第31話 ひょっとして、これって……デート?
そして僕達はまた少し歩き、雑踏を外れた先にある小さな喫茶店に入った。
古い喫茶店、平成、いや昭和を思わせる椅子やテーブルや調度品が揃う。
でも、決して古臭さを感じないあしらいに店主のセンスを感じ取れる。
そして入って直ぐチェーン店ではあり得ない程の強烈なコーヒーの香りが店内に漂っていた。
初老の店主と思わしき人物は、カウンター内で僕達を一瞥すると、軽く会釈だけした。
特に案内する様子はないので僕達は勝手に一番奥の席に座ると、程なくして、お冷やと古い手書きのメニューを持った店主が何も言わずにそっとテーブルの上に置いた。
そして、立ち去るでもなく、そのまま急かす様にテーブルの脇に立つ。
「えっと、じゃあ……アイスコーヒーで」
「じゃあ、私はホットで」
そう言ってメニューを渡すと店主は何も言わずにメニューを受け取り、立ち去っていく。
チェーン店ではあり得ないその態度に、僕と会長は顔を見合せお互い苦笑いをする。
でも、店内にはジャズが流れ雰囲気はとてもよく、ゆったりと時間が流れているような、そんな感覚になる。
僕達は何も喋らず、壁にかけられた竹の一輪挿しを眺め、そこに挿されている赤い実の付いた花を観賞し、年季の入ったテーブルの木目をそっと撫で、その喫茶店の雰囲気をゆっくりと堪能した。
暫くして店主が注文したコーヒーを運んでくる。
まずは香りを楽しみ、そしてブラックのまま一口飲む……「「美味しい」」
同時にそう声を出してしまい、顔を見合せ笑い合う。
そしてコーヒーを飲み少し落ち着いた所で、会長はさっきの続きとばかりに、僕に色々と質問を開始した。
「スパイクのピンは何ミリ使ってたの?」
「調子により変えてましたけど……基本は2段平行ピンの7mmですかね」
「1段ピンは使わない?」
「刺さる感覚が好きじゃないので」
「ニードルピンは?」
ニードルピンとはアンツーカー用と似た形状の先の尖ったピンで、アンツーカー用よりも短いピンの事、以前は禁止されていたが、数年前から解禁になった。
「あーー、あれって競技場によって禁止とかってあったから、面倒で使った事無いです、そもそも反発が無いですし」
基本ゴム製のオールウェザートラックは滑りにくい、なので無理やり刺して走るよりも、ゴムの反発を利用する方が良いって僕は思っているが、人によっては刺さった方が安心するという人もいる。
ちなみに僕の感想では2段ピンやツリーピン(クリスマスツリーの様な形状)は反発、1段ピンは刺さる感覚でさらに引っかかる感じもする。
ニードルピンは刺さって抵抗無く抜ける感覚だ。
あくまで感覚なので、実際にそうなっているかは走り方や人による。
「そっか、成る程」
だから会長も参考に聞いているのだろう。
当然会長だって色々試している筈。
でも、会長は答えを聞いて、感心そうに僕を見ている……。
僕はその会長の顔を見て、少し嬉しく、少し誇らしく思った。
「スタートの時は何を心がけてる?」
「フィニッシュのタイミングは?」
「練習で一番重要なのは?」
更に矢継ぎ早に質問してくる会長に僕は真摯に答えていく。
雰囲気の良い喫茶店、美味しいコーヒー、そして……久しぶりに陸上の話が出来て僕はとても嬉しい……と、この時はただただそう思い、楽しんでいた。
そのまま1時間以上の間、会長と僕はそこで陸上の話をした。
楽しい時間だった、でももしこれが現役の時だったらと……走っていた頃だったらと……僕はそう思い始めていた。
そして時間になったと会長は予約していた新宿の超有名ホテルの高級レストランに僕を連れて行く。
どうやらここが本来の目的らしい。
場違い感が半端無いけど個室に案内されたのが唯一の救いだった。
本当に、こういう所に連れてくるなら予め言って欲しい。
会長は良いけど僕はさすがに格好がヤバい。
まあ、一応目上の人に会うって事で元体育会系の性か、襟付きのシャツを着てきたのは幸いだった。
デニムにトレーナーとかなら入店拒否されたかも知れない。
チャイニーズレストランだったのでテーブルマナー等あまり気にする事無く料理を頬張る僕。
それでも会長の美しい所作で料理を食べる姿に育ちの違いを感じさせられる。
そしてある程度食した所で会長は遂に今日僕を呼び出した理由を話始めた。
「宮園君……ありがとう、今日はお礼を言いたかったの」
「お礼?」
「そう、この間貴方に指摘された事を修正して、走りを変えたら自己新が出たの! 貴方のおかげよ」
「……いえ、会長に力があっただけです……僕じゃなくてもきちんとした指導者がいれば……」
そう……そして今、学校に、陸部に指導者が居ないのは僕のせい。
「ううん、貴方のおかげ、だから……私の記録更新のお祝いをして欲しいなって……」
そう言うと会長はワイングラスを持ち、僕もグラスを会長のに近付け二人で乾杯した。
まあ、中身はワインではなくぶどうジュースだけど。
「ふふふ、ワインだったら良かったのにね、でも、ぶどうジュースって健康に良いんでしょ?」
「まあ、そうですけど、アンチエイジング的な効能が多いですよね、ポリフェノールとか、その割りに糖質が多いので太りやすいって言われてるのであまり量は取らない方が良いかもです」
「そ、そうなの?」
「ええ、糖質は短距離にはそれほど必要な栄養素では無いんです」
「でも筋肉を動かすには糖質が必要なんでしょ?」
「ええ、当然トレーニングにはグリコーゲンは必要不可欠な物です。でも過剰摂取は脂肪になってしまうので、僕は糖質は殆んど抑えて炭水化物から摂取してました」
「へーー」
「ただ炭水化物も結局糖質に変化するので、基本食事はたんぱく質メインですね、脂肪分の少ないササミとか、お肉もサーロインとかよりもヒレ肉とか、まあ、バランス良く食べる事が大事なんですけど、日本食ってどうしても炭水化物が多くなってしまうので……」
「……」
僕が饒舌に語っていると、会長は何故か僕の方を見てボーッとしているのに気付き、思わす話を止めた。
「どうかしました?」
「ううん、な、何でも、続けて?」
赤い顔でフルフルと首を振る会長、だけどここにきて、僕はようやく気が付く。
えっと……これって……デートなんじゃね? って……。
いやいやそんなわけない……昔ならいざ知らず、今の僕が会長となんて……。
こんな足の僕じゃ……会長に相手なんてされるわけがない……。
「……えっと……あ、そうだ……あの、僕もお礼を言わないとって思ってて」
「お礼?」
僕は会長に向かって頭を下げた。
「あの事故の日、僕を一生懸命探してくれたそうで……本当にあの時は済みませんでした……そしてありがとうございました」
深々と会長に向かって頭を下げゆっくりと起こすと、会長は真面目な顔で僕を見つめている。
そして暫くそのまま僕を見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「あの日……何があったか今は誰も知らない、知ってるのはコーチと当時の校長だけ、私がいくら聞いても教えて貰えなかったわ」
「……」
「何があったか……事故の詳細は、教えては貰えないの?」
「……すみません」
「どう考えてもあれだけ慎重だった貴方が、何も無いのに道に飛び出すなんて考えられないの」
「……でも……どちらにせよ、勝手な行動をした事には変わり無いので……」
「やっぱり何か事情があるのね、まあ、いいわ過ぎた事だしあれで一番傷ついたのは他でも無い貴方自身なのだから」
「はい……」
「取り返しが付かないって、本当に……こういう事なのね」
会長は凄く残念そうな顔で僕を見つめ、それ以上何も言わずに食事を続けた。
その残念そうな顔を見て、僕はさっき思った事を取り消した。
そう、これはデートなんかじゃなかった。
会長は僕の過去しか、昔の僕しか見ていない……。
会長が必要としているのは、昔の僕の知識だけ……走っていた頃の僕だけ……そう気が付いてしまった。
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