前編

「目覚め」



「……いやあぁぁあ!」


 そう叫んで、私は目を覚ました。

 一番はじめに見えたのは、いつもの天井。見慣れた私の部屋。


 夜だろうか。周囲は真っ暗闇だった。


 ーーていうか、私いつ寝たんだっけ。


 そう思いながら、上半身を起こす。身体がバキバキですごく気怠い。少し伸びをして、身体を捻る。


「……んっ」


 服装は何故か制服のまま。ブラウスがシワになってしまい、スカートのプリーツ(折りひだ)も歪んで、変な形がついていた。


 しまった、母に怒られるかな、と手で伸ばす。スッスッとプリーツのひだをなぞるように、指を動かしていく。しかしなかなかシワは伸びない。


 必死に指を動かしながら、いつの間にか私は、夢について考えていた。



「……変な夢だった」


 その夢は、本当におかしな夢だった。

 一切の現実味を帯びず、私がそれを夢だとすぐさま、自覚するほどに。


 だって、そうだろう? あの夢には私しかいなかったのだ。私以外の人も物も、そもそも空間という概念すらなかった。白と私がそこにあっただけ。私に影があったから、そこが空間なんだと理解していただけ。

 それを私が見つめている。私が「私」を俯瞰している。……改めて思い返して表現しても、どんな夢だと思う。


 脳内にかすかに残る映像。


 私を模ったお人形のような「私」。何をするわけでもなく、ただ歩き続けていた。一面真っ白で、目的地さえ見えないのに、「私」だけが両足を交互に前に出して歩み続ける。


 私はテレビを視聴している者のようにそれを眺めていたのだった。モニターを通じて、見ているとでも言えばいいだろうか。


 でも、突然暗闇に視界が侵されて。何も見えなくなって。「私」も消えて。


 それから……、どうしたんだったっけ。思い出せない。今さっきまで、覚えていたのに。私は夢で何を見たの?

 思い出したいのに、思い出せない。夢ってこういうことがあるから、困る。


 私はプリーツから手を離し、唇に手を当てた。……こんな夢を見る原因を何も考え付かない。


 そういえば、夢は人の深層心理を表していることがあるという。なら、あの夢が指しているものはなんだろうか。


 一面真っ白の。何もない世界。そこで私が一人、歩いている。

 表すのは、孤独? 道のない道で歩き続けることは…。先の見えない不安? だろうか。


「下を向いてブツブツ、呟いてた。……私、ストレスでも溜まってるのかな」


 それに夢の最後がどうなったのか、とても気になる。人形といえども、私の形だったのだから、気にせずにはいられない。私はあのまま暗闇に溶けて消えてしまったの? 


「うー、むしゃくしゃする」


 私はそんな気分のまま自分の部屋から出て、リビングに向かった。とりあえず、母と父のところに行こうと思ったから。


「電気がついてない」


 しかし、私が足を運んだリビングは真っ暗。部屋の様子もわからず、父や母の気配もない。季節が秋だからか、少し寒さを感じ、それと同時に不安も芽生えた。


「……お母さんとお父さんどこ行っちゃったんだろ。それに、リビングこんな部屋だったかな」


 暗闇の中でかすかに見える部屋の印象に、違和感があった。何か違う……。


 母がアジアンテイストにコーディネートしたリビングは、シンプルで快適性、居心地の良さを重視したもの。


 一階階段の正面にある10畳ほどのそこは、テレビ、ソファ、テーブル。母の趣味のシャインカービング(彫刻刀を用いて作るステンドグラスのような美しい作品のこと)が窓際に飾られ、バリ風の不思議な文様が彫られた置物なども見られる。そして、その間にバランスよく観葉植物が置かれているはずだ。

 その配色は黒、白、茶色、緑。壁紙の色から全て自然色で統一され、母の日ごろの掃除のおかげで一切の塵も埃さえ存在しない。 


 この部屋では父はテレビの正面、つまり上座側を定位置に。私と母は入り口近くの下座に座る。


 でも、その席は空っぽで。その上、真っ暗で誰もいない。だから違和感を覚えるのかもしれない。


 ふと、柱にかけられた時計を見ると夜中の二時。丑三つ時という時間だ。……何か幽霊でも出てきそうで、不気味。


「…でんき」


 不安に駆られた私はリビングの照明をつけようと、壁際のスイッチを押す。


 ーービビビビビッ、ジジッ。ジジジジジッ。


 照明が沈黙の中で小さい音を連続でたてた。電気の調子が悪いのか、照明は何度か付けたり消えたりを繰り返す。

 やっと電気が安定したと思ったら、その照明はある一箇所だけを照らした。それはとても薄暗く、冷たい色で。


 そこにあったのは。


 ーー人形?


 ネクタイをしてスーツを着たお人形と、エプロンをつけたお人形がリビングの隙間に落ちていた。スポットライトに当てられたみたいに、そこだけ明るく照らされて。


 ーーなんで? こんな人形見たことないんだけど。


 でも、なんか可愛い。私はそう思って拾い上げ、片腕に抱えて抱きしめて持った。ふわふわして、もこもこしている。そこまで大きくはなくて、持ちやすい。


 その恰好で、両親を探して家の中を動き回る。


「お母さん、お父さんいないのー?」


 二階の両親の部屋、お風呂にトイレ、物置まで。さらにまたリビング。人がいる場所を探す。


 声を掛けながら動いているので、普通は家の中にいたならば返事をしてくれるはず。だからここまで探さなくてもいいのだけれど、なぜかそうしたら私の両親が当たり前のごとく出てくるんじゃないかと思ったのだ。出てきてほしいと思っていたのかもしれない。


 でも誰もいない。どの部屋も真っ暗なままで、電気をつけようとしても動きもせず。人の気配など一つもなかった。不思議なほどに。


「外にいるのかな」


 私の意識は暗い家の中から、外に向いた。恐ろしさからだろうか。どうしても両親を探さなければならない、という意思がそこに芽生えていた。


 外に行くために玄関に向かうと、なぜか両親の靴があった。どうしてだろう? やっぱり中にいるのかな?


 外と繋がっているポストから何かが落ちた。目線がそちらに向かう。


 ーー新聞?


「○○物産、大規模解雇! 不況の影響か?」


 新聞の一面に掲載されていた、その大文字の文言。そこに載っていた会社の名前は……。


「お父さんの会社だよね……」


 混乱するように、その新聞を見つめる。○○物産……。経営悪化のため、傘下グループ含め約1000人に対し解雇・雇止めが行われるとのこと。


 ーージジジッッ…………。


『信じられない!! 俺がどれだけ会社に貢献してきたと思ってるんだ』


『大丈夫ですって。お父さんならすぐ次の仕事が見つかりますよ。焦らずに、ね?』


『……そうか?』


『これまで、お父さんはすごく頑張ってきました。その経歴があれば、大丈夫だわ」


『お前はいいな、そう楽観視できて』


『お母さん、お父さんどうしたの。大丈夫?』


『陽奈! なに影で隠れて見てるんだ。こっちに来なさい』


『お父さん、本当に大丈夫?』


『……あぁ、お前は心配しなくていい』


 ーージジッッ。


 頭の中に変な映像が流れてきた。 

 父が勢いよくテーブルに身体を叩きつけ、頭を抱え。それを母は心配そうに慰めていた。私といえば深刻そうな父が怖くて、物陰から二人を見つめていて。ただ、大丈夫なのか、と問いかけることしかできずに。


「……あれ、こんな事あった? よく、覚えて、ない」


 私の父はいわゆる亭主関白で、母は内助の功を体現するような人だった。父が家計を支え、母が家庭を守る。現代の夫妻って感じではなく、少し昔気質。

 でもそれで家族は成り立っていて、少しお父さんがうるさいなって思うことはあったけど、問題なく暮らせていた。


 まぁ父はそんな感じだったから、性格が素直じゃなくて、人間関係でのトラブルはよく起こしていたようだった。でも仕事はできるタイプだったから、解雇なんてされるような人じゃないと思っていたのだけど。  


 しかし、この記憶が確かなら父は仕事を……。


 また、記憶が霞がかる。


 視界の端で、家の中で唯一の光源であるリビングの明かりが、ジラジラと揺れた……。



『逃げて』



 突然声がした。私はその方角にバッと振り返る。でもそこには誰もいない。


「なに……」


 聞いたことのあるような、でも聞いたことのないような不思議な声。耳元で強く、焦っているかのようにささやかれた。


 ――逃げて。何から? 


「…………」


 振り返った方向には、リビングの隙間から漏れた照明の光が揺れている。昼光色の青ざめた白。

 暗がりの中で光るその色は、信じられないほど薄気味悪く思えた。これなら、まだ月の光のほうがましだと思うくらい。私はじっと、その光を静かに見つめた。


 そこで突然の影がさす。異物の影。動いている。


 一瞬父か母かと思ったが、その影は人にしては大きい。  

 それに家の中は何度も確認して、誰もいないはずなのだ。それなのに、どうして影なんて見えるの。


 ごくりと息を呑む。


 その色が一瞬赤に染まっているようにも、近づいてきているようにも感じて。私は焦燥感に駆られるままに、玄関から飛び出した。


 玄関を抜け、庭を通り抜ける。その庭には母の作った小さな家庭菜園やプランターに植えられた花々があるはずだが、何も見えなかった。


 走りながらここが本当に自分の家なのか、不安が芽生える。だっておかしいのだ。私の記憶と家の中がまったく一致しないから。


 そして、書置きもなく両親が家の中にいないことが。


 私は完全に家の敷地から抜け出し、少し離れて電柱の影から家の全体を見つめた。

 かすかに見える光源と、鬱蒼とした庭。黒々しい家の壁。形は私の住んでいる家だけれど。


 夜になっただけで、ここまで雰囲気が変わるものなのか。



 ――ガチャ。


 そこでふいに家から音がした。玄関の空いた音。自然と目線がそこによっていく。

 きっと今さっき見た影だと思うけど、何が出てくるの。


 そこから現れたのは。


「……ひっっっっ?!」


 悲鳴を、あげそうになった。堪えきれず慌てて口を抑えて、音を漏らさないようにする。


 丑三つ時の濃い闇の中。かすかに射す月の光で、その姿は映し出されていた。


 まずそこに見えたのは黒い渦。あの周囲だけ特に闇が深くて、はっきり認識する事はできないけど、もやもやとしたもの。それが頭の位置に渦巻き、まるで髪のように映していた。


 その中には大きな能面、それも女面を無理やり笑わせているかのような奇妙な顔つきがあった。白塗りの顔。美しく彫られた鼻筋。しかしにこりと笑う目はのっぺりと半円を描き、その口は顔に対して大き過ぎて違和感しかない。その表情は陰影がはっきりとわかり、それを見た時身体中にミミズが這いずってきたような嫌悪を覚えた。


 手足は四方八方にスズナリのように生え、傍目に見ると蜘蛛の身体のよう。でも、その一本一本は人間の腕と足だった。つぎはぎされた身体の繋ぎ目から、肉のような骨のようなものが見える。血の滴る筋肉の真っ赤な筋、神経さえ見えそうだ。


 理解が全く追いつかない。ただ、怖気だけが身に襲いかかる。身体から尋常じゃないほどの冷や汗が出てきた。


 そんな生き物が、ババッと瞬時に家沿いの道路に這い出てくる。そして、何か獲物を探すように顔を傾けて、じーっと周囲を見回した。


「…………、……っ」


 化け物は此方を振り向いた。キリキリと機械仕掛けのごとく、顔が垂直に傾いて、最後には逆さまになっている。ニコニコと笑う仮面の女。笑顔なのに、こちらの生理的嫌悪を最大限に引き出すようなその姿。


 ……胃の中に物が入っていたら、全て吐き出していたと思うほど気持ち悪い。


 私を探しているのだろうか。徐々に此方に近づいてくる。


 恐怖に震えながらも、電柱の影にうずくまって息をひそめた。必死に身体を縮め、アレに見えないように。今にもこの場所から走って逃げてしまいたい気持ちを抑えて。止まらぬ震えをブルブルと力を込めて我慢して。


 しかし、その化け物はこちらに接近している。この電柱から私の姿は見えてしまっているのだろうか。不安になる。どうすればいいの、私はこのまま捕まってしまうのか。


 ーーカランカランッ!


 そこで空き缶が転がったような高い音がした。私がいる場所とは全く逆の方向から。


 そちらに気を取られたのか、その化け物は身体を引きずるようにして歩みを進めていく。両手両足? を使い、黒い靄を引き連れて。

 その背後を見ると、いくつかの仮面が張り付けられていて、その仮面の目も動いているみたいだった。私はそれ以上そちら側を見ていることができなくなって、目をつむり両手をぎゅっと胸の前で組んだ。


 ーーズルズル、ズルズル


 重いものをずるずると引きずっている音。きっと、あの人の手足で這うように動いているのだろう。

 けれどどうしてゆっくり動いているのだろうか。私は初めに見た時、あの化け物が俊敏に家の外に出てくるのをみていた。もしかしたらこののっそりとした動きは、全部私を油断させるためだけのフェイクで、本当はとっくに……。


 もし目を開けてこちら側に来ていたらどうしようか。


 そんなことを考える自分がいた。心臓は今まで以上にバクバクとなって、いやな汗と体の震えが止まらない。目を開けたい、でも開けたら見たくないものが見えてしまうのではないかという不安が止まらない。

 とにかく早くどこかに行け、早く行け。お願いだから、消えてほしい。神に祈るごとく、私はずっと心の中でずっとそう唱えていた。



 いち、に、さん、し、ご、ろく、なな、はち、きゅう、じゅう。


 十秒をゆっくり数えて、あの化け物の引きずるような音が消えたことを確認し、目を開く。


「……っ、はぁ、はぁはぁっっ」


 あの化け物はいなかった、その安心感と虚脱感から一気に身体を地面にあずけた。自然に止めてしまっていた息を吐き、無理やり整える。

 ……息がぜーぜーっとなりそうになるが、それすらも怖くて、早まりそうになる呼吸を力ずくで抑えた。


「っっつ、な、んなの。嫌だ、怖い……こわいよぉ」


 身体を丸めて、小さく声をあげた。


 そうだ。ここは現実じゃないんだ。あんな化け物が現実に存在するわけない。夢の延長線上なんだ。お父さんもお母さんもいないのも夢。あの化け物の夢。だから、大丈夫。大丈夫。必死で自分に言い聞かせる。私は一人でも大丈夫。


「っ、私は……どうすれば」


 家に戻ったところで、またあの化け物が戻ってくるかもしれない。どこか隠れる場所を探そう。これは夢だから、きっと待っていれば覚めるはず。


 動揺から地面に落としてしまっていた人形を拾い上げて、私は歩き出した。




 

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