第66話 思い出巡り


「よし! ちょっと散歩しよう?」

 夏樹は唐突に立ち上がると、笑いながら僕にそう言った。


「え? なに突然? まあ良いけど……」

 日曜日、勿論特に予定はない、今日は心配させてしまった夏樹と話す為に、ここに来たのだから。


 僕は夏樹にそう言われ、ベッドからゆっくりと立ち上がる。


「あははは、フラフラしてる~~」


「誰のせいだよ!」

 全く……夏樹のいつも通りのマイペースに調子が狂う。

 まあ、でも、それは今の僕にとって凄くありがたい事なんだけど。

 

 夏樹にいつもの様に支えて貰いながら、二人で家を出た。


 

「良い天気、どっか出掛ければ良かったかなぁ」

 空を見上げる夏樹に釣られ僕も一緒に見上げた。

 まだ入道雲は出ていないが、大きな雲がチラチラと見える。

 夏が近い……頬に当たる生ぬるい風と空を見てそう思った。


 もうすぐ梅雨が来てそして夏が来る。

 もう来ないと思っていた夏が、大好きだった夏が……また来る。



「で、どこ行くんだ?」


「ん? 散歩って言ったでしょ?」


「散歩ねえ」

 本当に近所を散歩するつもりなのか、夏樹は僕の腕を掴み誘導するかの様に歩いていく。

 

「あ、ほらほら、一の坂、競争しちゃう?」

 子供の頃、夏樹と僕と妹で何度も競争していた近所の坂。

 夏樹は僕の腕から離れはしゃぐ様に軽く走って坂を上がる。


「──嫌みか、一体何が目的なん?」

 

「あはは、そうだねえ、折角なんで思い出巡りでもってね?」


「思い出巡りって……」


「今のかーくんに、ちょっと過去を振り返って貰おうかなってね」


「……まあ、良いけど」

 夏樹との思い出……家の周囲にはそんな思い出が一杯に詰まっている。

 一の坂、二の坂……僕達は子供の頃に走り回っていた坂道、そして公園と、二人並んで歩いていく。

 色んな事を思い出しながら、恥ずかしい事も、楽しかった事も、嫌だった事も……。


「あ、ほらツツジ! 昔よく蜜吸ったよねえ」

 公園の花壇に咲くピンク色のツツジの花を夏樹は1本摘み取ると、花弁をネジ切り下から蜜を吸おうとする。

 

 そうそう、子供の頃夏樹が糖分補給だって言って、良く吸わされたよなあ……。


「あーーそう言えばさあ、ツツジって毒あるらしいよね」


「────ええええええ!」

 花を咥えていた夏樹は驚きの表情に変わった。

 頭は良いんだけど、勉強以外の知識は相変わらず。

 機械とかも苦手でスマホの設定とかも僕にやらせる程ポンコツな夏樹。

 いやあ、変わらないなあ……と僕は夏樹を見ながら苦笑する。


「レンゲツツジには毒があるって、見分けがつかないから吸わない方が良いらしいよ」


「えええええ! は、早く言ってよ!」

 そう言いながら慌てて花を吐き出す夏樹。


「今さら? そうかあ、僕は既に夏樹に殺されかけてたのか」

 

「ええええ?」


「今日もそうだしねえ」


「そ、そんな事ない!」

 慌てる夏樹がとても可笑しくて、そしてとても可愛くて……夏樹を見てそんな感情が僕の中で沸き上がる。

 そして、夏樹に対してそんな思いを抱く自分に少し驚きつつ、僕たちはその後も昔話をしながら、過去に浸りながら、ゆっくりと二人で近所を回り、思い出巡りを堪能した。


 

 そして夕方、笑顔の夏樹に見送られ、僕は夏樹の家を後にする。


 まだあの夏樹の言葉が耳に残っている。

 

『過去は消せない』……と。

 

 今日近所を回って改めて思った、思わされた。

 僕と夏樹は幼なじみ、物心ついた頃、いや、その前からずっと一緒だった。


 僕は妹同様に夏樹の事を全部知っている、知り尽くしていると、ずっと思っていた。


 でも、夏樹は他人なのだ……血の繋がっていない赤の他人。

 今日久しぶりに1日一緒にいて、新たな発見が多々あった。

 

 夏樹は妹と同じだと思っていた。家族だって……ずっと思っていた。



 僕は夏樹を追いかけたくて、夏樹の様に走りたくて陸上を始めた。

 あの飛ぶように走る姿はまさに理想の走りだった。


 夏樹に追い付きたい……ずっとそう思っていた。

 だから走れなくなった時、もう夏樹には追い付けないって……そう思ってしまった。

 でも僕は認めたく無かった……その事実を、走れないという事実から目を背けていた。


 そして多分夏樹は僕が追いかけている事を知っていたんだと思う。

 だから……陸上を辞めた。


 僕にわからせる為に、もう走れないって事を……もう追いかけられないって事を……。


 僕はそれを裏切られたって思ってた。

 夏樹がバスケに転向したのを見て、同情されたって思ってしまった。


 僕は一人ぼっちになってしまったって……そう思っていた。


 妹に裏切られ、夏樹に裏切られたって思い、僕は絶望してしまった。


 でも違ったんだ……夏樹は僕と一緒に歩いて行きたいってそう言った。

 

 そして妹や夏樹と一緒に歩いて来たこの十数年、結果この程度の事で壊れる事は無かった。


「ははは、情けない……」

 夏樹の家を外から眺め僕はそう呟いた。

 死ななくて良かった……本当に……。


 最初から夏樹に頼れば……なんて言ったら円に本気で殺されるかも知れないけど。


 でも、少なくとも……円が一緒に人生を歩いてくれると言われるよりも、夏樹に言われる方が信用出来てしまう。


 ただそれは恋愛感情とは別の物だとわかっている。


 少なくとも僕は、夏樹に恋愛感情を抱いていないってわかった。

 その言葉で、一緒に歩いて行きたいって言葉を聞いて……安心してしまったから……。

 


 僕は踵を返し自宅に向かう。

 といっても隣だけど。


 週末は夏樹のマッサージをするって約束をした。

 せめてこの距離は杖無しで歩いて見ようか……等と思いながらあっという間に到着してしまう距離に、自分の弱さを実感しながら、家の扉を開ける。


「お兄ちゃんお帰り~~」


「……いや、だから何で毎回玄関にいるんだよ?」

 靴か? 靴の中にGPSでも仕込んでるのか?


「ふふふ、それは秘密なのです!」

 ぼくに向かってドヤる妹……どうせご都合主義の理由だろ、若しくは神様がなんも考えていないとか……。


「ハイハイ、てか勉強は良いのか?」

 

「お兄ちゃんが夏樹さんとイチャイチャしている間に今日の分は終わらせたぞ」


「イチャイチャしてねえ」


「嘘だあ、ベッドでお兄ちゃんを夏樹さんが後ろから」


「う、うああああああああ!」


「お兄ちゃん受けだったのね」


「うぎゃあああああああああ!」


「エッチな事するならカーテン閉めた方が良いよ」


「うがああああああああ……」

 そうだった……夏樹の部屋は元僕の部屋から丸見えだった。

 っていうか、覗いてんじゃねえ!


「まさかねえ、お兄ちゃんとなっちゃんが、そんな仲だったなんてねえ」


「ち、違う! あ、あれは……そう、ぷ、プロレスごっこで」


「何そのベタな言い訳は、そうかあ、お兄ちゃん、なっちゃんと付き合うのかあ」


「いやいや付き合わないって」


「……は?」


「いや、だから……」


「うわ、さいてええ、キス迄して付き合わないとか」


「ぎゃああああああああ!」

 今日の事を……妹に全部見られていた……。

 だ、だからキスじゃねえ~~~!


「まあ……とりあえず、その辺も含めてじっくり話そうか、裸の付き合いって奴でね! お兄ちゃん!」

 妹はニヤリと笑いながら僕に向かってそう言った。

 ……そうだった……それがまだ残っていた。


 疲れる、あの顛末の後始末がこんなに大変だったなんて、自分のしでかした事ではあったが、僕はもう既に辟易していた。


 早く円に会えと、どこからかそんな声が聞こえてきていた。

 

 

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