第10話 血に染まった白いトレーニングウエア

 

 中学1年の秋、私はデビューしてから数年が過ぎていた。

 所属していたアイドルグループが解散となり、一人になってしまった私……でも私は、私だけは……ママの威光からなのか……次々と仕事が舞い込んで来ていた……。


 皆と一緒にアイドルをしていた時は楽しかったなって、今になって思う……。

 ママは忙しくあまり家には帰って来ない。

 私はまだ中学生なので撮影は朝や昼だけ……。

 つまり夜はいつも一人……今、私は一人ボッチ……学校もろくに行けない、人前も歩けない……私は孤独だった。


 そんな寂しさを紛らわす為に……私は仔犬を一匹買った。

 名前を『チック』と名付けた……静まり返った部屋にいつもチックタックと時計の音がしてたのと、好きな歌の歌詞から取って名付けた……。


 初めて飼うペット……でも……チックは最初私に全然なつかなかった……いつも私に向かって吠えてばかりいた。


 頭を恐る恐る撫でればガブガブとその手を噛む……。

 餌をあげるときだけ尻尾を振るチック……食べた後は私にあまり近付かないで一人で遊んでいる。


 そのチックの姿と傷だらけの自分の手を見て、私は腹を立てていた。


 本当にむかつく、私がご主人様なのにって、チックはまるで私を召し使いかなんかだと思ってる……ううん、この場合、飯遣いだって思ってると言った方が良いのかも知れない……。


 飼わなきゃ良かったって……私はそう思い始めていた。


 でも……ある時……私が寝ていると、チックは私のベッドに入り込んで来た。

 寒かったからなのだろう……でも、なんかその時凄く嬉しい気持ちになった……私は孤独じゃないって感じられた。


 それから段々と私になついてくれるようになり、チックは私に取って家族の様な存在になっていった。



 チックを散歩に連れていくのはいつも早朝、昼間は目立つし、夜は危ないから……。


 そして……あの日は撮影で仙台に行っていた。

 いつもはペットホテルに預けるのだけど、その日は取材でチックも連れて行く事になっていた……。

 いつもと違う小さなホテル、でもチックと一緒になんて……私はその時、凄く楽しくて、まるで恋人と一緒にお泊まりするくらいハイになっていた。

 ちなみにチックはメスだけど……。


 そして、いつものようにその日も早朝、日課の散歩に出かけた。

 ホテル近くの公園にチックと共に来ていた。


 初めてのチックとの旅行で、浮かれていたからなのだろうか?


 普段は人目を避ける様に生活をしている私、だけどその日はハイだったからだろうか? 旅先だったからだろうか? 公園に入って来た同じ年らしい子につい声をかけてしまった。


 だって……彼のその姿が、走る姿があまりに綺麗で美しいって思ったから……。


 その時……彼は真っ白なトレーニングウエアを着ていた。

 そして少し汗ばんだ顔が、爽やかだった。


 多分私の事は知らなかったのだろう……ちょっと悔しく、ちょっと安心した。


 でも……その安心感が、旅先の浮かれ気分が……あの人を……。




 白いトレーニングウエアが真っ赤に染まっていた……。


 私はどうする事も出来なかった。


 助けた彼の手と身体に守られたチックは、元気に私の元に走って帰ってくる。

 そして何事も無かったかのように、私の周りをチックが無邪気にグルグルと走り回っていた。


 私は、何も出来ずに、ただただその場に立ち尽くしてしまう。


 早朝とはいえ、それなりに公園の前に人はいた。


 事故に遭った彼の周囲に人垣が出来る。

 今思えば、そんな事を気にせずに彼の元へ駆け寄り、彼の付き添いをしなければって、ううんしておけばって思っている。


 でも私はその時、その人垣を見て……動けなくなった……今、自分があそこに行けば騒ぎになるって思ったから……でも最低だ……私は最低だった……。


 そして私はブルブルと震える手を抑えながらマネージャーに電話をした。


 現場はマネージャーも宿泊しているホテルの目の前……。

 駆けつけたマネージャーは私に向かって言った。

「騒ぎになるから貴女は部屋に戻ってなさい!」


 マネージャーにそう言われ私は……フラフラと部屋に戻ってしまった。


 警察にはマネージャーから事情を話してくれた。


 それでも、その日の仕事をキャンセルして、あの人の所に行かないとって、そう思い直しマネージャーにお願いした。


 でも、それは叶わなかった……マネージャーとママの弁護士の人が全部やるからって言われた、運ばれた病院は教えて貰えなかった。


 早朝男の子と会っていた事実が知られたら、色々言われる可能性があるって、恋人なんて書かれたら大きな仕事が決まったばかりのママや、私と契約しているスポンサーさんに迷惑がかかるからって……そう説得された。


 後でマネージャーから……彼の命に別状は無いって聞かされて少し安心した。


 ただそれ以上は、何も教えて貰えなかった。


 初めは仕方ないって、諦めたけど……でも……私は気になった。


 だから調べた、あの人の事を……。


 直ぐに彼が優秀な短距離の選手という事はわかった。


 私立城ヶ崎学園の生徒という事も……直ぐにわかった。


 ただ彼が無事だって聞かされて、私は安心していたのだろう。


 そして、有名だった私が彼に会いに行けば、彼に迷惑がかかるって思っていた。

 だからその時は……ママの言う事を素直に聞いて、全て弁護士さんに任せればって……そう思っていた。


 でも……彼はその翌年、どこの大会にも出場して来なかった。


 だから調べた……私は彼の事を、そして彼のその後を……知った、知ってしまった。


 彼のその後の事を……足の……事を……。


 私はママをなじった、なぜ教えてくれなかったのかって、マネージャーにも、それからは喧嘩ばかりの毎日、そして……私は家を出ると決めた。


 仕事も……辞めるって決めた。


 そして鶴ヶ崎学園に入るって……彼の元に行くって……決めた。



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