第73話 先輩は可哀想な人


 宮園様と一緒に走るという目標を失った、だけど特に行きたい学校も無かったので、私は志望校を変える事なくそのまま受験した。


 あれから全然やる気が出なかったけど、私はギリギリで合格し、第一志望の城ヶ崎学園に入学した。



 そして、入学して暫く経ったある日、私は遂に見てしまった。


 杖をつき、ノロノロ歩く彼の、宮園先輩の変わり果てた姿を……。

 

 あれだけ輝いていたのに、今の彼の姿はあの走っていた頃とは比べ物ならないくらい色褪せ、同一人物とは思えない程に落ちぶれていた。


 悲しかった、そして可哀想だと思った。


 走れなくなったその身体よりも、宮園先輩の目を見て可哀想だって……私はそう思った。


 虚ろな目、死んだ魚の様な濁った目……あんなにキラキラと輝いていたのに。


「本当に……もう走れないんだ……」

 宮園先輩を見て、あんな姿になってしまった、輝きの失せた先輩を見て、改めてそう思った時、私は居ても立ってもいられなくなった。

 

 陸上はもうやらないって、この学校に入った時そう決めたのに、私はその足で陸上部の戸を叩いた。


 やる、やってやる! 先輩のあの走りを自分の物にする!

 私も光りたい、先輩のように輝きたい、あんな走りをしてみたい!


 そして、いつか宮園先輩に見て貰う、そして教えて貰うんだ。


 いつか振り向いて貰うんだ!


 宮園先輩に、よくやったねって言って貰うんだ!


 それが私の夢……今決めた!


 日本一の先輩に誉めて貰うのが、私の夢だ。


 あんなやる気の無い死人の様な先輩は見たく無い。

 私の走りで……先輩の目を覚ましてあげたい。


 先輩の代わりに私が走る!


 そう思い私は頑張った……必死に、あの走りを自分の物にするべく努力した。

 でも勝てなかった……1年では都の予選で落ち、2年では決勝でサッカー部のライバルに負けた。


 お情けで行った都大会では全く歯が立たずに予選落ち。


 宮園先輩の様に走っているのに……宮園先輩そっくりに走っているのに……私は、全然輝けなかった。


 そして何も出来ないまま、あっという間に2年の月日が流れた。


 宮園先輩は高等部に行ってしまった。

 私は諦めかけていた。振り向いて貰うなんて無理だって、そう思い始めていた。


 宮園先輩は相変わらず死んだ目をしていた。私もタイムが全く伸びず壁にぶち当たっていた。


 でもそんな時、お姉ちゃんから宮園先輩の話を聞く。

 

「……明日……宮園君が走るって」

 突然部屋に入って来るといつもの様にベッドに寝転ばず、お姉ちゃんは真剣な顔で私に向かってそう言った。


「え? な、何を言ってるの? お姉ちゃん」

 出来るわけが無い、走れる筈が無い。


「──それでも走るって……最後の走りを見て欲しいって、ふ、ふ……」

 お姉ちゃんは口を手で抑え、嗚咽を漏らす。


「そ、そうなんだ……」

 そのお姉ちゃん姿を見て私は全てを察した。

 

「うん、だから明日、灯も……見に」


「お、お姉ちゃん! わ、私にスターターをやらせて!」


「え?」


「お願いお姉ちゃん!」


「……そうね……じゃあ、灯に頼むわ」


「うん、ありがとう」



 そして私は先輩の最後の走りのスターターとして、スタートの合図を撃ち鳴らした。

 私の鳴らした音と共に先輩は見事なスタートを切った。

 まるで私にこうスタートするんだって、見せつける様に……。


 たった数歩の走りだったけど、先輩の走りは変わらず美しく、そして輝いていた。


 案の定先輩はまともに走れず何度も転んでは起き上がり、そしてまた走る。

 

 その姿を見て涙が溢れた。

 

 ちゃんと見なくちゃいけないのに、先輩の最後の走りを見届けなくちゃいけないのに、涙が溢れてしまう。


「ふえええええ、先輩……格好いいよおお」

 転んでも、転んでも先輩は立ち上がる、そして再び走り出す。

 全身血だらけ、傷だらけでも構わず走り出す。


 でも、そんな状態なのに、走りながら先輩は、笑っていた……転んでも、転んでも楽しそうに、笑っていた。

 

 ボロボロと涙がこぼれ落ちる……先輩の笑顔を見て私はその場で立ち尽くし、先輩が走り切るまで、ボロボロと泣いていた。


 格好いい……って、先輩は世界で一番格好いいって、心の底からそう思った。


 そんな先輩を見て私は決心した。

 諦められない……あの走りを、先輩の様に走りたいって、私はそう思い先輩に走りを見て欲しいと……お願いした。


◈◈◈


「全然駄目だね、それじゃ勝てない筈だ」


 私の走りは、そこの2年間の努力はその先輩の一言で水泡に帰する。

 なんだったんだ、先輩の走りを、背中を追うことが無駄だって事なの?


 私は先輩にそう言おうとした、でも……言えなかった。

 だって……先輩の目は……私を見る先輩の目は……あの頃の様に光輝いていたから。


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