日ソ樺太・千島紛争
極月ケイ
第1話 越境侵攻 北緯50度線
1991年8月19日0時0分 南樺太国境線
樺太島を南北に隔てる北緯50度線、冷戦の時代において、この50度線は、西側陣営の大日本帝国と、東側の盟主であるソビエト連邦が対峙する極東地域の前線の一つである。
国境線を警備するのは、国土省の陸上保安庁、北部管区敷香保安部と、帝国陸軍の第5機甲旅団第5機甲歩兵連隊であった。
北緯50度線に沿って、日ソ共に監視所、兵舎、塹壕線、銃砲陣地が構築されていて、双方共に普段は夜間でも常に監視所には灯りが点っていたが、この日、ソ連側は明かりが無く、北樺太は暗闇に包まれていた。
静寂の中にあっても少しずつ準備は進んでいく。122㎜榴弾砲と152㎜榴弾砲に弾が装填され、自走ロケット砲も砲口を南樺太側に向けて、今まさに、開戦の火蓋を切ろうとしていた。
「撃て!」
連隊指揮官の命令を受け、ソ連軍砲兵は南樺太へ向け、砲撃を開始した。日本軍一個旅団に対し、ソ連の樺太配備部隊は二個師団、数では単純に優勢であり、砲撃で国境線の日本軍陣地を破砕した後は、砲兵の後ろに控えた戦車と歩兵が、南樺太を蹂躙する手筈となっている。
樺太国境線の日本側陣地には、無数の砲弾が降り注ぎ、木々は倒れ、林からは火煙が立ち上ぼり、兵舎や監視所をなぎ払い、塹壕や平地を穿ち、コンクリートで固められた陣地を崩壊させていた。
「国境線はずいぶんと派手にやられているな。」
暗視装置付きの双眼鏡で、ソ連軍の砲撃を監視していた偵察班の面々は、記録用のカメラも回しながら、今や最前線となった国境線を注視していた。
「旅団司令部と大泊鎮守府、北部方面航空軍司令部に報告、ソ連軍が砲撃を開始、越境侵攻の可能性大なり。我らは偵察を継続し、時期をみて後退す。」
偵察班長の指示を復唱し、通信手が有線電話で第5機甲旅団司令部と海軍の大泊鎮守府、空軍の北部方面航空軍司令部へと報告を行う。
「開戦だ! 冷戦が熱戦に成っちまった!」
偵察班長である酒井准尉は、ひとり静に、だが憤りを持って叫びにならない叫びを言った。
昨日の日中に極秘命令が下り、日没と同時に国境線の部隊は後退を開始した、国境から数十km後ろに新たな野戦陣地を構築していた。
「上の連中は情報を掴んでいたらしいな。だがなぜだ!? なぜ今になって、ソ連は侵攻を開始したんだ?」
酒井准尉は一人言を言いつつ逡巡したが、越境侵攻の情報はともかくとして、ソ連の越境侵攻の理由はまったく持って意味不明であった。
それもその筈、2年前の1989年2月にソ連は約10年間紛争を続けていたアフガニスタンから完全撤退したばかり、ソ連軍にとってこの泥沼の紛争は、撤退から2年経過した今でも、大きな傷を残し、その傷を回復するには到っていなかった。
「酒井准尉、前線の様子はどうですか?」
酒井にこう声を掛けたのは、国土省陸上保安庁から連絡要員として派遣された、中井戸一等陸上保安士(大尉相当)であった。彼の後ろには、彼の部下である一等陸上保安員(一等兵相当)の1人が控えている。
陸上保安庁とは、国土省の外局である国土保安庁内の組織であり、陸上の治安維持を職務とし、特に重要施設(石油コンビナート、発電所等)と交通機関(鉄道、主要幹線道路等)の警備、南樺太国境警備を主な任務としていた。国土保安庁にはこの他に、海の治安を維持する海洋保安庁、空の治安を維持する航空保安庁と、計3つの準軍事組織を保有し、戦時や有事の際は、軍部府(陸海空軍省の統括組織)の指揮下に置かれる事となっていた。
酒井准尉は自身の双眼鏡を中井戸に手渡し、状況を伝えた。
「一等保安士殿、この双眼鏡で観てみて下さい。夜でも良く見えますよ。私の視たとこだと、不自然としか言いようがありません。」
「どういう事ですか?」
中井戸は渡された双眼鏡を手に、国境線の方を見ながら、酒井に聞いた。
「まるで戦い方が第一次大戦までのようです。前時代的だ、航空支援が無い。」
「確かに! ですが、もしやこの攻撃は陽動で、航空戦力は別に集中していると言うことは?」
「その可能性もありますが、それなら先ず狙われる筈の気屯と幌筵島のレーダーサイトがまだ生きています。海軍からも領海侵犯等の報告はないし、それに本土がヤられたと言う連絡も無い。」
「そう聞くと、この侵攻は違和感しか感じませんね。」
「ええ! 話は変わりますが、民間人の避難は?」
「我々と警察、消防で対応していますが、輸送手段に限界があります。陸路で大泊を目指し、そこから海路で稚内へ渡る全民間人避難には時間が掛かりすぎますよ。」
「と、なると、ここでの遅滞戦闘が重要となるますね。」
「ソ連の二個師団に対処出来る地上戦力は、あなた方の第5機甲旅団だけですからね、我々も出来る限りの支援はします。」
そう言うと、中井戸は双眼鏡を酒井に還し、現状を報告すると伝えて部下と共に後ろへと下がっていった。
彼が述べたように、北樺太のソ連軍2個師団に対処出来る地上戦力は、陸軍の第5機甲旅団しか南樺太には存在しなかった。
第5機甲旅団は、帝国陸軍の北部方面軍隷下である機甲旅団編成の部隊であった。二個戦車連隊と一個機甲歩兵連隊を主力とし、自走砲大隊、自走高射砲大隊、工兵大隊、後方支援大隊等から成り、ソ連による南樺太侵攻の際は、遅滞戦闘を基本とし、十州島(北海道)もしくは本州からの増援を待ち、反攻に転じる事を基本方針としていた。
「酒井准尉! 報告します。 占守島と幌筵島が砲撃を受けているとの事。」
通信手からの報告に、酒井は頷いて答えた。
「砲撃か…」
一人呟くと、酒井は思考を巡らせながら、自身の持つ小銃を点検し、砲撃がまだ続く国境線の方へと、その銃口を向けた。
同日同刻頃 占守島
南樺太の国境線が砲撃を受けたとの連絡が来てから数十分後、ここ、占守島と隣の幌筵島も、ソ連軍から砲撃を受けていた。
千島列島を守備する地上戦力は、帝国陸軍の第11海上機動旅団で、第5機甲旅団、第2旅団、第7機甲師団と共に、北部方面軍隷下であり、海上機動旅団として編成された旅団で、海上機動歩兵連隊二個、水陸両用戦車大隊、水陸両用自走砲大隊、水陸両用自走高射砲大隊、工兵大隊、後方支援大隊各一個等で構成された旅団であった。
ただし、占守島の護りに就くのは、占守島警備隊という北部方面軍直轄の離島警備部隊であった。この部隊は、三個歩兵中隊を基幹とし、大隊規模で編成された部隊であり、一個歩兵中隊は三個歩兵小隊と、迫撃砲小隊、対戦車小隊、対空小隊、狙撃班で編成され、通常の歩兵中隊と比較すれば重装備の歩兵中隊であった。
「砲撃はカムチャッカ半島からで間違いないな。」
「はい、砲撃だけでなくスカッドも来ていると思われます。狙いは港湾施設と飛行場に集中していて、我が方の駐屯地にも着弾してはいますが、部隊の損害は皆無、市街地にも被害は出ていません。我が隊は既に、島の各所に分散し遊撃戦の準備を進めています。」
占守島の山林に潜んでいる彼等は、占守島警備隊第三中隊の中隊本部班である。
「まったく、今年に入って二度目の戦争とは…」
中隊長の溝口大尉は、内心かなり辟易していた。なにせ今年の2月迄、湾岸戦争にも従軍していたからだ。占守島警備隊に着任したのは今年の4月の人事異動で、それまでは西部方面軍第13海上機動旅団で第13海上機動歩兵連隊の中隊長をしていた。この部隊は、湾岸戦争に多国籍軍として参戦した日本が、イラクに投入した部隊の一つであった。
「中隊長殿、いかがなさいましたか?」
先ほど話していた曹長が、怪訝そうな顔で溝口を見やっている。
「いやね、なんせ第二次大戦後は長年この国は戦争をしてこなかったが、平成の世に成ってから湾岸戦争と、今のこの戦闘と、2度の戦争をする事に成ったのはなんともね… それに私はどちらも前線で経験したことに成る。」
「定期的な人事異動の偶然という事ですよ、士官は日本中が赴任先に成りますし。自分達下士官や兵は、ほぼ同じ方面軍内での人事異動で留まりますから。」
溝口大尉は、偶然という言葉に、何故か引っ掛かりを感じた。
「偶然? 偶然にしては出来すぎている…」
内心で溝口はこうつぶやいた。湾岸戦争に従軍した士官と下士官の一部は、定期の人事異動とはいえその多くが、北部方面軍の部隊へと配属されていたからだ。
「教導団や中央に行けた連中が羨ましいな。まったく!」
「中隊長殿!?」
「鈴井曹長すまんな、上はこう成る事を早い段階から知っていたかもしれん。」
鈴井曹長は、一瞬キョトンとした顔で溝口大尉を見たが、そのあと直ぐに察した。
「偶然ではないと。確かに、ソ連軍の砲撃前に、各部隊にソ連軍侵攻に備えよとの通達がありましたしね。」
「そのとおりだ! 戦争は始まってしまった、こうなれば、我らは備えた戦力で戦う他にあるまい。」
溝口大尉は、山林に潜ませた中隊各員と連絡をとりつつ、ソ連軍の上陸に備えた。
占守島と幌筵島には砲撃が続き、炎上した港湾施設と飛行場が煙をあげながら夜空を明るく、不気味に照らしていた。
同日同刻頃 オホーツク海中央海域
大泊軍港から2日前に哨戒の為に出港していた第6駆逐隊は朝霧型駆逐艦4隻から成る駆逐艦の艦隊で、大泊軍港を定係港としている。現状では樺太東岸から得撫島西岸の間を航行していた。
第6駆逐隊の旗艦狭霧は、高霧、黒霧、白霧の3隻を従えて、単縦陣を形成し、航海灯を消し、針路を北に転じた。8月でも夜は肌寒さを感じる北の海を、速力を30ノットにし、ウイングの見張り員を増やし航走した。
「大泊鎮守府からの情報と、海軍総軍の命令は確かなのか?」
「間違いありません、我が隊は現在、無線封鎖中ではありますが、逆探知と通信傍受により、ソ連軍の攻撃を確認しています。」
狭霧の艦橋で、隊司令の濱田中佐と、艦長の志儀少佐が、通信士から報告を聞いていた。
大泊鎮守府から、ソ連軍が樺太国境線の日本軍陣地を砲撃した旨の連絡と、海軍総軍からの第6駆逐隊は、オホーツク海の制海権を維持せよとの命令であった。
第6駆逐隊は、通常の哨戒任務の為に、出港時からレーダーを停止させ、無線封鎖を行っていた為に、ソ連軍から捕捉されてはいないと考えられた。そして、大泊鎮守府からの連絡と、海軍総軍からの命令よりも前に、ソ連軍の砲撃開始時刻から、おびただしいソ連軍の通信を傍受していた。幸い通信科員の中に数名、ロシア語が判る者がおり、通話を翻訳させていた。
「どうやら連中は、空軍に空爆を催促しているようですが、連携が上手くとれていないのでしょう。我が方の陸空軍からも空襲を受けた旨の通信はありません。また、オハ海軍基地のミサイル艇隊が出港したようです。カムチャッカの原潜が動いた形跡はありません。」
通信士が隊司令と艦長に、通信科員が翻訳した通話内容をもとに、分析した内容を報告した。
そこへ、通信科員の一人が駆け込んで来て、通信士に電文の書かれた紙を手渡した。
「隊司令、艦長! 占守島と幌筵島も砲撃を受けているとのこと。占守島警備隊と幌筵島に駐留する第11海上機動旅団の部隊からの暗号電文です。」
「承知した。通信士、全隊に対空対潜警戒を厳と成せと通達。」
隊司令の濱田中佐は通信士に命じ、志儀艦長に狭霧の幹部全員を艦橋に集めるように指示した。
駆逐艦狭霧の艦橋では、艦長の命により船務長や砲雷長等の幹部が集められ、隊司令と狭霧艦長以下の幹部で作戦会議を開いた。
「隊司令、艦砲射撃で樺太か千島の陸軍を支援してはいかがですか? 朝霧型駆逐艦は127㎜連装速射砲を2門備えています、艦載ヘリによる観測も行えば、敵地上部隊に有効な打撃を与えられるはずです。」
「だが砲術士、敵砲兵やミサイルの反撃を受けた際に、ろくに装甲が無い駆逐艦では甚大な被害を被るぞ、ここはオハ基地から出撃した敵ミサイル艇隊を叩くべきだと思うが、砲雷長はどう考える? 先任伍長も意見があれば述べてくれ。」
砲術士の意見に対し、志儀艦長はこれを退けた。一隻の艦と乗員の生命を預かる身としては、もっともな判断であろう。それに、第6駆逐隊の全艦で127㎜速射砲8門の砲しかない、これでは速射砲の投射能力であっても大した打撃は与えられないであろう。
砲雷長は艦長に同意すると述べ、先任伍長もこれに従った。
濱田隊司令は、これらの話を聞くや決断する。
「オハ基地から出撃した敵ミサイル艇隊を撃滅する。我が隊は海軍総軍からの命令に従い、オホーツク海の制海権を維持する。だが、砲術士の艦砲射撃での敵地上部隊攻撃も有効な手立てだ。海軍総軍に、第一打撃艦隊または、第一陸戦艦隊の戦艦による対地砲撃と、航空艦隊による対地攻撃を要請する。」
濱田隊司令の命令は、直ぐに第6駆逐隊の全艦に通達され、要請は暗号電文で海軍総軍へと届けられた。
日本海軍は、第二次大戦後も戦艦を8隻実動状態で保有していた。それは、山城型戦艦4隻と、磐城型強襲揚陸戦艦4隻であり、山城型は51cm連装砲4基8門、磐城型は51cm三連装砲2基6門を有し、先の湾岸戦争では、艦砲射撃をアメリカ海軍のアイオワ級戦艦と共に実施し、その打撃力を発揮していた。濱田隊司令は、駆逐艦の艦砲では発揮し得ないこの打撃力を、南樺太を砲撃するソ連軍に向けたいと考えた。
また、帝国海軍は戦艦の他に、正規空母もアメリカに次ぐ8隻を保有し、更に軽空母としても使える強襲揚陸艦を4隻保有している、世界有数の海軍であった。濱田隊司令は、戦艦による砲撃が叶わなくとも、空母航空団の戦力投射によって、樺太と千島に侵攻しようとするソ連軍に打撃を与えられればと思案し、前線にいる指揮官の考えとして、海軍の実動部隊を束ねる海軍総軍へと要請した。
第二次大戦後の日本帝国は、西の北大西洋条約機構と共に、東の東亜太平洋条約機構として、西側諸国の有力な国家の一つであり、東側諸国の盟主であるソビエト連邦に常に備えていた。
米ソの対立が緩和されて来た筈のこの時に、日ソは戦闘状態に突入したのである。
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