第7話 僕と会長の関係
僕が、のそのそと教室で帰り支度を始めていると、一瞬視線を感じた……その視線の先には白浜がいた。
でも彼女は僕と目を合わせる事なく、そそくさと廊下に出ていってしまう。
この数日何度か視線は感じていた。でも、僕から話しかける事もなく、向こうからも話しかけて来る事は無い。
白浜は僕だけじゃなく、誰とも話す事なくずっと一人で過ごしていた。
まあ、多分僕の事なんて覚えていないんだろう……テレビに出ていた時の彼女同様に僕自身も変わってしまったから……。
少しだけ……ひょっとしたらなんて……思っていたけど……。
勿論今後も……自分から言うつもりは無い……なんかそれは違うって……そう思っていた。
僕は一人で悶々としながら杖を使い廊下を歩く、古いリノリウムの廊下をコツコツと杖で突きながらゆっくりと歩いていく。
片足が曲がらない為に、靴や靴下を履くのには結構時間と手間がかかる。
でも……朝と違い、時間はある……。
下駄箱で杖を巧みに使い、なんとか靴を履き替え、のそのそと校門に向かって歩いていると、野球部やサッカー部のグラウンドからは、威勢の良い掛け声が聞こえてくる。
そして……遠くから吹奏楽の音が聞こえ始めた。
現在僕は帰宅部……勉強はあるけど特に放課後用は無い。
だから別に慌てて帰る必要は無い、無いが……この音は嫌いだ。昔を思い出すから……だから出来るだけ早く学校から出たい……動かない足がもどかしい。
校門まであと少しという所で、僕の前にとある人物が立ち塞がった。
「……会長?」
「…………来なさい」
白い上下のジャージ姿の会長は金髪を風にたなびかせ、僕の行く手を遮った。
そして、そのまま暫く僕を睨み付けると、顎でとある方向を差し、スタスタと歩いて行く。
「……」
その場所が……会長が来いと言った場所が……僕はどこだか知っていた。
それは、この学校で唯一中等部と共同使用している場所。
もう、僕が二度と踏み入る事は無い場所……。
僕は黙って会長の後をついていく。その会長の後ろ姿を見て懐かしい思いが甦ってくる。
一緒に走っていたあの頃を……。
校舎から歩く事5分……今の僕なら10分……会長は僕に合わせてゆっくりと前を歩く……何も言わずにゆっくりと……。
そして……僕は2年半ぶりに、その場所に来た。
草の匂いと(ゴム)タータンが日に焼けた匂い、そしてどこからともなく消炎鎮痛剤の匂いがする……遠くから投擲の掛け声、ゴール付近では周回タイムの読み上げ。
「先輩ファイトでーす!」
トラックの外周をランニングしながら、新入部員数人が走っている先輩に声を送る。
ここは学校内にある陸上競技場……半年間、僕が通っていた場所……懐かしい場所。
「……それで……なんの用ですか?」
競技場の外から何も言わないでトラックを走る生徒を眺めている会長に僕は後ろからそう呟いた。
生徒会長、そして陸上部のエース、
中等部の時、同じ短距離のAチームとして半年の間一緒に練習をしていた。
そしてあの大会も一緒に……行っていた。
「……見てなさい」
彼女はそう言うと、僕の目の前で着ていた白いジャージの上着を脱ぐ。
そして、足首のチャックを開くと、ジャージの下も脱いだ。
露になる高等部のユニフォーム姿、水着の様なそれを彼女は
スレンダーな身体、中等部の時よりも身長が少し伸びている……しかしスタイルは殆んど変わっていない……いや、太ももが少し太くなっている気がする。
会長はそのままトラックに降りると、側にいたマネージャーと新入部員らしき数名に声をかけ、100mのスタートラインに向かった。
ゆっくりと綺麗な走りでスタートラインに着くと、さっき声をかけていた部員の一人が彼女の元に慌てて駆け寄りスパイクを手渡していた。
彼女はその場に座り、スパイクに履き替え、コース脇に置いてあるスターティングブロックを真ん中の4コースに設置する。
そして自分の歩幅に合わせてセッティングを開始した。
投擲や中距離の選手が一旦練習を止め、彼女を見ている。
ゴールにあるタイム表示機のカバーを外し、オール0が表示される。
この学校の設備は下手な競技場よりも……良い。
さらにズルズルとコードを引き摺り、スターターピストルをまで用意する有り様に、僕は思わず顔をしかめる。
もうこれは完全に彼女一人の記録会だった。
生徒会長で、短距離のエース……3年生を完全に抑え、今や2年の彼女が陸上部のトップに立っていると言って良いのだろう……。 いやこれはもう牛耳ってるってレベル?
会長は2回程スタート練習をすると、電気ピストルを持ったスターターに向かって手を上げた。
ゴールを見ながら一度屈伸をして左足をスターティングブロック後方に置く。
続いて右足を置き、ゆっくりと手をスタートラインに置いた。
再度ゴールを見据え、彼女は左右に小刻みに身体を動かす。
昔の通りのルーチン……。
スターターが「セット」と言うと、彼女は腰を浮かし小刻みに揺らしていた身体の動きをピタリと止めた。
100mのスタートは身体を制止させなければフライングとなる。
そして『パーーン」というピストルの電子音と共に彼女は弾かれたように走り出す。
その時僕は思わず呟いてしまった……「遅い」って……。
反応が遅い……頭の位置が低い、一歩目が大きすぎる、力の入れすぎ、上体を起こすのが早い……。
会長の走りをみて次々に問題点が浮かんでくる……。
100mはただ闇雲に走ればいいって競技じゃない。
スタート反応、ブロッククリアランス、加速、一歩一歩計算しつくされた足の運び、走る姿勢、力の入れ具合、その全てをたった10秒余りで行う競技なのだ。
才能だけで記録なんて出るのは、ほんの一握りの選ばれた人だけ。
僕だってそうだ……子供の頃から何度も何度も基礎トレーニングや、反復運動を繰り返してようやく出せた……日本記録。
会長はそのまま走り、フィニッシュまで綺麗に決めた。
……でもタイムは……僕の記憶だと中等部の時から殆んど変わっていない……。
走り終えた会長は一度タイムを見つめ、首を振ると、周囲に手を上げる。
すると一斉に片付けが始まり、マネージャーがベンチコートを持って走り寄る。
まるで女王様の様に、会長はマネージャーが持ってきたベンチコートを羽織った。
そしてそのままゆっくりと僕の元へ歩み寄って来る。
一体会長は僕に……。
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