思ったから、書かなかったんですね。すぐに帰れない仕事だと言っていたら、私が断ると思ったから。……帰り道を分からなくしたのも、途中で逃げ出さないためでしょう?」
「うん、そうだよ。正解」
「……どうして私をここに、」
「──……フェイを、あそこから引っ張り出してやりたかっただけだよ」
シャルルの言葉に、フェイは眉を寄せた。
「──私は好きであそこにいるんです。それに、あの日のことは、気にしなくていいと私は」
「無理に決まってるだろ。君が良くても僕が許せない。……君がその目で僕を守ってくれた時から、僕は君を助ける権利がある。少なくとも、僕はそう思ってるから」
薄暗い廊下。フェイの片目に映るのは、シャルルの少し曲がった背。そこから感情は、全く読み取れなかった。
フェイがじいとシャルルの背を睨んでいると、その足がピタリと止まる。そして、平素と変わらぬ笑みでフェイを見て、部屋の扉を指差した。
「はい、ここ。フェイちゃんの部屋ね。ひと月のお試し期間後はどうなるか分かんないけど、その間はここは好きに使っていいから」
「分かりました。……明日から、私はどうすれば?」
「夜警は、言葉の通り日が落ちてからが仕事の時間だから、授業はそれ以外の時間でやるんじゃないかな。それまでは好きに過ごしてていいと思う。何か指示があれば、誰かがフェイちゃんに伝えに来ると思うし、特に入っちゃ駄目な部屋は……うん、個人部屋以外は大丈夫だと思うから」
「了解です。……えと、シャルルさん、おやすみなさい」
「ん、おやすー」
ヒラヒラとシャルルは手を振って、歩いて来た廊下を引き返して行く。その背が暗がりに消えてから、フェイは部屋の中へ入る。
扉脇の部屋のランプに火を灯し、薄明るくなった部屋をぐるりと見てから、「広い」とフェイの口から言葉が溢れる。
書き物用の机の横にトランクを置き、白灰のケープコートをコート掛けへ。軽く髪を払ってから、椅子に座った。途端、肩にどっと疲れが伸し掛かる。
フェイは窓を見た。その向こうに広がる煤煙と蒸気で覆われた世界を見つめ、長く息を吐き出す。
「うん、やれるだけのことを頑張るしか、ない」
己へ言い聞かせるように。フェイは呟いてから、椅子から立ち上がる。眠るためには身綺麗にせねば。
こうして、フェイのアルトロワでの生活はゆったりと幕を開けた。
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