立派な大人になってほしいですよね?
私には1人、大切な娘がいる。
夫とは娘が幼いうちに離婚し、以降、私1人でずっと娘を育てている。
仕事はパートタイムで、スーパーのレジ打ちをして生計を立てていた。
生活はギリギリだ。
生活費を稼ぐだけで精いっぱいで、贅沢はできない。
私がスーパーのレジ打ちをしているのは、好きでこの仕事をしている訳ではなく、他に私のことを雇ってくれる会社がなかったからだ。
私はもう30代半ば……正社員として応募しても、年齢的な制限もあるし、ずっと主婦をしていて特別なスキルも私は持っていないので採用してもらえなかった。
学歴にも問題があったように思う。私は中学校卒だ。
私が中学校のときは、高校に行く子と半々くらいだったようだけど、今は高校卒業、大学卒業が当たり前の世の中になった。
その中、私のように中学校卒で30代の女ともなると、なかなか就職が難しい。
娘にはそんな思いをさせたくない一心だ。
だから私は娘に徹底的に勉強するように言った。
小学生の頃から中学校の勉強をさせ、中学校に入ったら高校の勉強をさせた。
娘が嫌がっても、私は無理やり勉強させた。
我儘を言ったら、娘の趣味のものは全部没収した。
ときにはそれを捨てることもあった。
「こんなどうしようもない本ばかり読んでいないで、勉強しなさい!」
「やめて! お母さん! やめてよ!」
ビリビリビリビリビリッ……
「こんなものがあるから勉強しないのよ!」
娘は泣いていた。
厳しい
でも、今はつらくても、いい高校に入って、いい大学に入ればこの子のその後の人生は安泰になる。
これも必要な躾だと思った。
娘は常に学校の成績は学年1位だった。
それが当然だ。
それを保ち続ける為、悪い友達付き合いも絶対に駄目。
娘が友達を家に連れてきたことがあったけど、その友達の子は頭が良いわけでもなかったし、いい家柄の子でもなかった。
娘が素行不良になってしまったら困るので、娘にはその友達との付き合いをやめなさいと言った。
娘は渋々それを了承したが、ある日私がパートが終わって家に帰る途中、その友達と一緒に下校しているのを見かけた。
帰ってきた娘に対して、私は叱責した。
「あの子と付き合ったらいけないって言ってるでしょう!?」
「ごめんなさい……」
それから、娘の学校での生活を問いただした。
話を聞いていると、娘が別の子からイジメを受けているということが分かった。
私は直接学校に行って、イジメをした生徒と担任を呼び出した。
「なんでうちの子の机に“死ね”などの落書きしたんですか?」
「…………」
イジメた子は黙ってそっぽを向いて何も言わない。
「黙っていても解らないでしょう。先生もなんでイジメがあったのに適切な指導をしなかったんですか?」
「申し訳ございません。事態を把握しておらず……」
「言い訳は結構です。きちんと謝らせてください」
「……金子君、“死ね”って書いたのは金子君なの?」
「……違うよ、俺じゃないよ」
私は、この子だろうとこの子じゃなかろうと、絶対にうちの子をイジメた子に謝らせようと思った。
「じゃあ先生、クラスの中からキチンと犯人捜ししてくださいね。今週末までにお願いします。うちの子も傷ついているので。筆跡鑑定でも何でもできますよね?」
「はぁ……」
「これ、録音も取ってますので。必ずお願いしますよ」
そう言って私は学校を後にした。
結局、犯人は見つからなかった。
何度も何度も私は学校に行って、抗議をし続けた。
娘は結果としていじめを受けることがなくなり、私は勉強に専念できる環境になったということを喜んだ。
私はこれからの時代は英語が必須だと思い、毎日娘にリスニングをさせた。
テレビもニュースを見せる程度で、アニメやドラマ、バラエティなどは一切見せなかった。
「お母さん……もう疲れちゃったよ……」
「リスニングしてるだけでしょ!? 英語は耳で覚えるのよ!」
何度も何度も娘に英語を聞かせた。
それが功をなしてか、娘は英語もいつも100点だった。
高校受験のときはかなり緊張したものだ。
うちの家計では私立高校に入れることは不可能。だから高校受験は1年前からずっと準備を娘にさせて、必ず合格するようにと強く圧をかけていた。
無事、娘は第一志望校に合格した。
高校生になり、私の手から徐々に離れつつある娘に対して更に勉強をさせた。
目指すところは日本一の大学だ。
高校生になってしばらくすると、娘は徐々に私の言うことを聞かなくなっていった。
何度も何度もそれについて怒ったが、娘の反発は強くなる一方だ。
私はただ、娘に私のように人生に苦労してほしくないだけなのに。
「日本一の大学に入って、一流の会社に勤めてほしいのよ! 学歴で判断されるんだから、いいところの大学に出てないと馬鹿にされるの! なんでそれが分からないの!?」
「じゃあ、日本一の大学に入ったら、もう自由にさせてもらうから! もうこんな生活うんざり!」
動機はなんであれ、娘は日本一の国立大学に入るために必死に勉強していた。
高校生の3年間はあっという間に過ぎて、娘は大学受験を迎えた。
心配要素はあったものの、娘は無事に大学に入学した。
私たちが住んでいる場所から県外の大学であったため、娘は家から出て行くことになった。
私は娘と別れるのはつらかったが、娘は特に悲しがっている様子はなかった。
私も娘と同じ場所に引っ越そうか考えたが、娘がそれを断固拒否したために叶わなかった。
「それじゃ、お母さん。私東京で暮らすから」
「なにかあったらすぐに連絡しなさいね」
「分かった」
娘が出て行った家は静かになってしまった。
娘を一流大学に入れたいという私の願いは叶った。
それが嬉しいはずなのに、なんだかずっと籠の中に閉じ込めておいた鳥を逃がしてしまったかのような気持ちになり、ため息が漏れる。
「これで、良かったのよね……」
私はしばらく喪失感がぬぐえなかった。
***
娘が出て行ってから半年ほど経ったある日、私は腰を痛めて仕事へ行けなくなった。
収入がなくなったことによって生活がどんどん苦しくなっていった。
蓄えがあったわけじゃなかった私はすぐに生活が苦しくなった。
私は娘に助けを求める為に電話をかけた。
「…………」
娘は何度電話をかけても、出ることはなかった。
――助けて……
横になったまま、何度も何度も娘に電話をかけた。
娘に電話をかけ続けて3日がたった頃、やっと娘から連絡がきた。
私がちょうど出られなかったときに留守電に一言だけ伝言が残されていた。
「留守電聞いたからかけ直したんだけど、何度も電話してこないでよ。あと、ただのギックリ腰でしょ? 自分で何とかして」
プツッ……ツー……ツー……ツー……
それを聞いて私は絶望的な気持ちになった。
本当に動けないので、買い物にも行けないし、病院に行くお金もないし、当然仕事にも行けない。
ずっと私が娘を助けてきたのだから、今度は娘が私を助ける番のはずだ。
いい会社に就職して、沢山お金を稼いで、私を楽させてくれるはずだった。
なのに、娘は私に対して冷たい態度をとる。
――どうして……あんなに愛情を注いで育てたのに……どうしてそんなに冷たいことを言うの……
――誰のおかげで一流大学に行けてると思ってるの……
――私のおかげでこの先の人生困らないのよ……!?
そう思っても、誰にも届くことはなかった。
娘に私の愛情を分かってほしかった。
ただ、それだけなのに…………
***
「本日、神奈川県相模原市の住宅で、
「山本さんは腰を痛めて働けなくなり、そのまま衰弱死したと考えられます」
END
(※これは、私の小学生の頃からの友人が実際体験した虐待の話を参考に書いています。友人は母親のことを「憎んでいる」と話していました。子供に良い大学に入ってほしいという気持ちは、大人になった今なら解りますが、子供の意思を尊重せずに教育を押し付けるようなことは良くないと思います。友人は酷い心の傷を負いました。それは一生消えません)
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